【竹河 06】薫、夕刻に玉鬘邸を訪問 女房と歌のやり取り

夕つけて四位侍従《しゐのじじゆう》参りたまへり。そこらおとなしき若君達《わかきむだち》も、あまたさまざまに、いづれかはわろびたりつる、みなめやすかりつる中に、立ちおくれてこの君の立ち出でたまへる、いとこよなく目とまる心地して、例のものめでする若き人たちは、「なほことなりけり」など言ふ。「この殿の姫君の御かたはらには、これをこそさし並べて見め」と聞きにくく言ふ。げにいと若うなまめかしきさまして、うちふるまひたまへる匂《にほ》ひ香《が》など世の常ならず。姫君と聞こゆれど、心おはせむ人は、げに人よりはまさるなめりと見知りたまふらむかし、とぞおぼゆる。

尚侍《かむ》の殿、御|念誦堂《ねんずだう》におはして、「こなたに」とのたまへれば、東《ひむがし》の階《はし》より上《のぼ》りて、戸口の御簾《みす》の前にゐたまへり。御前《おまへ》近き若木の梅《むめ》心もとなくつぼみて、鶯《うぐひす》の初声《はつごゑ》もいとおほどかなるに、いとすかせたてまつらまほしきさまのしたまへれば、人々はかなきことを言ふに、言少《ことずく》なに心にくきほどなるをねたがりて、宰相の君と聞こゆる上臈《じやうらふ》の詠《よ》みかけたまふ。

折りて見ばいとどにほひもまさるやとすこし色めけ梅のはつ花

口はやし、と聞きて、

「よそにてはもぎ木なりとやさだむらんしたに匂へる梅のはつ花

さらば袖ふれて見たまへ」など言ひすさぶに、「まことは色よりも」と、口々、ひきも動かしつべくさまよふ。

尚侍《かむ》の君、奥の方よりゐざり出でたまひて、「うたての御達《ごたち》や。恥づかしげなるまめ人をさへ。よくこそ面《おも》なけれ」と、忍びてのたまふなり。「まめ人、とこそつけられたりけれ。いと屈《くん》じたる名かな」と思ひゐたまへり。主《あるじ》の侍従、殿上《てんじやう》などもまだせねば、所どころも歩《あり》かでおはしあひたり。浅香《せんかう》の折敷《をしき》二つばかりして、くだもの、盃《さかづき》ばかりさし出でたまへり。

「大臣《おとど》は、ねびまさりたまふままに、故院《こゐん》にいとようこそおぼえたてまつりたまへれ。この君は、似たまへるところも見えたまはぬを、けはひのいとしめやかになまめいたるもてなしぞ、かの御若ざかり思ひやらるる。かうざまにぞおはしけんかし」など、思ひ出できこえたまひて、うちしほたれたまふ。なごりさへとまりたるかうばしさを、人々はめでくつがへる。

現代語訳

夕方になって四位侍従(薫)がお参りになった。そこらの成人した若君達も、万事それぞれ、どの人も悪くはなく、みな好ましく見える中に、一足おくれてこの君(薫)がおいでになったのは、実にたいそう目をひかれる感じがして、例によって熱しやすい若い女房たちは、「やはり普通の人とはちがう」などと言う。「この殿(玉蔓)の姫君(大君・中の君)の横には、この方(薫)をこそ並べてみたいもの」と、聞き苦しいことを言う。なるほど侍従(薫)は、とても若々しく優美なようすで、ちょっと身じろきなさったときの匂い香などは世にもまれなものである。姫君と申し上げても、分別がそなわっているような人は、この方(薫)のことを、なるほど他の人より優れていらっしゃるようだとおわかりになるだろう、と思われる。

尚侍の殿(玉蔓)は、御念誦堂にいらして、(玉蔓)「こちらへ」とおっしゃるので、侍従(薫)は、東の階から上がって、戸口の御簾の前にお座りになった。お庭前に近い梅の若木が、いつ咲くのかもわからないようなつぼみをつけていて、鶯の初声もとてもゆったりしている中、実にこの侍従(薫)は、好き心をかきたてたくなるようなご様子でいらっしゃるので、女房たちがとりとめもない冗談を言うと、侍従(薫)は言葉少なめに奥ゆかしい態度である。それを女房たちは残念がって、宰相の君と申し上げる身分の高い女房が詠みかけなさる。

折りて見ば……

(折って見れば、よい香もさらによく匂うだろうと思うように、もう少し色をつけてくださいまし梅の初花よ。=貴方と契りを結んだらもっとすばらしいことになるでしょう。貴方も少し色めいたふるまいをしてもよろしいでしょうに)

侍従(薫)は、「達者に詠んだものだ」と思って、

(薫)「よそにては……

(よそでは私のことを枝葉をもいだ色気のない木と決めてかかっているのでしょう。しかし梅の初花は蕾の下で匂っているのですよ=私だって人並みに好色心がないわけではないですよ)

それなら袖を触れてごらんなさい」など戯れ言を言うと、(女房)「ほんとうは色よりも香が…」と、女房たちは口々に、袖を引いて動かしかねない様子で、侍従の君のまわりにつきまとっている。

尚侍の君(玉蔓)が、奥の方からいざり出てこられて、「困った女房たちですこと。こちらが気後れするほどまじめな人に対してさえ、そんなことを…。よくもまあ厚かましい」と、ひそひそとおっしゃっているようだ。(薫)「まじめな人、と呼ばれてしまったな。ひどくつまらない名だな」と思っていらっしゃるのだった。主人の侍従(藤侍従)は、殿上などもまだしていないので、あちこちへの挨拶回りにも行かないで、こちらに来合わせていらっしゃる。浅香の折敷二つばかりに入れて、くだものと盃だけを差し出される。

(玉蔓)「大臣(夕霧)はご成長なさるにつれて、故院(源氏)にとてもよく似てこられました。この君(薫)は、似ているところもお見えになられませぬが、ご様子がとてもしっとりして優美なおふるまいが、あの御方(源氏)のお若い盛りの頃が想像されます。きっとこのようでいらしたでしょうと」など、故院(源氏)のことを思い出し申し上げられて、涙ぐまれる。立ち去られた後にまでも残っている君(薫)の芳ばしさを、女房たちはひどく褒めちぎる。

語句

■若公達 夕霧のお供をして玉蔓邸から三条宮に移動してきた人たち。 ■若き人たち 玉蔓つきの若い女房たち。しかし前段の末に「三条宮に参りたまふ」とあるが…。 ■この殿の姫君の… 薫を玉蔓邸の姫君の婿にしたいの意。 ■うちふるひたまへる 「うちふるふ」は身じろぎする。 ■匂ひ香 薫が生まれつき身体から発する香。 ■御念誦堂 念仏や読経を唱えるための御堂。 ■こなたに 玉蔓は薫を義弟と思っているから警戒しない。 ■いとすかせたてまほしき 女房たちは薫になんとかして色めいた行動をさせたいのである。 ■宰相の君 玉蔓つきの女房。玉蔓が六条院で生活していた時に仕えていた女房とは別人か(【螢 02】)。 ■折りて見ば… 「よそにのみあはれとぞ見し梅の花あかぬ色香は折りてなりけり」(古今・春上 素性)を引く。「梅のはつ花」は薫。参考「折りみば近まさりせよ桃の花思ひぐまなき桜惜しまじ」(紫式部集)。 ■よそにては… 「もぎ木」は枝葉をもぎとった木。殺風景ぶ無趣味であることのたとえ。 ■さらば 宰相の君の歌を受けて「さらば」という。 ■袖ふれて 「色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも」(古今・春上 読人しらず)を引く。 ■まことは色よりも 薫が引用した歌を受けて、梅の色よりも薫の発する香が素晴らしいの意。 ■ひきも動かしつべくさまよふ 薫が「袖ふれて見たまへ」と言ったのを受けての動作。 ■忍びてのたまふなり 玉蔓は小声で言ったので薫にはよく聞こえなかった。そのため推量の「なり」を用いる。 ■面なけれ 億面もなく言ったものだという呆れた言い方。 ■屈ず 気がふさぐ。気が滅入る。 ■主の侍従 髭黒の三男、藤侍従。薫も侍従なので区別して「主の」侍従という。 ■殿上 昇殿は六位の蔵人と五位以上の者のうち勅許を得たものに限る。侍従は従五位下相当だがまだ任官早々で昇殿を許されていないのだろう。 ■浅香の折敷 「浅香」は香木の一種。沈香の類。沈香は水に沈むがこれは沈まないこと、また香が浅いことからいう。「折敷」は食事を載せる台。 ■かの御若ざかり 源氏の若盛りの頃。玉蔓が源氏に初めて会ったのは源氏三十五歳の時なので、玉蔓は実際には源氏の「御若ざかり」の時を見たことはない。しかし想像される、というのである。

朗読・解説:左大臣光永