【竹河 10】大君の参院決定、蔵人少将なおも執着

かくいふに、月日はかなく過ぐすも行く末のうしろめたきを、尚侍《かむ》の殿はよろづに思す。院よりは、御|消息《せうそこ》日々にあり。女御、「うとうとしう思し隔つるにや。上《うへ》は、ここに聞こえうとむるなめりと、いと憎げに思しのたまへば、戯《たはぶ》れにも苦しうなん。同じくは、このごろのほどに思したちね」など、いとまめやかに聞こえたまふ。さるべきにこそはおはすらめ、いとかうあやにくにのたまふもかたじけなしなど思したり。御調度などは、そこらしおかせたまへれば、人々の装束《さうぞく》、何くれのはかなきことをぞいそぎたまふ。

これを聞くに、蔵人少将は死ぬばかり思ひて、母北の方を責めたてまつれば、聞きわづらひたまひて、「いとかたはらいたきことにつけて、ほのめかし聞こゆるも、世にかたくなしき闇のまどひになむ。思し知る方もあらば、推《お》しはかりて、なほ慰めさせたまへ」など、いとほしげに聞こえたまふを、「苦しうもあるかな」とうち嘆きたまひて、「いかなることと思ひたまへ定むべきやうもなきを、院よりわりなくのたまはするに思うたまへ乱れてなん。まめやかなる御心ならば、このほどを思ししづめて、慰めきこえんさまをも見たまひてなん、世の聞こえもなだらかならむ」など申したまふも、この御参り過ぐして中の君をと思すなるべし。「さしあはせてはうたてしたり顔ならむ。まだ位なども浅へたるほどを」など思すに、男は、さらにしか思ひ移るべくもあらず。ほのかに見たてまつりて後《のち》は、面影《おもかげ》に恋しう、いかならむをりにとのみおぼゆるに、かう頼みかからずなりぬるを思ひ嘆きたまふこと限りなし。

現代語訳

こういううちに、月日をはかなく過ごすのも大君の将来が気がかりであることを、尚侍の君(玉蔓)は万事につけて思う。

冷泉院からは、ご連絡が日々に届く。女御(弘徽殿女御)は、「他人行儀に心隔てをしているのですか。上(冷泉院)は、私(弘徽殿女御)が貴女にいらぬことを申し上げて大君の参院を断念させたのだろうと、ひどく私のことを恨めしげにお思いになりまたそうおっしゃっていますので、冗談としても心苦しいことです。どうせ参られるなら、近いうちにご決断を」など、たいそう真剣に申される。尚侍の君(玉蔓)は、「そうなるべき前世からの定めでいらしたのだろう。女御(弘徽殿女御)が、こうまで是非もなくお言葉をいただくのは畏れ多いこと」などと、お思いになっていらっしゃる。御道具類は、前からたくさん準備させていらしたので、お付きの女房たちの装束や、何やかやと細々した参院の準備をお急ぎになる。

このこと(大君の参院)を聞くと、蔵人少将は死ぬほどつらく思って、母北の方(雲居雁)をお責め申し上げると、母北の方は聞きづらくお思いになって、(雲居雁)「ひどく恐縮な件について、それとなくお願い申し上げますのも、世にも意固地な親心のまどいというものでして。ご承知くださっているところがございますなら、お察しくださって、やはりわが子(蔵人少将)の希望をお叶えください」など、いかにもおいたわしげに手紙でお頼み申されるので、(玉蔓)「つらいことになったもの」と、ため息をおつきになって、(玉蔓)「どのような話とも見当のつきようもございませんが、院(冷泉院)からひととおりでなく参院のお誘いをいただいておりますので、迷っております。そちら(蔵人少将)が誠実なお気持ちなら、今回の大君の件はご自重なさって、今後こちらがお慰め申し上げるさまをも御覧になってこそ、世間体からいってもおだやかでございましょう」など申される。そうおっしゃるのは、今回の大君の御参院をすませてから中の君を蔵人少将にと、お思いになっていらしっしゃるのだろう。

(玉蔓)「二人の姫君の婚儀が重なると、得意顔になっていると世間から嫌味に取られるだろう。それに蔵人少将はまだ位なども低いので」などお思いになるが、男(蔵人少将)は、そうそう尚侍の君(玉蔓)の思惑どおり、大君への思いが中の君に移るはずもない。ちらりと大君の御姿を拝見して後は、その面影が恋しく、どんな機会にかもう一度お目にかかろうとばかり思いつめているので、こうしてその望みがなくなってしまったと思って、どこまでもお嘆きになる。

語句

■行く末 姫君たちの将来。 ■御消息 大君を参院させよという内容の。 ■このごろのほどに あまり先になると自分が冷泉院から疑われるから。 ■あやにくに 是非もないふうに。 ■御調度 参院するにあたって持っていく道具類。 ■いとかたはらいたき… 以下、大君を蔵人少将にくださいの意を婉曲に言った。 ■闇のまどひ 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■思し知る方  夕霧夫妻は蔵人少将に大君をほしいという意向を玉蔓にたびたび申し上げているので、玉蔓もわかっているはずだと期待する。 ■推しはかりて 貴女も子を持つ親ならわかってくださるでしょうの意。 ■慰めたまへ 少将の希望を叶えてやってくださいの意。奥歯にモノがはさまったようなとはまさにこのこと。 ■苦しうもあるかな 玉蔓は夕霧にはよくしてもらっているし、雲居雁は妹なので、断りづらい。 ■いかなることと思ひたまへ定むべきやうもなき どういう意味かわからないと空とぼける。遠回りで奥歯にモノがはさまったような手紙の応酬。 ■思うたまへ乱れてなん 迷っているというが玉蔓の本心は大君を冷泉院に参院させることに決めている。 ■このほど 大君の参院。 ■慰めきこえんさま 玉蔓は蔵人少将に中の君を嫁がせようとしている。それを暗号文のようなもってまわった文面で語る。 ■さしあはせては 大君と中の君を同時期に結婚させては。 ■したり顔ならむ 得意顔だと世間に非難されることを心配しているのである。基本的に源氏物語世界の貴人たちは全世界が自分たちを軸に回ってると思っている。世間は貴人のことなんかどうでもいいし、貴人のことを笑ってる余裕もない。暇な貴人ならではの自意過剰ぶりといえる。 ■まだ位なども浅へたる 少将は正五位下相当。 ■ほのかに見たてまつりし →【竹河 09】

朗読・解説:左大臣光永