【藤裏葉 16】夕暮れ、宴たけなわ、遊びも佳境に 上皇・帝の歌の唱和
原文
夕風の吹き敷《し》く紅葉のいろいろ濃き薄き、錦を敷きたる渡殿《わたどの》の上見えまがふ庭の面《おも》に、容貌《かたち》をかしき童べの、やむごとなき家の子どもなどにて、青き赤き白橡《しらつるばみ》、蘇芳《すはう》、葡萄染《えびぞめ》など、常のごと、例の角髪《みづら》に、額《ひたひ》ばかりのけしきを見せて、短きものどもをほのかに舞ひつつ、紅葉の蔭にかへり入るほど、日の暮るるもいと惜しげなり。楽所《がくしよ》などおどろおどろしくはせず、上《うへ》の御遊びはじまりて、書司《ふんのつかさ》の御|琴《こと》ども召す。物の興切《きようせち》なるほどに、御前にみな御琴どもまゐれり。宇陀《うだ》の法師《ほふし》の変らぬ声も、朱雀院は、いとめづらしくあはれに聞こしめす。 秋をへて時雨《しぐれ》ふりぬる里人もかかるもみぢのをりをこそ見ね
恨めしげにぞ思したるや。帝、
世のつねの紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を
と聞こえ知らせたまふ。御|容貌《かたち》いよいよねびととのほりたまひて、ただ一つものと見えさせたまふを、中納言さぶらひたまふが、ことごとならぬこそめざましかめれ。あてにめでたきけはひや、思ひなしに劣りまさらん、あざやかににほはしきところは、添ひてさへ見ゆ。笛仕うまつりたまふ、いとおもしろし。唱歌の殿上人、御階にさぶらふ中に、弁少将の声すぐれたり。なほさるべきにこそと見えたる御仲らひなめり。
現代語訳
夕風が吹き散らして敷きつめる紅葉のさまざま、色の濃いの薄いの、錦を敷いている渡殿の上かと見まごう庭の上に、容貌すぐれた童たちが、これらは高貴な家の子供などであるが、青みがかった白橡《しらつるばみ》や赤みがかった白橡に、蘇芳、葡萄染などの下襲を、いつものように着て、例によって髪は角髪に結い、額に天冠だけをつけた扮装であらわれて、短い曲を少し舞っては、紅葉の蔭に戻っていくようすは、日が暮れるのもまことに惜しいほどである。今や楽所など大げさな演奏は、しない。堂上の管弦の御遊びが始まって、書司《ふんのつかさ》のいくつかの御琴をお取り寄せになる。音楽の興が高まるころに、御三方の御前にそれぞれ御琴を差し上げた。宇陀の法師の昔と変わらない音も、朱雀院は、まことに久しぶりで、しみじみとお聞きあそばす。
(院)秋をへて……
(宮中を去って幾度かの秋を経て、時雨の降るにつれて年を取ってしまった里住まいの私も、こんなに素晴らしい紅葉の折を、まだ見たことがない)
恨めしげにお思いのようである。帝、
(帝)世のつねの……
(これを世の常の紅葉と御覧になりますか。かつての紅葉の御賀の例にのっとった、庭の錦でございますのに)
とお知らせ申し上げあそばす。帝は御容貌がご成長なさるにつれてますます整ってこられ、六条院(源氏)とただ一つものとお見えになられるが、中納言(夕霧)がお仕えしていらっしゃり、そのお顔が、これまた帝と別ものではないことが目を見張るほどである。気品があり立派なかんじは、見る人の主観によって劣り勝りはあろうが、あざやかで美しいことでは、中納言(夕霧)のほうがまさっているとまで見えるのである。中納言が笛の役をおつとめになられるが、そのさまがまことに風情がある。唱歌の殿上人が御階に控えている中に、弁少将の声が見事である。やはりしかるべき優れた人物が出る家系と見えるご両家(准太上天皇家と太政大臣家)のようである。
語句
■青き赤き白橡、蘇芳、葡萄染… 左の舞は赤色の袍に蘇芳の下襲、右の舞は青色の袍に葡萄染めの下襲を着る。「白橡」は薄鈍色。 ■角髪 子供の髪型。額で前髪を左右に分け、耳の横で束ねる。 ■額ばかり 額に天冠をつけただけの状態。天冠は額につける冠。 ■いと惜しげなり 「いとほしげなり」とも読める。 ■楽所 楽所は楽人たちの詰所。楽人たちのつとめは夕暮までで終わりになる。以後、堂上の遊びとなる。 ■書司 後宮の書籍・文房具・楽器などをつかさどる所だが、ここでは六条院の書庫を宮中のそれになぞらえていう。 ■宇陀の法師 宇多天皇愛用の和琴の名器。 ■朱雀院は、いとめづらしく 朱雀院は在位中に宇陀の法師の演奏を聴いたのだろう。 ■秋をへて… 「降り」に「古り」をかける。「里人」は朱雀院。帝位を去り過去の人となった侘しさが出ている。源氏への尊敬とも羨望ともとれる複雑な感情が垣間見える。 ■世のつねの… 「いにしへ」は紅葉賀巻に描かれた、朱雀院における紅葉の賀をさす(【紅葉賀 03】)。また、冷泉帝の朱雀院行幸の際の歌も響き合う(【少女 29】)。 ■ただ一つものと 帝と源氏がうり二つであること。 ■笛仕うつりたまふ 夕霧は笛の名手。 ■唱歌の殿上人 歌(催馬楽や朗詠)を歌う殿上人。 ■弁少将 声がよいということで、これまで何度も登場(【梅枝 03】・【藤裏葉 04】)。