【竹河 13】大君参院、蔵人少将と歌の贈答

九日にぞ参りたまふ。右の大殿、御車、御前《ごぜん》の人々あまた奉りたまへり。北の方も、恨めしと思ひきこえたまへど、年ごろさもあらざりしに、この御事ゆゑ繁う聞こえ通ひたまへるを、またかき絶えんもうたてあれば、かづけ物ども、よき女の装束どもあまた奉れたまへり。「あやしううつし心もなきやうなる人のありさまを見たまへあつかふほどに、承りとどむる事もなかりけるを、おどろかさせたまはぬもうとうとしくなん」とぞありける。おいらかなるやうにてほのめかしたまへるを、いとほしと見たまふ。大臣も御文あり。「みづからも参るべきに思ひたまへつるに、つつしむ事のはべりてなん。男《をのこ》ども、雑役《ざふやく》にとて参らす。うとからず召し使はせたまへ」とて、源《げん》少将、兵衛佐《ひやうゑのすけ》など奉れたまへり。「情《なさけ》はおはすかし」とよろこびきこえたまふ。大納言殿よりも、人々の御車奉れたまふ。北の方は故|大臣《おとど》の御むすめ、真木柱《まきばしら》の姫君なれば、いづ方につけても睦ましう聞こえ通ひたまふべけれど、さしもあらず。藤中納言はしもみづからおはして、中将、弁の君たちもろともに事|行《おこな》ひたまふ。殿のおはせましかばと、よろづにつけてあはれなり。

蔵人の君、例の人にいみじき言葉を尽くして、「今は限りと思ひはつる命のさすがに悲しきを。あはれと思ふ、とばかりだに一言《ひとこと》のたまはせば、それにかけとどめられて、しばしもながらへやせん」などあるを持《も》て参りて、見れば、姫君|二《ふた》ところうち語らひて、いといたう屈《くん》じたまへり。夜昼《よるひる》もろともにならひたまひて、中の戸ばかり隔てたる西東《にしひむがし》をだにいといぶせきものにしたまひて、かたみに渡り通ひおはするを、よそよそにならむことを思すなりけり。心ことにしたて、ひきつくろひたてまつりたまへる御さまいとをかし。殿の思しのたまひしさまなどを思し出でてものあはれなるをりからにや、取りて見たまふ。大臣、北の方の、さばかり立ち並びて頼もしげなる御中に、などかうすずろごとを思ひ言ふらん、とあやしきにも、限りとあるを、まことにやと思して、やがてこの御文の端に、

「あはれてふ常ならぬ世のひと言もいかなる人にかくるものぞは

ゆゆしき方にてなん、ほのかに思ひ知りたる」と書きたまひて、「かう言ひやれかし」とのたまふを、やがて奉れたるを、限りなうめづらしきにも、をりを思しとむるさへ、いとど涙もとどまらず。

たち返り、「誰《た》が名はたたじ」など、かごとがましくて、

「生ける世の死《しに》は心にまかせねば聞かでややまむ君がひとこと

塚《つか》の上にもかけたまふべき御心のほどと思ひたまへましかば、ひたみちにも急がれはべらましを」などあるに、「うたても答《いら》へをしてけるかな。書きかへでやりつらむよ」と苦しげに思して、ものものたまはずなりぬ。

大人、童、めやすきかぎりをととのへられたり。おほかたの儀式などは、内裏《うち》に参りたまはましに変ることなし。まづ女御の御方に渡りたまひて、尚侍《かむ》の君は御物語など聞こえたまふ。夜|更《ふ》けてなん上に参《ま》う上《のぼ》りたまひける。后、女御など、みな年ごろ経てねびたまへるに、いとうつくしげにて、さかりに見どころあるさまを見たてまつりたまふは、などてかはおろかならむ。華やかに時めきたまふ。ただ人だちて心安くもてなしたまへるさましもぞ、げにあらまほしうめでたかりける。尚侍《かむ》の君を、しばしさぶらひたまひなんと御心とどめて思しけるに、いととくやをら出でたまひにければ、口惜しう心憂しと思したり。

現代語訳

大君は九日に冷泉院のもとに参院なさる。右の大殿(夕霧)が、御車や、御|前駆《さき》の人々を多く献上なさった。北の方(雲居雁)も、尚侍の君(玉蔓)のことを恨めしくお思い申し上げていらっしゃるが、長年それほど付き合いがなかったのに、この御事のために頻繁に交際するようになっていらしたのに、またそれが途絶えてしまうことも残念なので、多くの引出物に、身分の高い女房たちのための装束を多く差し上げなさる。(雲居雁)「変に正気がなくなったような人(蔵人少将)の様子をもてあましておりますうちに、貴女(玉蔓)から大君参院のことをうかがっていなかったのですが、お知らせくださらなかったことも、他人行儀なことで」とあった。遠回しに恨み言をほのめかしていらっしゃるのを、尚侍の君(玉蔓)はお気の毒に存じ上げる。大臣(夕霧)からも御文がある。(夕霧)「私自身も参らねばと思っておりましたが、物忌みにあたりまして。息子たちを、手伝いに参らせます。遠慮せずにお召使いください」とおっしゃって、源少将、兵衛佐などをお遣わしになった。(玉蔓)「情はおありでいらっしゃるのだ」と、感謝申しあげられる。大納言殿(按察使大納言)からも、人々の御車を献上してこられた。北の方は故大臣(髭黒太政大臣)の御むすめである真木柱の姫君なので、ご両親のどちらのお血筋からいっても、仲良く交際すべき間柄であったが、そう親密にしてもこなかった。藤中納言だけがご自身でいらして、左近中将、右中弁の君たちといっしょに参院のお手伝いをなさる。殿(髭黒太政大臣)が生きていらしたらさぞお喜びに…と、万事につけてしみじみ感じられる。

蔵人の君(蔵人少将)は、いつもの取次役の女房(中将のおもと)に熱心に言葉を尽くして、(少将)「今は最期と諦めてしまった命ですが、そうはいってもやはり悲しいことで。『気の毒に思う』と、せめてその一言だけでもおっしゃってくだされば、それに引き留められて、しばしの間でも生き長らえられるかもしれません」などと書いてあるのを中将のおもとが大君のもとに持って参って、見ると、姫君お二人(大君と中の君)が話しこんでいらして、別れを悲しんでそれはもうしょげかえっていらっしゃる。夜も昼もご一緒でいらっしゃることに馴れていらして、中の戸だけを隔てて西と東にお部屋が分かれていることさえも寂しくお思いになって、お互いのお部屋に渡り通っていらしたのに、それが離れ離れになることを悲しがっていらっしゃるのだった。

大君が格別にめかしこんで、とりすましていらっしゃるご様子はとても美しい。殿(髭黒太政大臣)がお思いになりおっしゃっていた、必ず大君を帝の后に立てようということなどをお思い出して、しみじみと胸に迫る折からであろうか、大君は件の御文を取ってご覧になる。

大臣(夕霧)、北の方(雲居雁)が、ああしてどちらもご健在で、前途に何の不安もない御間柄なのに、どうしてとりとめもないことを思いまた言うのだろうかと不審であるが、その中にも、「今を限り」とまであるのを、大君は、「本当かしら」とお思いになって、そのままこの御文の端に、

(大君)「あはれてふ…

(貴方のその「あはれ」という、無常な世の中における一言も、どういう人に向けたものでしょうか)

貴方のおっしゃる縁起でもないことなら、私も少しばかりは経験して(父髭黒の死)知っております」とお書きになって、(大君)「こう書いておやりなさい」とおっしゃるのを、書き換えずにそのままお返ししたのを、蔵人少将は、大君から返事をいただけたことを限りなくめずらしいことに思うにつけても、また今日が参院の当日であることをお考えになっても、いよいよ涙が止まらない。

すぐに返事を書いて、(蔵人少将)「貴女のほかの誰の名が立つというのでしょう」など、非難がましく、

(少将)「生ける世の……

(この世に生きている限り、死ぬことは自分の意のままになりませんので、このまま聞かずじまいになってしまうのでしょうか。貴女の一言を)

せめて私の墓の上に、御情けをかけてくださりそうに思えるのでしたら、一途に死を急ぐ気持ちにもなりましょうが」などあるので、「悪い返事をしてしまったものだ。女房が私が書いたのを書き直さないでそのまま送ったのだ」と苦しげにお思いになって、何もおっしゃらなくなった。

参院のお供として、大人、童、見映えのよい者ばかりをお揃えになった。ひととおりの儀式などは、入内の儀式と変わることはない。まず女御(弘徽殿女御)の御方においでになって、尚侍の君(玉蔓)は女御(弘徽殿女御)とお話しなど申し上げられる。夜が更けてから大君は上(冷泉院)のもとに参上なさる。后(秋好中宮)、女御(弘徽殿女御)など、みな長年経って年かさがましていらっしゃる中に、大君はたいそう可愛らしげで、女盛りで見どころのある様子を冷泉院が拝見なさるさまは、もちろん並々ではない。大君は華やかに時めいていらっしゃる。冷泉院がまるで臣下の人のように、気軽にふるまっていらっしゃるご様子こそ、まことに好ましく、めでたいことであった。尚侍の君(玉蔓)を、すこし宮中にお留まりになるだろうとお望みになっていらしたが、尚侍の君(玉蔓)は早々にそっとご退出なさったので、冷泉院は、残念にも悲しくもお思いになっていらっしゃる。

語句

■九日 四月九日。古注によると宇多上皇に京極御息所(藤原時平女)が四月九日に参院したのに準拠する。 ■恨めし 玉蔓が息子の蔵人少将の願いを聞き入れてくれなかったから。 ■年ごろさもあらざりし 玉蔓は縁者との交際が少なかった(【竹河 02】)。 ■またかき絶えんも 大君が冷泉院に参ったからといって交際を止めると当てつけがましいので、あえて引出物を贈る。 ■おどろかせたまはぬ 玉蔓が、大君の冷泉院参院について夕霧夫妻に知らせなかったこと。 ■つつしむ事のはべり 参上しないことの言い訳。 ■男ども 夕霧は玉蔓に息子たちを雑役に使ってくれと前に言っていた(【竹河 05】)。 ■源少将、兵衛佐 蔵人少将の兄たち。 ■大納言殿 按察使大納言。紅梅大納言。故致仕大臣の次男。 ■北の方 按察使大納言の正妻、真木柱。 ■いづ方につけても 夫婦のどちらの血筋においてもの意。玉蔓と按察使大納言は異母姉弟。玉蔓と真木柱は義理の母娘。 ■さしもあらず 真木柱は玉蔓に好意を寄せたこともあった(【若菜下 05】)が、玉蔓は親類付き合いが悪かった。 ■藤中納言 髭黒の先妻腹。長男。真木柱と同腹(【真木柱 25】)。玉蔓の義理の息子。 ■中将、弁の君 左近中将と右中弁。玉蔓腹。 ■事 大君が参院する準備。 ■殿のおはせましかば 「うれしからまし」を補い読む。 ■あはれなり 髭黒の悲願は娘の入内であった。これは参院であり入内ではないから一歩とどかないことになり、それを考えてもいろいろと感慨深い。 ■今は限り 前も少将は「今は限りの身なれば、…」(【竹河 11】)と言った。 ■あはれと思ふ、とばかりだに… 病床の柏木が女三の宮に「あわれとだにのたまはせよ」と願った状況(【柏木 02】)に酷似。 ■心ことにしたて 大君のいでたちのこと。 ■大臣北の方の 大君は父がいないので、両親ともに健在な蔵人少将が「今は限り」などと何をおおげさなと思っている。 ■すずろごと とりとめもないこと。 ■限りとあるを 蔵人少将の手紙に「今は限りと思ひはつる命の」とあった。 ■あはれてふ… 「あはれてふ」は蔵人少将の手紙にあった「あはれと思ふ」を受ける。「常ならぬ世」も同じく手紙にあった「今は限り」を受ける。自分に対して深刻な愛情を向けられているのを空とぼけている。 ■ゆゆしき方にて 貴方がおっしゃる縁起でもない方面のことなら私も父を亡くしているので多少はわかっている。貴方は両親ともご顕在なのに何をおおげさなの意。 ■かう言ひやれかし 別紙に清書して送れの意。 ■やがて奉れたる 清書しないでそのまま送った。中将のおもとの、蔵人少将への気遣い。 ■をりを思しとむるさへ 参院当日であることを考えても。 ■誰が名はたたじ 「恋ひ死なばたが名はたたじ世の中のつねなき物といひはなすとも」(古今・恋ニ 清原深養父)。 ■生ける世の… 参考「生き死なむ事の心にかなひせばふたたび物は思はざらまし」(拾遺・恋五 読人しらず)。 ■塚の上にも 『史記』呉世家にある呉の季礼の故事。季礼は、徐の君主が自分の剣をほしがっていたので、任務を終えた後献上しようとした。しかし帰り道徐に立ち寄るとすでに君主は死んでいた。それで季礼はその墓の近くの木に剣をかけて去った。 ■大人、童、… 大君のお供の人々。 ■おほかたの儀式 参院の儀式。 ■内裏に参りたまはまし 入内の儀式。 ■后、女御 秋好中宮、五十三歳。弘徽殿女御、四十五歳。 ■いとうつくしげ 大君は十八、九歳。 ■ただ人だちて 冷泉院の臣下の人のようにくつろいでいるさま。 ■尚侍の君を 冷泉院が大君を参らせたのは玉蔓と逢うための口実だった(【竹河 09】)。■いととくやをら出でたまひにければ 玉蔓は大君を参院させた上は早々に立ち去る。冷泉院の気持ちを察していればせこそである。万一ふたたび自分が参院することになると姉である弘徽殿女御との対立は必至。それを避ける意図もある。

朗読・解説:左大臣光永