【螢 02】兵部卿宮、玉鬘にさかんに求婚 源氏、宰相の君に返事を代筆させる

原文

兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》などは、まめやかに責めきこえたまふ。御|労《らう》のほどはいくばくならぬに、五月雨《さみだれ》になりぬる愁《うれ》へをしたまひて、「すこしけ近きほどをだにゆるしたまはば。思ふことをも、片はしはるけてしがな」と聞こえたまへるを、殿御覧じて、「何かは。この君たちのすきたまはむは、見どころありなむかし。もて離れてな聞こえたまひそ。御返り時々聞こえたまへ」とて、教へて書かせたてまつりたまへど、いとどうたておぼえたまへば、乱り心地あしとて聞こえたまはず。人々も、ことにやむごとなく、寄せ重きなどもをさをさなし。ただ母君の御をぢなりける宰相《さいしやう》ばかりの人のむすめにて、心ばせなど口惜しからぬが、世に衰《おとろ》へ残りたるを、尋ねとりたまへる、宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたも大人びたる人なれば、さるべきをりをりの御返りなど書かせたまへば、召し出でて、言葉などのたまひて書かせたまふ。ものなどのたまふさまを、ゆかしと思すなるべし。

正身《さうじみ》は、かくうたてあるもの嘆かしさの後《のち》は、この宮などはあはれげに聞こえたまふ時は、すこし見入れたまふ時もありけり。何かと思ふにはあらず、かく心うき御気色見ぬわざもがなと、さすがにされたるところつきて思しけり。

現代語訳

兵部卿宮などは、真剣に姫君へお気持ちを訴えなさる。ご執心になられてからまだそう月日が経っているわけでもないのに、五月雨になってしまったとお訴えになって、(兵部卿宮)「すこし近くに参ることを、せめてお許しくださいましたら…。私が思っていることを、せめてその片はしでも申し上げて、気持ちを晴らしたいのです」と申し上げなさるのを、殿(源氏)は御覧になって、(源氏)「それは問題ないでしょう。この若君たちが懸想なさるのは、見ものでしょうよ。一切無視して返事をしないなどということはなりません。お返事は時々申し上げなさい」といって、返事の文面を教えてお書かせになられるが、姫君はひどく嫌にお思いになるので、気分が悪いといってお返事をお差し上げにならない。

玉鬘つきの女房たちも、とくに身分が高かったり、世の信望があつい者などは、ほとんどいない。ただ母君の御叔父であった宰相ぐらいの人の娘で、気だてなどもまあ悪くはないのが、落ちぶれて生き残っていたのを、探し出してお引取りになっていらしたが、それが宰相の君といって、字などもまあ悪くない程度には書き、だいたいにおいてしっかりした人なので、姫君(玉鬘)はこの宰相の君に、しかるべき折々のお返事などをお書かせになっていらしたので、源氏の君はこれを召し出して、文面などお教えになってお書かせなさる。兵部卿宮が返事などお寄越しになるさまを、御覧になりたいと、源氏の君はお思いになっていらっしゃるようだ。

当の姫君は、こうして嫌な、嘆かわしい思いをしてからは、この兵部卿宮などが、しみじみと情愛深い手紙をおよこしになる時は、すこし気を入れてごらんになる時もあるのだった。何という気でもなく、このような辛い目を見ずにすむすべがないだろうかと、さすがに女らしく、情味のあるところがまじるお気持ちになるのだった。

語句

■御労のほど 懸想している期間の長さを、役人の勤務期間に見立てた。源氏は前も玉鬘に「労をも数へたまへ」と言った(【胡蝶 04】)。 ■五月雨になりぬる 「九条の右大将の御四君に聞えたまひける/わびつつもたのむ月日はあるものをさみだれにさへなにけるかな」(『花鳥余情』所引、盛明親王御集)、「神代より忌むといふなるさみだれのこなたに人を見るよしもがな」(信明集)。五月は結婚を避ける風習があった。 ■何かは 下に「あしからん」などを補って読む。 ■教へて 返事の文面を。 ■いとどうたて 源氏は一方では玉鬘に自分が言い寄っておきながら、一方では兵部卿宮に返事をせよという。その矛盾した態度が玉鬘には不快である。 ■人々 玉鬘つきの女房たち。 ■宰相ばかりの人のむすめ  夕顔の父三位中将の兄弟で宰相になった人の娘。夕顔の従姉妹。宰相は参議の唐名。正四位下相当。 ■ものなどとたまふさまを 源氏は、兵部卿宮が手紙を玉鬘からのものと思いこんでどんな返事をよこしてくるか、おもしろがる。 ■うたてあるもの嘆かしさ 源氏からの求愛をさす。 ■何かと思ふにはあらず べつに兵部卿宮に心惹かれるというわけではないがの意。 ■心うき御気色見ぬわざ 玉鬘は源氏からのうとましい求愛を避ける手段として、兵部卿宮との結婚に心が傾いてきている。 ■さすがに 源氏のことを嫌に思っているとはいっても。 ■されたる心 玉鬘は兵部卿宮に対してやや情ある思いを抱く。

朗読・解説:左大臣光永