【竹河 09】玉蔓の姫君の碁を打つ姿 兄君たち、覗く

三月《やよひ》になりて、咲く桜あれば散りかひ曇《くも》り、おほかたの盛りなるころ、のどやかにおはする所は、紛るることなく、端近《はしぢか》なる罪もあるまじかめり。そのころ十八九のほどやおはしけむ、御|容貌《かたち》も心ばへもとりどりにぞをかしき。姫君はいとあざやかに気《け》高ういまめかしきさましたまひて、げにただ人にて見たてまつらむは似げなうぞ見えたまふ。桜の細長、山吹などのをりにあひたる色あひのなつかしきほどに重《かさ》なりたる裾《すそ》まで、愛敬《あいぎやう》のこぼれ落ちたるやうに見ゆる、御もてなしなどもらうらうじく心恥づかしき気《け》さへそひたまへり。いま一ところは、薄紅梅《うすこうばい》に、御髪《みぐし》いろにて、柳の糸のやうにたをたをと見ゆ。いとそびやかになまめかしう澄みたるさまして、重《おも》りかに心深きけはひはまさりたまへれど、にほひやかなるけはひはこよなしとぞ人思へる。

碁《ご》打ちたまふとて、さし向かひたまへる髪《かむ》ざし、御髪《みぐし》のかかりたるさまども、いと見どころあり。侍従の君、見証《けんぞ》したまふとて近うさぶらひたまふに、兄君たちさしのぞきたまひて、「侍従のおぼえこよなうなりにけり。御碁の見証ゆるされにけるをや」とて、おとなおとなしきさまして突いゐたまへば、御前《おまへ》なる人々とかうゐなほる。中将、「宮仕のいそがしうなりはべるほどに、人に劣りにたるは。いと本意《ほい》なきわざかな」と愁《うれ》へたまへば、「弁官《べんかん》は、まいて、私《わたくし》の宮仕|怠《おこた》りぬべきままに、さのみやは思し棄てん」など申したまふ。碁打ちさして恥ぢらひておはさうずる、いとをかしげなり。「内裏わたりなどまかり歩《あり》きても、故殿おはしまさましかば、と思ひたまへらるること多くこそ」など、涙ぐみて見たてまつりたまふ。二十七八のほどにものしたまへば、いとよくととのひて、この御ありさまどもを、いかでいにしへ思しおきてしに違《たが》へずもがなと思ひゐたまへり。

御前の花の木どもの中にも、にほひまさりてをかしき桜を折らせて、「外《ほか》のには似ずこそ」などもてあそびたまふを、「幼くおはしましし時、この花はわがぞわがぞと争ひたまひしを、故殿は、姫君の御花ぞ、と定めたまふ、上は、若君の御木、と定めたまひしを、いとさは泣きののしらねど、安からず思ひたまへられしはや」とて、「この桜の老木になりにけるにつけても、過ぎにける齢《よはひ》を思ひたまへ出づれば、あまたの人に後《おく》れはべりにける身の愁《うれ》へもとめがたうこそ」など、泣きみ笑ひみ聞こえたまひて、例よりはのどやかにおはす。人の婿になりて、心静かにも今は見えたまはぬを、花に心とどめてものしたまふ。

尚侍《かむ》の君、かくおとなしき人の親になりたまふ御年のほど思ふよりはいと若うきよげに、なほさかりの御|容貌《かたち》と見えたまへり。冷泉院《れぜいゐん》の帝は、多くは、この御ありさまのなほゆかしう昔恋しう思し出でられければ、何につけてかはと思しめぐらして、姫君の御事を、あながちに聞こえたまふにぞありける。院へ参りたまはんことは、この君たちぞ、「なほもののはえなき心地こそすべけれ。よろづのこと、時につけたるをこそ、世人《よひと》もゆるすめれ。げにいと見たてまつらまほしき御ありさまは、この世にたぐひなくおはしますめれど、さかりならぬ心地ぞするや。琴笛《ことふえ》の調べ、花鳥の色をも音《ね》をも、時に従ひてこそ、人の耳もとまるものなれ。春宮《とうぐう》はいかが」など申したまへば、「いさや、はじめよりやむごとなき人の、かたはらもなきやうにてのみものしたまふめればこそ。なかなかにてまじらはむは、胸いたく人笑はれなる事もやあらむとつつましければ。殿おはせましかば、行く末の御|宿世《すくせ》宿世は知らず、ただ今はかひあるさまにもてなしたまひてましを」などのたまひ出でて、みなものあはれなり。

中将など立ちたまひて後《のち》、君たちは打ちさしたまへる碁打ちたまふ。昔より争ひたまふ桜を賭《か》け物にて、「三番に数一つ勝ちたまはむ方に花を寄せてん」と戯《たはぶ》れかはしきこえたまふ。暗うなれば、端近《はしぢか》うて打ちはてたまふ。御簾《みす》捲き上げて、人々みないどみ念じきこゆ。をりしも、例の少将、侍従の君の御|曹司《ざうし》に来たりけるを、うち連れて出でたまひにければ、おほかた人少ななるに、廊《らう》の戸の開《あ》きたるに、やをら寄りてのぞきけり。かううれしきをりを見つけたるは、仏《ほとけ》などのあらはれたまへらんに参りあひたらむ心地するも、はかなき心になん。夕暮の霞の紛れはさやかならねど、つくづくと見れば、桜色の文目《あやめ》もそれと見分きつ。げに散りなむ後《のち》の形見にも見まほしく、にほひ多く見えたまふを、いとど異《こと》ざまになりたまひなんことわびしく思ひまさらる。若き人々のうちとけたる姿ども夕映《ゆふば》えをかしう見ゆ。右勝たせたまひぬ。「高麗《こま》の乱声《らざう》おそしや」などはやりかに言ふもあり。「右に心を寄せたてまつりて西の御前《おまへ》に寄りてはべる木を、左になして、年ごろの御争ひのかかればありつるぞかし」と、右方は心地よげにはげましきこゆ。何ごとと知らねどをかしと聞きて、さしいらへもせまほしけれど、うちとけたまへるをり心地なくやは、と思ひて出《い》でて去ぬ。またかかる紛れもやと、蔭にそひてぞうかがひ歩《あり》きける。

君《きむ》たちは、花の争ひをしつつ明かし暮らしたまふに、風荒らかに吹きたる夕つ方、乱れ落つるがいと口惜しうあたらしければ、負方《まけがた》の姫君、

さくらゆゑ風に心のさわぐかなおもひぐまなき花と見る見る

御方の宰相の君、

咲くと見てかつは散りぬる花なればまくるを深きうらみともせず

と聞こえたすくれば、右の姫君、

風に散ることは世のつね枝ながらうつろふ花をただにしも見じ

この御方の大輔《たいふ》の君、

心ありて池のみぎはに落つる花あわとなりてもわが方に寄れ

勝方《かちがた》の童《わらは》べ下《お》りて、花の下《した》に歩《あり》きて、散りたるをいと多く拾ひて持て参れり。

大空の風に散れどもさくら花おのがものとそかきつめて見る

左のなれき、

「桜花にほひあまたに散らさじとおほふばかりの袖はありやは

心せばげにこそ見ゆめれ」など言ひおとす。

現代語訳

三月になって、咲く桜があると思えば散って空を曇らせる桜もあって、どこも花盛りである時分、のんびりとお住まいのあたり(玉蔓邸)では、わずらわされる用事もなく、部屋の端近くに姫君がいらしても間違いがおこるような心配もないようだ。

そのころ尚侍の君(玉蔓)の姫君たち(大君と中の君)は、十八九ぐらいでいらっしゃるのだろうか、御器量もご気性も、それぞれ実にすぐれていらっしゃる。

姫君(大君)はまことにあざやかに、気高く、華やかな様子でいらして、実際、臣下の人に嫁がせるのは似つかわしくないとお見えになる。桜襲の細長や山吹襲など、折にあった色あいの、よい具合に重なっている裾まで、魅力がこぼれ落ちているように見えるし、お振る舞いなども洗練されて見ているほうが気後れするほどの風情までもそなえていらっしゃる。

いまお一人の中の君は、薄い紅梅襲に、御髪の色が美しく、柳の糸のように弱々しく見える。まことにほっそりして、優美に、さっぱりした様子で、重々しく思慮深そうな様子はまさっていらっしゃるが、美しく色づいている雰囲気は姉君のほうが格別だと、誰もが思っている。

お二人(大君と中の君)が碁をお打ちになるために向かい合っていらっしゃる髪髪の生え際や、お召し物にかかっているそれぞれの様子は、実に見がいがある。侍従の君(藤侍従)が、審判をなさるためにお二人の近くに控えていらっしゃると、兄君たちがお覗きになって、「侍従に対する姫君たちからの信頼は大変なものになったな。御碁の審判をゆるされるとは」とおっしゃって、年上ぶった様子でひざまづいていらっしゃるので、御前にいる女房たちは、とにかく居をただす。中将(左近中将。長男)が、「宮仕えが忙しくなっております間に、侍従(藤侍従)に出遅れたことよ。実に不本意なことであるよ」とお嘆きになると、(右中弁。次男)「弁官は、兄君以上に忙しいですから、姫君たちへの個人的な宮仕を怠っておりますが、姫君たちは、そうあっさり私を見限ってしまわれてよいのでしょうか」など申される。姫君たちが、碁を打つのを途中でやめて、恥じらっていらっしゃるのは、とても可愛らしそうに思える。(中将)「宮中などを歩き回っておりましても、故殿(髭黒太政大臣)が生きていらしたら、と思えることが多くございまして」など、涙ぐんで姫君たちを拝見される。

中将は二十七八歳ぐらいでいらっしゃるので、よく人柄が成熟して、姫君たちのご様子を、どうにかして生前、故殿(髭黒太政大臣)が入内させようと計画していらしたとおりにしてやりたいと考えて座っていらっしゃる。

御庭先の木々の中でも、とくに美しく色づいて風情のある桜を折らせて、(大君と中の君)「並大抵のものではありませんね」などともてあそんでいらっしゃるのを、(中将)「この姫君たち(大君と中の君)が幼くていらした時、『これは私の花、私の花』と争っていらしたが、故殿(髭黒太政大臣)は、姫君(大君)の御花であるとお決めになった。上(玉鬘)は、若君(中の君)の御木、とお決めになった。それで私はそれほどひどく泣きさわいだわけではないが、穏やかならぬ気持ちになったことですよ」といって、(中将)「この桜が老木になったことにつけても、過ぎ去ってしまった年の数を思い出しますと、多くの人に先立たれましたわが身の悲しみも、語りだせばきりのないことで」など、泣いたり笑ったり上(玉鬘)に申し上げられて、いつもよりはゆったりとしていらっしゃる。中将は今は人の婿になって、こちらでゆっくりしていらっしゃることはできないのだが、今日は花に心ひかれていらっしゃる。

尚侍の君(玉鬘)は、このように成人なさった方の親におなりになる御年齢から想像されるよりずっと若々しくきれいで、今もなお女盛りの御器量とお見えになるのだった。

冷泉院の帝が大君の参院をご希望されている理由の多くは、この尚侍の君(玉蔓)のご様子に今なお御心惹かれ昔恋しくお思い出されたので、何かの機会に逢いたいと御思案をめぐらせて、姫君(大君)の御事を、ひたすらご所望申されるのである。

大君が冷泉院に参内なさることについて、この君たち(左近中将・右中弁)は、「やはりぱっとしない気がいたします。万事、時勢に従うことこそ、世間の人もよしと認めるようです。なるほど冷泉院のいつまでも拝していたいようなお姿は、この世に類のないほどでいらっしゃるようですが、今が盛りというわけではない気がいたしますな。琴や笛の調べ、花や鳥の声も、時節に従うからこそ、人の耳にもとまるものですよ。東宮に嫁がせてはいかがです」など申されるので、(玉鬘)「さあどうでしょうか。春宮にははじめから、この上ない御方(夕霧の長女)が、脇に人もなきがごとくにひたすら侍っていらっしゃるようですからね。中途半端な参内をしては、心配ですし、世間の物笑いの種となるようなこともあるでしょう。それが気が引けますので。殿(髭黒太政大臣)が御健在でしたら、姫君たちのそれぞれの遠い将来のご運まではわからないとしても、当面は、宮仕えのしがいがあるように取り計らってくださったでしょうに」など口に出しておっしゃって、皆しみじみと感慨にふけっている。

中将(左近中将)などがお立ちになった後、姫君たち(大君と中の君)は、途中で打つのをやめていらした碁をお打ちになる。昔から争っていらした桜を賭けの賞品にして、「三番勝負のうち一番勝ち越されたほうに花を譲ることにしましょう」と、お互いに戯れ言を申し上げられる。

暗くなったので、部屋の端近くで碁を打って終わりになった。御簾を巻きあげて、女房たちがみな張り合って、自分の主人が勝つようにとお祈り申し上げる。

そんな折、例によって少将(蔵人少将)が、藤侍従の君のお部屋に来られたが、藤侍従は左近中将と右中弁が連れて外出していらして、そこらじゅう人けが少ない。その上廊の戸が開いているので、そっと近寄って覗いたのである。

こうも嬉しい機会を見つけたのは、仏などがお現れになったのに参りあわせたような気がするのも、はかない恋心というものである。

夕暮の霞に紛れてはっきりとは見えないが、じっくり見れば、桜襲の色あいも、その人(大君)と見分けがつく。実際、歌にあるような「散ってしまった後の形見に」も見てみたくなり、たいそう美しくお見えになるこの姫君が、他の方にお嫁ぎになることがひどく残念で、いよいよ思いはつのる。

若い女房たちのくつろいだ姿が色とりどりに、夕陽に映えて美しく見える。

右(中の君)がお勝ちになった。(女房)「高麗楽の乱声はまだですか」など、はしゃいで言う者もある。(女房)「もともとこの桜の木は右(中の君)にお味方申し上げて西の御庭前に寄ってございましたのに、故殿(髭黒太政大臣)は左(大君)のものになさったりして。長年の御争いは、それだから起こったのですよ」と、右方(勝者・中の君方)は心地よさそうに励まし申し上げる。

少将(蔵人少将)は、何を話しているかはおわかりにならないが、面白く聞いて、口出しもしたいと思うけれど、くつろいでいらっしゃる折に自分などが口出ししては台無しだろうとお気づきになって、退出なさった。

またこうした機会もあるだろうと、物陰に沿ってうろうろしていらっしゃるのだった。

姫君たち(大君と中の君)は、花の争いをしながら日々明かし暮らしていらっしゃるうちに、風が荒々しく吹いた日の夕方、花の乱れ散るのがひどく残念で、もったいなかったので、負方の姫君(大君)が、

(大君)さくらゆゑ……

(桜のせいで風が吹くと心が騒ぐことですよ。人の気も知らないで勝手に散ってしまう桜とは思いますが)

負方の大君つきの女房である宰相の君が、

咲くと見て……

(咲くと見ていると一方では散ってしまう桜の花ですから、負けて取られてしまったからといって、深い恨みとも思いません)

と言葉で加勢すれば、右の姫君(中の君・勝方)は、

(中の君)風に散る……

(桜の花が風に吹かれて散ることは世の常ですが、枝ぐるみで色褪せていく花を何の心も動かされず見ていられましょうか。見ていられないでしょう)

この御方(勝方・中の君)つきの女房である大輔の君が、

心ありて……

(そういう心があって池の水際に落ちた花よ、水の泡となってでも、こちら側に寄ってきなさい)

勝方(中の君方)の女童が庭に下りて、花の下を歩き回って、花びらの散っているのをたいそう多く拾って持って参った。

(童)大空の……

(桜花は大空から吹く風で散ってしまったが、私たちのものと思ってかき集めて見るのです)

左(負方・大君方)のなれき、

「桜花……

(桜花の色をあたり一面に散らすまいとして覆うほどの広い袖があるでしょうかね。そんなものはないでしょう。私たちのほうにも桜花は漂ってきますよ)

心狭そうに見えるようです」などとけなす。

語句

■咲く花あれば… 「さくら花散りかひくもれ老いらくの来るといふなる道まがふがに」(古今・賀 業平)による。『源氏釈』には「桜咲く桜の山の桜花咲く桜あれば散る桜あり」(出典未詳)を引く。 ■端近なる罪… 人の訪れが少ないので姫君が端近くにしても間違いが起こる心配がない。 ■げにただ人にて… 親が大姫を入内させようとしているだけあって。前に「姫君をば、さらにただのさまにも思しおきたてたまはず…」(【竹河 03】)とあった。 ■桜 桜襲。表は白、裏は赤またひ葡萄染め。 ■山吹 山吹襲。表が薄朽葉で裏が赤。もしくは表が黄で裏が紅とも。 ■裾まで 上から裾まで。 ■らうらうじく 「らうらうじ」は洗練されているさま。 ■薄紅梅 薄い紅梅襲。諸説あるが表は紅、裏は紫。 ■いろにて 色の美しいこと。 ■髪ざし 髪の生え際。 ■御髪のかかり 御髪が背中の衣に垂れかかっているさま。 ■見証 勝敗を見届けること。審判。 ■兄弟たち 左近中将と右中弁。 ■侍従のおぼえ… 弟をからかう。 ■突いゐたまへば 「突いゐる」はひざまづく。 ■御前なる人々 姫君たちの御前に侍っている女房たち。 ■とかうゐなおる 若君たちが参られたので居ずまいを正した。 ■人に劣りにたるは 姫君たちとも疎遠になり侍従に遅れを取ったの意。 ■弁官は 左近衛中将にもまして。 ■私の宮仕 姫君たちの相手をつとめることを仰々しく言った。 ■さのみやは思し棄てん 実の兄妹ながらも色めいた冗談を言う。 ■おはさうずる 「あり」「をり」「行く」などの尊敬語。主語が複数のとき用いる。 ■内裏わたりなど… 左近中将は長男だけあって父髭黒太政大臣亡き後の家の衰退ぶりを実感することも多いのだろう。年頃の姫君が縁付くこともなくのんびり碁を打っているのも家の衰退を実感させることである。 ■二十七八 左近中将の誕生は【真木柱 26】。年齢は二十五歳のはず。 ■いにしへ思しおきてしに 髭黒太政大臣が生前、姫君たちを入内させることを計画していたように。 ■幼くおはしましし時 以下、左近中将の述懐。最年長らしい老成した感じだが、中将と大君との年齢差は約十歳なので、やや不審。 ■安からず 父母が桜の木を私にくださらなかったので。 ■とめがたう とめどもなく語りつづけてしまう。 ■人の婿になりて 中将のこと。誰の婿となったかはわからない。 ■かくおとなしき人 左近の中将や右中弁。 ■御年のほど 玉蔓は四十八歳。 ■冷泉院の帝 冷泉院は四十四歳。 ■多くは 大君の入内を所望する理由の多くは。 ■昔恋しう 冷泉院がかつて玉蔓を後宮に召そうと考えたこと。 ■なほもののはえなき 家運を再興するには帝の外戚になるのが一番。すでに退位した冷泉院と縁組しても効果は薄い。 ■時につけたる 前も「人の心、時にのみよるわざなりければ、…」(【竹河 02】)とあった。 ■げに 玉蔓は大君を冷泉院に入内させると決めて、いかに冷泉院がすばらしい御方か、息子たちに説いたらしい。それを受けて「げに」。 ■さかりならぬ 冷泉院は退位しているから。 ■花鳥の色をも音をも 「花鳥の色をも音をもいたづらにものうかる身はすぐすのみなり」(後撰・夏 藤原雅正)による。 ■春宮はいかが 大君を春宮に入内させれば春宮はやがて帝になるのだから将来的に帝の外戚になれる。 ■申したまへば 「なほ…ゆるすめれ」を中将の、「げに…するや」を右中弁の、「琴笛の…ものなれ」を中将の、「春宮はいかが」を中将の台詞とする説も。 ■やむごとなき人 夕霧の長女(【紅梅 02】)。 ■つつましければ 下に「大君を春宮に入内はさせない」の意を補い読む。 ■殿おはせしましかば 夫人の地位は後ろ盾次第なので、髭黒太政大臣が生きていたら夕霧の娘よりも高い地位につけられたであろうにの意をふくむ。 ■昔より争ひたまふ桜 前に「幼くおはしましし時、…この花はわがぞわがぞと争ひたまひしを、…」とあった。 ■賭け物 「のりもの」とも。賭けの賞品。 ■三番に数一つ 三番勝負してニ番勝つこと。 ■端近うて 廂の間に碁盤を持ち出している。前に「端近なる罪もあるまじかめり」とあった。 ■御簾巻き上げて 廂の間と簀子との間の御簾を巻き上げた。 ■人々 大君つきの女房たちと、中の君つきの女房たちが、それぞれの主人を応援して張り合う。 ■うち連れて  左近中将と右中弁が藤侍従を連れて出ていたので、蔵人少将はあてが外れたのである。 ■おほかた人少ななるに 人気が少ないので覗き見しているところを人に見咎められる心配がない。 ■はかなき心 叶わぬ恋であるのに大君の姿を覗くことができたことに喜ぶ蔵人少将を作者が批評する。 ■桜色の文目 大君の装束。前に「桜の細長」とあった。「文目」は色目。模様。 ■げに散りなむ後の 「さくら色に衣は深く染めて着む花の散りなむのちの形見に」(古今・春上 紀有朋)による。 ■異ざまに 大君が冷泉院のもとに入内することをいう。 ■右勝たせたまひぬ 一般に左方は上位。右方は下位。 ■高麗の乱声 高麗楽の乱声。勝負が決まると鐘や笛を鳴らして知らせ、勝った方から笛・笙・篳篥を吹く。高麗楽は右方が勝った時に奏せられる。 ■はやりかに はしゃいで。 ■西の御前 中の君の住む部屋。 ■左になして 髭黒が桜を大君のものと決めたこと。 ■何ごとと知らねど 蔵人少将は桜の木にまつわる姉妹の間のいきさつを知らない。あるいは単に「声が聞き取りづらかった」という意味か。 ■さしいらへもせまほしけれど 垣間見ていた者が口を出すのはいささか無粋。 ■かかる紛れ 大君を垣間見る機会。 ■さくらゆゑ… 「思ひぐまなき花」は散るのを惜しむ人の心を理解せずに勝手に散ってしまう花。勝方に花を持っていかれた恨みを述べる。「折りてみば近まさりせよ桃の花思ひぐまなき桜惜しまじ」(紫式部集)。 ■宰相の君 前に「折りて見ば…」の歌を薫に詠みかけた人(【竹河 06】)。 ■咲くと見て… 意地悪に散ってしまう花などほしくないという負け惜しみ。 ■聞こえたすくれば 言葉で助力する。応援する。 ■風に散る… 桜花が風に散ることは世の常ながら、枝のままに色褪せていくのはつらいでしょう=そんな強がり言っても桜の花を取られたのは悔しいでしょう。 ■心ありて… 「みぎは」に「汀」と「右は」をかける。「心ありて」に「(直前の宰相の君の歌を受けて)そういう気持ちがあって」の意と、「風流を解する心があって」の意をかける。「春宮の雅院にて桜の花の御溝水《みかはみづ》に散りて流れけるを見てよめる/枝よりもあたに散りにし花なれば落ちても水のあわとこそなれ」(古今・春下 菅野高世)による。 ■大空の… 大輔の君の水に対して空を出し、「わが方に寄れ」に対して「おのがものとぞ」と応じる。「かきつむ」の「つむ」に「集む」と「詰む(熱中する)」をかける。 ■なれき 大君つきの女童の名。 ■桜花… 「大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ」(後撰・春中 読人しらず)による。桜の花を独占することなんてできやしない。負けた私たちのほうにも流れてきますよの
意。 ■心せばげに 勝方の女童の「おのがものとぞ」の句を受ける。

朗読・解説:左大臣光永