【竹河 08】蔵人少将、薫の人気に嫉妬 玉蔓、薫の筆跡をほめる

少将は、この源侍従《げんじじゆう》の君のかうほのめき寄るめれば、皆人《みなひと》これにこそ心寄せたまふらめ、わが身はいとど屈《くん》じいたく思ひ弱りて、あぢきなうぞ恨むる。

人はみな花に心をうつすらむひとりぞまどふ春の夜の闇

うち嘆きて立てば、内の人の返し、

をりからやあはれも知らむ梅の花ただ香《か》ばかりに移りしもせじ

朝《あした》に、四位侍従《しゐのじじゆう》のもとより、主《あるじ》の侍従のもとに、「昨夜《よべ》は、いとみだりがはしかりしを、人々いかに見たまひけん」と、見たまへ、と思《おぼ》しう仮名がちに書きて、端《はし》に、

竹河のはしうち出でしひとふしに深き心のそこは知りきや

と書きたり。寝殿に持《も》て参りて、これかれ見たまふ。「手なども、いとをかしうもあるかな。いかなる人、今よりかくととのひたらむ。幼くて院にも後《おく》れたてまつり、母宮のしどけなう生《お》ほしたてたまへれど、なほ人にはまさるべきにこそはあめれ」とて、尚侍《かむ》の君は、この君たちの手などあしきことを辱《は》づかしめたまふ。返り事、げに、いと若く、「昨夜《よべ》は、水駅《みずむまや》をなん咎《とが》めきこゆめりし。

竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなるふしを思ひおかまし」

げにこのふしをはじめにて、この君の御|曹司《ざうし》におはして気色ばみよる。少将の推《お》しはかりしもしるく、皆人心寄せたり。侍従の君も、若き心地に、近きゆかりにて明け暮れ睦びまほしう思ひけり。

現代語訳

少将(蔵人少将)は、この源侍従の君(薫)がこうしてご御邸(玉蔓邸)に時々立ち寄るようなので、誰も皆、この人だけに心をお寄せになるだろうと、自分はひどく気が滅入って気持ちが弱って、つまらなくなって、君(薫)を恨めしく思う。

(少将)人はみな……

(人はみな花(薫)に心をうつているだろう。私ひとりだけ、春の夜の闇の中で迷っております)

ため息をついて立っていると、御簾の内の女房の返し、

(女房)をりからや……

(折によって興をそそられるものでしょう。梅の花の香ばかりに、ただこうして心引かれることもないでしょうに=あなたにだって機会はございますよ)

翌朝、四位侍従(薫)のもとから、主の侍従(藤侍従)のもとに、(薫)「昨夜は、ひどく見苦しい振る舞いをしましたが、皆さまはどう御覧になったでしょう」と、「これを御覧ください」というふうに、仮名を多めに書いて、端に、

(薫)竹河の……

(昨夜口に出した「竹河」の一節に私がこめた深い意味を、あなたはご理解くださいましたか)

と書いてある。主の侍従(藤侍従)はこの手紙を寝殿に持って参って、尚侍の君(玉蔓)と息子たちで御覧になる。(玉蔓)「手跡なども、とてもお上手ですこと。どういう前世からの果報にめぐまれた人が、今からこんなにもおできになるのでしょう。幼くして院(源氏)にも先立たれ申して、母宮(女三の宮)のご教育も行き届かなくていらしたのに、それでもやはり他の人よりは抜きん出るような因縁の御方のようですね」とおっしゃって、尚侍の君(玉蔓)は、この君たち(息子たち)の手跡などが下手なことをおけなしになる。返事は、実際とても幼稚に、(藤侍従)「昨夜は、水駅《みずうまや》といってお帰りになったのを、皆がいぶかしく存じ上げたようです。

竹河に……

(昨夜貴方が「竹河」の歌詞にたくして夜を更かすまいと急いで帰っていかれたのは、どういうおつもりだったのでしょうか)

実際この一節をきっかけにして、四位侍従(薫)は、この君(藤侍従)のお部屋にいらして、それらしい態度で近寄る。少将(蔵人少将)が心配したとおり、誰も皆、四位侍従(薫)に魅了されている。侍従の君(藤侍従)も、幼な心に、四位侍従(薫)とは近い血筋であるので、明け暮れ親しくしたいと思うのだった。

語句

■人はみな… 「花」は薫。「ひとり」は「独り」と「火取り(香の縁語)」をかける。「春の夜の闇」は「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見るね香やはかくるる」(古今・春上 躬恒)による。 ■をりからや… 「梅の花」は薫。「香ばかり」に「かばかり」の意をかける。 ■見たまへ 薫には玉蔓や姫君にも見せたいという意図がある。 ■仮名がちに 女性が読みやすいように仮名を多めに書いた。 ■竹河の… この歌により昨夜薫が「竹河」を歌ったことがわかる。「竹河の、橋のつめなるや、橋のつめなるや、花園に、はれ、花園に、我をば放てや、我をば放てや、少女《めざし》たぐへて」(催馬楽・竹河)。「竹河のはし」は催馬楽「竹河」の歌詞。「橋」と「端」をかける。「竹」と「ふし」、「河」「深き」「そこ」は縁語。 ■げにこのふしをはじめにて 薫が「ひとふしに深き心」と詠じたとおり。 ■少将の推しはかりし 蔵人少将が「皆人これにこそ心寄せたまふらめ」と心配したこと。

朗読・解説:左大臣光永