【末摘花 07】源氏、末摘花への手引を命婦にせまる

秋のころほひ、静かに思しつづけて、かの砧の音も、耳につきて聞きにくかりしさヘ恋しう思し出でらるるままに、常陸の宮にはしばしば聞こえたまヘど、なはおぼつかなうのみあれば、世づかず心やましう、負けてはやまじの御心さへ添ひて、命婦を責めたまふ。「いかなるやうぞ。いとかかることこそまだ知らね」と、いとものしと思ひてのたまへば、いとほしと思ひて、「もて離れて、似げなき御事とも、おもむけはべらず。ただおほかたの御ものづつみのわりなきに、手をえさし出でたまはぬとなむ見たまふる」と聞こゆれば、源氏「それこそは世づかぬことなれ。もの思ひ知るまじきほど、ひとり身をえ心にまかせぬほどこそ、さやうにかかやかしきもことわりなれ、何ごとも思ひしづまりたまへらむと思ふこそ。そこはかとなく、つれづれに心細うのみおぼゆるを、同じ心に答《いら》へたまはむは、願ひかなふ心地なむすべき。何やかやと、世づける筋ならで、その荒れたる簀子《すのこ》にたたずままほしきなり。いとうたて心得ぬ心地するを、かの御ゆるしなくともたばかれかし。心いられし、うたてあるもてなしには、よもあらじ」など、語らひたまふ。

なほ、世にある人のありさまを、おほかたなるやらにて聞きあつめ、耳とどめたまふ癖のつきたまへるを、さうざうしき宵居《よいゐ》など、はかなきついでに、さる人こそとばかり聞こえ出でたりしに、かくわざとがましうのたまひわたれば、なまわづらはしく、女君《をむなぎみ》の御ありさまも、世づかはしく、よしめきなどもあらぬを、なかなかなる導きに、いとほしきことや見えむなむど思ひけれど、君のかうまめやかにのたまふに、聞き入れざらむもひがひがしかるべし。父親王《みこ》おはしけるをりにだに、古《ふ》りにたるあたりとて、音《おと》なひきこゆる人もなかりけるを、まして今は、浅茅《あさぢ》分くる人もあと絶えたるに、かく世にめづらしき御けはひの漏りにほひくるをば、生女《なまをんな》ばらなども笑みまけて、「なほ聞こえたまへ」とそそのかしたてまつれど、あさましうものづつみしたまふ心にて、ひたぶるに見も入れたまはぬなりけり。

命婦は、さらば、さりぬべからんをりに、物越しに聞こえたまはむほど御心につかずは、さてもやみねかし、またさるべきにて、仮にもおはし通はむを、咎めたまふべき人なしなど、あだめきたるはやり心はうち思ひて、父君にも、かかることなども言はざりけり。

現代語訳

秋のころ、源氏の君は静かに思いつづけられて、あの夕顔の宿の砧の音も、耳について聞きにくかった唐臼の音さえ、恋しく思い出されるのにまかせて、常陸の宮邸にはしばしばご連絡なさったが、やはりまったく姫君から返事はないので、世間のすぐに源氏になびくような姫君ではないと思われ、じれったくもあり、このまま終わってなるものかという御気持ちまでも加わって、命婦をお責めになる。

(源氏)「どういうことなのだ。まったく、こんなことは聞いたことがない」と、たいそう面白くなく思われておっしゃると、命婦はお気の毒に思って、「私は姫君に、まったく不釣り合いな御事などと、申し上げたわけではございません。ただいったいに、姫君はむやみに遠慮深い御方で、どうにも反応ができずにいらっしゃるのだと存じます」と申し上げると、(源氏)「それこそ世間並でないところであるよ。物の分別がまだつかない年齢や、一人でわが身を思うままにできぬ年齢であれば、そのように恥ずかしがっているのも道理だが、姫君は何事についても落ち着いた分別がおありだろうと思うからこそ文を送っているのだ。何となく所在なくて、ひたすら心細く思えるので、姫君が私と同じような気持ちでお答えくださるなら、願いがかなう気持ちがするだろう。何だかんだと、色めいた話ではなくて、私はその荒れた簀子にたたずんで、ちょっとお邪魔したいだけなのだ。ひどく理不尽で納得できない気持ちがするので、姫君の御ゆるしがないとしても、お前がとりはからってくれ。私をいらいらさせるような、酷い仕打ちをすることは、まさかあるまいね」など、お話になる。

なんといってもやはり、源氏の君は、世間にある女のありさまを、何でもないようすで聞き集めて、耳におとどめになる癖がついていらっしゃる。そこに命婦が、物寂しい宵など、なんでもない話のついでに、このような姫君がとだけ話に出して申し上げたところ、このように熱心に取次をずっとお求めになるので、命婦はなんとなく厄介で、姫君の御ようすも、世間慣れしたところも、趣味の深いところもないのに、そんな姫君に源氏の君をお引き合わせしては、かえって姫君がお痛ましいことにならないかなどと命婦は思ったが、源氏の君がこのように本気でおっしゃるので、聞き入れないのもひねくれて見えるだろう。

父親王(常陸宮)が存命でいらした時でさえ、古びた所であるということで、訪れ申し上げる人もなかったのに、まして今は、浅茅を分けてくる人も足跡が絶えてしまったのに、そこに、このように世にもまれな人からの御手紙が届くようになったのを、下っ端の女房たちなども、これから事態がよくなるように期待して、「やはりお返事なさいませ」と姫君におすすめ申し上げるが、姫君はあきれるほど内気で、まったくご覧にもならないのだった。

命婦は、それでは、しかるべき折に、物を隔ててお話するとして、源氏の君が姫君をお気に召さないなら、そのままやめにすればよし、またそうなるべき縁があって、仮にもお通いになるなら、それをお咎めなさるような人もないなど、命婦は、色めいたお調子者だから、父君にも、事態がこのように運んでいることなども言わずにいた。

語句

■かの砧の音 夕顔の宿で聞いた砧の音。「白朽《しろたへ》の衣《ころも》うつ砧《きぬた》の音も、かすかに、こなたかなた聞きわたされ」(【夕顔 10】)。 ■耳につきて聞きにくかりし 夕顔の宿できいた唐臼の音。「踏みとどろかす唐臼《からうす》の音も枕上《まくらがみ》とおぼゆる、あな耳かしがましと、これにぞ思さるる」(【夕顔 10】)。 ■世ずかず 姫君が世間なみでないことを言う。そこらの女は源氏が言い寄るとすぐになびくが、この姫君はそうではないため。 ■心やましう 「心病し」は、じれったい。 ■おもむけはべらず 自分がしむけて、姫君に源氏に会わないようにさせているわけではない、という命婦の弁解。 ■御ものづつみ 引っ込み思案であること。 ■かかやかしき 恥じて赤面する。 ■世づける筋 ここでは色恋沙汰。 ■簀子にたたずままほしき 「簀子にたたずむ」はちょっとお邪魔するくらいの意味。 ■たばかれかし 「たばかる」は源氏が姫君と会えるように取り計らうの意。 ■心いられし いらいらさせられること。 ■宵居 夜遅くまで起きていること。またその折。 ■わざとがましう 熱心に。本気で。 ■よしめき 趣味の深いところ。 ■ひがひがしかるべし 「ひがひがし」はひねくれている。普通でない。 ■浅茅 丈の低い茅。「浅茅が宿」などといい、荒れ果てた家をさす慣用表現。 ■生女 下っ端の女房。「生」は未熟・中途半端であることをさす接頭語。 ■笑みまけて 「笑み設けて」。これから事態がよい方向に進むことを期待して「笑み」をあらかじめ準備している。 ■さるべきにて 男女の仲となるよう定められていた前世からの縁があって。 ■はやり心 お調子者。

朗読・解説:左大臣光永

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