【竹河 12】卯月一日、蔵人少将、大君に惜春の歌を贈る 女房の返歌
またの日は四月《うづき》になりにければ、はらからの君たちの内裏に参りさまよふに、いたう屈《くん》じ入りてながめゐたまへれば、母北の方は涙ぐみておはす。大臣《おとど》も、「院の聞こしめすところもあるべし、何にかはおほなおほな聞き入れむ、と思ひて、悔《くや》しう、対面《たいめん》のついでにもうち出できこえずなりにし。みづからあながちに申さましかば、さりともえ違《たが》へたまはざらまし」などのたまふ。さて、例の、
花を見て春は暮らしつ今日よりやしげきなげきのしたにまどはむ
と聞こえたまへり。
御前《おまへ》にて、これかれ上臈だつ人々、この御|懸想人《けさうびと》のさまざまにいとほしげなるを聞こえ知らする中《なか》に、中将のおもと、「生死《いきしに》を、と言ひしさまの、言《こと》にのみはあらず心苦しげなりし」など聞こゆれば、尚侍《かむ》の君もいとほしと聞きたまふ。
大臣《おとど》、北の方の思すところにより、せめて人の御恨み深くはと、とりかへありて思すこの御参りを、妨《さまた》げやうに思ふらんはしもめざましきこと、限りなきにても、ただ人にはかけてあるまじきものに故殿の思しおきてたりしものを、院に参りたまはむだに、行く末のはえばえしからぬを思したるをりしも、この御文とり入れてあはれがる。御返し、今日ぞ知る空をながむる気色にて花に心をうつしけりとも
「あないとほし。戯れにのみもとりなすかな」など言へど、うるさがりて書きかへず。
現代語訳
次の日は卯月になったので、兄弟の君たちは内裏に参って忙しくしているが、蔵人少将は、ひどく落ち込んで、ぼんやり物思いに沈んでいらっしゃるので、母北の方(雲居雁)は涙ぐんでいらっしゃる。
大臣(夕霧)も、(夕霧)「尚侍の君(玉蔓)は、院(冷泉院)がお耳にされる手前もあって、遠慮しているにちがいない。どうして尚侍の君(玉蔓)が、こちらの話を無理をしてまで聞き入れるだろう思って、これは後悔されることだが、以前対面した時にも話に出して申し上げずじまいであった。お前(蔵人少将)自身が真剣にお願い申していれば、いくら大君の参院が決まっているとはいえ、お前の意向に背くことはなさらないだろう」などとおっしゃる。さて、例によって、
(少将)花を見て……
(花を見て春は暮らしました。今日からは生い茂った木のような嘆きの下に迷うことでしょう)
と申し上げられた。
尚侍の君(玉蔓)の御前で、かれこれ身分の高い女房たちが、この御懸想している方(蔵人少将)が、さまざまにお気の毒であることを尚侍の君(玉蔓)にお知らせ申し上げる中に、中将のおもとは、「生き死にを、と言ったようすが、言葉だけではなく本気なようすで、それが心苦しげでした」など申し上げると、尚侍の君(玉蔓)もお気の毒なこととお聞きになる。「大臣(夕霧)と北の方(雲居雁)は蔵人少将を大君の婿にしたいとお思いになっていらしたので、どうしても蔵人少将の御恨みが深いのであれば」と、埋め合わせに中の君をと考えていらしたが、今回の大君の御参院を、「こちらが故意に邪魔しているように蔵人少将がお思いになっておられるのは、心外なことだ。たとえ最上の位であっても臣下の者に大君を嫁がせてはなるものかと、故殿(髭黒)がお思い定めていらしたのに、それを院に参らせることさえ、将来のほまれが少ない」とお思いになっていらっしゃる折に、女房たちが、この蔵人少将からの御文を取り入れて、気の毒がる。御返しに、
今日ぞ知る……
(今日こそ貴方の御気持ちを知りました。貴方が空をながめるようなふりをして、花に心を移していたことを)
(女房)「なんとお気の毒な。いい加減なお気持ちとばかり決めつけるなんて」など言うが、これを書いた女房は面倒がって書き直さない。
語句
■またの日 卯月からは夏。更衣の時期。 ■参りさまよふ 参内のため忙しくしているの意か。 ■おほなおほな 大人げないほどに。 ■対面 正月に玉蔓と対面した時(【竹河 05】)。 ■うち出できこえず 大君と結婚したいという蔵人少将の意向を。 ■花を見て… 「花」は大君。「今日」は卯月の今日に大君の参院が決まった今日の意をかける。「しげ(繁)き」に「繁木」を、「なげ(嘆)き」に「投げ木」をかける。 ■生死を 蔵人少将の手紙の中の文句。 ■とりかへありて 玉蔓は蔵人少将に大君を嫁がせないかわりに中の君を嫁がせようと考えていた。 ■今日ぞ知る… 中将のおもとの代作かと思われるが、中将のおもとが蔵人少将に同情をよせているわりにこの歌はそっけない。別の女房の作か。参考「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ」(古今・恋四 酒井人真)。 ■戯れにのみ 蔵人少将の真剣な恋心を好色と決めつけたことがひどいと。 ■うるさがりて 返歌をした女房は。