【若紫 08】朝の法華堂、源氏と僧都、歌の贈答

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原文

暁方《あかつきがた》になりにければ、法華三昧《ほけざんまい》おこなふ堂の懺法《せんぼふ》の声、山おろしにつきて聞こえくる、いと尊く、滝の音《おと》に響きあひたり。

吹き迷う深山《みやま》おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな

「さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする

耳馴れはべりにけりや」と聞こえたまふ。

明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥ども、そこはかとなう囀《さへづ》りあひたり。名も知らぬ木草《きくさ》の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩《あり》くもめづらしく見たまふに、なやましさも紛れはてぬ。

聖《ひじり》、動きもえせねど、とかうして護身《ごしん》まゐらせたまふ。かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功《くう》づきて、陀羅尼《だらに》読みたり。

現代語訳

明け方になったので、法華三昧をおこなう堂の懺法《せんぼう》の声が、山から吹き下ろす風にのって聞こえてくるのが、とても尊く、滝の音と響きあっている。

(源氏)吹き迷う…

(懺法の声をのせて吹きめぐる深山おろしの風に、夢からさめて、煩悩からさめて、きこえる滝の音に涙をもよおすことよ)

(僧都)さしぐみに…

(貴方がいきなり涙に袖を濡らした山水ですが、ここにいつも住んで、行いすましている私は、心騒ぐことはありません)

私は耳慣れてしまいましたよ」と僧都は申し上げなさる。

明けゆく空は、それはもうたいそう霞んで、山の鳥たちが、どこでということでなしに囀りあっている。名も知らない木や草の花々も、色とりどりに散りまじり、錦を敷いたように見えるところに、鹿がさまよい歩いているさまも、めずらしく御覧になっていると、源氏の君はご気分の悪さも紛れてしまわれた。

聖は、動くこともできないが、あれこれと御身の修法して差し上げなさる。枯れた声が、たいそうひどく歯のすき間が空いて曲がって聞こえるのも、趣深く、功験がありそうで、その声で陀羅尼を読んでいる。

語句

■法華三昧 法華経を一心に読誦し、法華経を通して真理を観ずる行法。 ■懺法 法華懺法。法華経を読誦して自分が犯した罪障の懺悔をおこなうこと。 ■吹き迷う… 「夢さめて」は煩悩からさめた意を掛ける? ■さしぐみに… 「さしぐみに」はいきなり。「さしくむ(涙がわいてくる)」を掛ける。また「山水」の縁語で「汲む」を掛ける。 ■錦を敷けると 「花の蔭立たまく惜しきこよひかな錦をさらす庭と見えつつ」(元輔集)。 ■たたずみ歩く さまよい歩く。 ■聖、動きもえせねど… この「聖」は『若紫』冒頭に記述のあった聖。源氏が山ごもりして修法を受けていた人物。「僧都」とは別人。「老いかがまりて室《むろ》の外《と》にもまかでず」(『若紫 01』)。 ■とかうして 聖は体が動かないが、なんとか無理をして僧都の僧坊まで源氏に修法をさしあげるために来ているのである。 ■護身 護身の修法。印を結び、陀羅尼を誦す。 ■すきひがめる 歯が欠けた間から空気が抜けて発音がゆがんでいるさま。 ■陀羅尼 真言。サンスクリット語の原語のまま唱える。youtubeで「仏頂尊勝陀羅尼」と検索してください。 ■

朗読・解説:左大臣光永

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