【竹河 11】蔵人少将、藤侍従のもとに届いた薫の文を見る 恨み嘆いて中将のおもとに訴える

かひなきことも言はむとて、例の、侍従の曹司《ざうし》に来たれば、源《げん》侍従の文をぞ見ゐたまへりける。ひき隠すを、さなめり、と見て奪ひ取りつ。事あり顔にや、と思ひていたうも隠さず。そこはかとなくて、ただ世を恨めしげにかすめたり。

つれなくて過ぐる月日をかぞへつつもの恨めしき暮《くれ》の春かな

「人はかうこそのどやかにさまよくねたげなめれ、わがいと人笑はれなる心いられを。かたへは目馴れて、侮《あなづ》りそめられにたる」など思ふも胸いたければ、ことにものも言はれで、例《れい》語らふ中将のおもとの曹司《ざうし》の方に行くも、例の、かひあらじかしと嘆きがちなり。侍従の君は、「この返り事せむ」とて、上《うへ》に参りたまふを見るに、いと腹立たしう安からず、若き心地にはひとへにものぞおぼえける。

あさましきまで恨み嘆けば、この前申《まへまうし》もあまり戯れにくくいとほしと思ひて、答《いら》へもをさをさせず。かの御|碁《ご》の見証《けんぞ》せし夕暮の事も言ひ出でて、「さばかりの夢をだにまた見てしがな。あはれ、何を頼みにて生きたらむ。かう聞こゆることも残りすくなうおぼゆれば。つらきもあはれ、といふことこそまことなりけれ」と、いとまめだちて言ふ。あはれ、とて言ひやるべき方なきことなり。かの慰めたまはむ御さま、つゆばかりうれしと思ふべき気色もなければ、げにかの夕暮の顕証《けんそう》なりけんに、いとどかうあやにくなる心はそひたるならんと、ことわりに思ひて、「聞こしめさせたらば、いとどいかにけしからぬ御心なりけりと、うとみきこえたまはむ。心苦しと思ひきこえつる心も失せぬ。いとうしろめたき御心なりけり」と、むかひ火つくれば、「いでや、さばれや。今は限りの身なれば、もの恐ろしくもあらずなりにたり。さても負けたまひしこそ、いといとほしかりしか。おいらかに召し入れてやは。目くはせたてまつらましかば、こよなからましものを」など言ひて、

いでやなぞ数ならぬ身にかなはぬは人に負けじの心なりけり

中将うち笑ひて、

わりなしやつよきによらむ勝負《かちまけ》を心ひとつにいかがまかする

と答《いら》ふるさへぞつらかりける。

あはれとて手をゆるせかし生死《いきしに》を君にまかするわが身とならば

泣きみ笑ひみ語らひ明かす。

現代語訳

蔵人少将は、言っても仕方のないことでも聞いてもらおうと、例によって、藤侍従の部屋に来てみると、藤侍従は、源侍従(薫)の文を見ていらっしゃるところであった。

ひき隠すので、それだろうと見て、奪い取った。

藤侍従は、あまり隠すのもわけがありそうに見られるのではないかと思って強くも隠そうともしない。

文面は、何ということもなくて、ただ男女の仲を恨めしそうにほのめかしてある。

つれなくて……

(貴女から冷淡にあしらわれたまま過ぎ去る月日を数えながら、何やら恨めしい春の暮れになりました)

(蔵人少将)「人(薫)はこのように、さりげなく体裁よく奥ゆかしくふるまっているのに、私はこんなにも世間の物笑いの種となるほどまでに気をもまれている。それも一つには世間の人は見慣れてしまい、私のことを軽く見始めている」など思うのも胸が痛いので、ことさら何か言うこともできず、いつもの馴染みの、中将のおもとの部屋の方に行くが、例によって、効果はないだろうと、嘆きがちである。

侍従の君(藤侍従)は、「この文に返事をしよう」といって、上(玉蔓)にお参りになるのを見るにつけ、少将(蔵人少将)は、実に腹立たしく心穏やかでなく、若いお気持ちとしてひたすら物思いに沈むのだった。

蔵人少将は、呆れるほどまでに恨み嘆くので、この申し次役(中将のおもと)も、あまり冗談も言いにくく、気の毒と思って、そうそう返事もしない。

蔵人少将は、あの御碁の立会いをした夕暮のことも言い出して、(少将)「せめてあのていどの夢を、もう一度見たいもの。ああ、今後は何を頼みに生きたらよいのか。こうして申し上げることも残り少ないと思われるので。冷淡にあしらわれたせいでかえって忘れられない、ということは本当であったよ」と、たいそう真剣に言う。いくら愛しいと言っても、それを大君に伝える方法がないことなのだ。

あの、尚侍の君(玉蔓)がお慰めになった話も、少しも嬉しいと思う様子もなかったので、中将のおもとは、「なるほどあの夕暮にはっきりと大君の御姿を拝見したことで、いよいよこうして、どうにもならない気持ちが加わったのだろう」と、それも当然と思って、(中将のおもと)「このことを尚侍の君(玉蔓)がお耳にされたら、何とけしからぬ御心であろうと、ますます貴方(蔵人少将)を疎んじ申されましょう。貴方のことをお気の毒と思い申し上げた心も失せてしまいました。ひどく後ろめたい御心でしたこと」と、逆に非難すると、(少将)「いやもう、どうとでもなれ。今が最後のこの身なので、怖いもの知らずになっているのだ。それにしても大君が御碁にお負けになったのが、ひどく気の毒だった。あの時、大君はどうして素直に私を御簾の内に召し入れてくださらなかったのだろう。私が目くばせをして打つべき手をお教え申し上げていたら、まるで勝負にならなかったろうに」などと言って、

(少将)いでやなぞ……

(いったいどうして、物の数でもないわが身ながら、人に負けまいという競争心を自制できないのだろう)

中将は笑って、

わりなしや……

(ご無理なことをおっしゃいますね。強いほうが勝つに決まっているのに。勝ち負けを貴方の心ひとつに、どう任せる(負かせる)というのですか)

と中将が答えるのまでも、少将には辛いことであった。

(少将)あはれとて……

(気の毒と思って手を教えてください。生き死にを貴女にまかせる(負かせる)我が身ですから)

泣いたり笑ったりして、語らい明かすのだった。

語句

■事あり顔にや 薫の文は大君に当てたもので、源侍従はそれを取り次いでいるのである。そして源侍従は蔵人少将も薫と同じく大君に懸想していることを知っているので、面倒なことになると直感する。だがことさらに隠すとかえって怪しまれるので、あえてそしらぬふりで隠そうとしないのである。 ■つれなくて… 「つれなくて」は季節が私の感傷などおかまいなしに過ぎていくの意と、大君が私に対して冷淡であることをかける。「もの恨めしき」は惜春の情と、大君が参院することに対する恨みをかける。 ■のどやかにさまよく… 蔵人少将は、薫が大君への恨み言を優雅に歌にこめているのに対し、自分は何と余裕がないのだと焦る。 ■ねたげ 憎らしいほど素晴らしい。奥ゆかしい。薫の歌に対する蔵人少将の評価。 ■心いられ いらいらすること。 ■かたへは 一つには。 ■語らふ 肉体関係の意をふくむ。 ■中将のおもと 大君つきの女房。 ■行くも 大君への取次をたのみに行く。 ■いと腹立たしう 玉蔓邸の人々は薫に好意的だから蔵人少将はいよいよ疎外感を強めていじける。 ■前申 申し次ぎ役のことか。 ■かの御碁 →【竹河 09】。 ■見証 「侍従の君、見証したまふとて」(【同上】)を受けて、蔵人少将が大君を覗き見たことを揶揄していう。 ■さばかりの夢 かいま見のこと。 ■つらきもあはれ 引歌があるらしいが不明。参考「うれしくはわするる事もありなましつらきぞながきかたみ成ける」(新古今・恋五 深養父)。 ■あはれ、とて… 少将が「あはれ、何を頼みに…」と言ったのを受ける。 ■言ひやるべき方なき 大君の参院はすでに決まっているので。 ■かの慰めたまはむ 玉蔓が蔵人少将に中の君をやろうと考えていると。玉蔓の手紙に「慰めきこえんさま」(【竹河 10】)とあった。 ■顕証 はっきりとしたさま。 ■心苦しと思ひ… 中将のおもとは蔵人少将を突き放す。 ■むかひ火 こちらから火をつけること。ここでは挑発的な非難をあびせかけることをいう。 ■さばれや 「さはあれや」の約。 ■今は 大君の参院が決まった今は。 ■限りの身 もうおしまいだと自暴自棄になっている。 ■おいらかに 穏やかに。素直に。先日のかいま見について中将のおもとが「うしろめたき御心なり」といったのを受ける。 ■やは 下に「あらぬ」を補い読む。 ■こよなからましものを もし自分が目くばせで手助けしたら碁は勝負にすらならず大君の圧勝であったの意。 ■いでやなぞ… 「数」「負け」は碁の縁語。表に碁の勝負に負けたくないの意。裏に冷泉院に負けたくないの意をただよわせる。 ■わりなしや… 「まかする」は「負かする」と「任する」をかける。「つよき」「勝負」は碁の縁語。勝ち負けはあなたの気持ちひとつではどうにもならない。強いほう(冷泉院)が勝つに決まっているの意。 ■あはれとて… 「手」「生死」は碁の縁語。 ■語らひ明かす 夜の営みをした。

朗読・解説:左大臣光永