【夕顔 21】空蝉、伊予へ下向、源氏、餞別

伊予介、神無月《かみなづき》の朔日《ついたち》ごろに下る。「女房の下らんに」とて、手向《たむ》け心ことにせさせたまふ。また内々にもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなる櫛扇《くしあふぎ》多くして、幣《ぬさ》などわざとがましくて、かの小袿《こうちき》も遣はす。

逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな

こまかなる事どもあれど、うるさければ書かず。御使帰りにけれど、小君して小荏の御返りばかりは聞こえさせたり。

蝉の羽《は》もたちかへてける夏衣かへすを見ても音はなかれけり

思へど、あやしう人に似ぬ心強さにてもふり離れぬるかな、と思ひつづけたまふ。今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空のけしきいとあはれなり。ながめ暮らしたまひて、

過ぎにしもけふ別るるもふた道に行く方知らぬ秋の暮かな

なほかく人知れぬことは苦しかりけり、と思し知りぬらんかし。

かやらのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて、みなもらし止めたるを、「など帝《みかど》の皇子《みこ》ならんからに、見ん人さへかたほならず物ほめがちなる」と、作り事めきてとりなす人ものしたまひければなん。あまりもの言ひさがなき罪避《さ》り所なく。

現代語訳

伊予介は、神無月の朔日ごろに伊予国に下る。源氏の君は、「下向する女房に」といって、餞別を心をつくしてなさる。

また源氏の君は内々にも空蝉に特別に贈り物をなさって、こまやかに趣深いようすの櫛や扇を多く贈って、幣なども特別に心遣いしたようすで、例の小袿も遣わす。

(源氏)逢ふまでの…

(あなたと逢うまでのほんの短い間だけの、あなたをしのぶよすがとするつもりでしたが、そうしている内にひたすら涙で小袖の袖が濡れて、朽ちてしまいましたよ)

他にもこまごましたことがいろいろあったが、煩わしいので書かない。御使が帰ってしまったが、空蝉は、小君を使いにして、小袿の御返歌だけを申し上げさせた。

(空蝉)蝉の羽も…

(蝉の羽のような薄い夏衣を、もう衣替えはすぎてしまったのに、今さら返されたのを見るにつけ、私は声を上げて泣かれます)

源氏の君は、どう考えても、空蝉は、不思議なほど人なみでない強情さで、自分を振り切って離れてしまったものだと、思いつづけていらっしゃる。

今日はちょうど立冬の日だったが、その日らしく、時雨が降って、空のけしきはたいそう趣深い。源氏の君はぼんやりと物思いに沈まれて、

(源氏)過ぎにしも…

(先に死んでしまった人(夕顔)も、今日別れる人(空蝉)も、二つのちがう道に進んで、行く先もわからない秋の暮れであるよ)

やはりこのような人知れぬ恋は苦しいものだと、思い知られたであろう。

このようにごたごたしたことは、ひた隠しにして秘密にされていたのも気の毒で、すべて書かないようにしていたのだが、「どうして帝の皇子だからといって、知っている人までも完全無欠の人のようにほめてばかりいるのか」と、作り事めいていると文句を言う人がいらっしゃるから、こうして書いたのですよ。

あまりにおしゃべりが過ぎるという非難は避けようがなくて…

語句

■内々に 内密に。空蝉に対して個人的に。 ■わざとしたまひて 特別に贈り物をなさって。 ■わざとがましくて 「わざとがまし」は特別に心遣いしたかんじで。 ■小袿 空蝉が脱ぎ残した小袿(【空蝉 03】)。 ■蝉の羽も… 「たち」は「立ち」と「裁ち」を掛ける。「鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽のうすき衣はたちぞ着てける」(拾遺・夏 大中臣能宣)。「つらくなりにける男のもとに、今はとて装束など返し遣はすとて、平中興(なかおき)が女/今はとて梢にかかる空蝉のからを見むとは思はざりしを。かへし、源巨城(おほき)/忘らるる身を空蝉の唐衣かへすはつらき心なりけり」(後撰・恋四)。 ■過ぎにしも… 「過ぎにし」は夕顔。「別るる」は空蝉。「遠くなり給ふほど近くて、同じ宮に/過ぎにしも今ゆく末もニ道になべて別れのなき世なりせば。御かへし/ゆく旅も過ぎにし方を思ふにも誰をもとまる身をいかにせむ」(西本願寺本三十六人家集)。

朗読・解説:左大臣光永

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