【末摘花 10】源氏、末摘花へ後朝の文を送る

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かしこには、文をだにといとほしく思し出でて、夕つ方《かた》ぞありける。雨降り出でて、ところせくもあるに、笠宿《かさやどり》せむとはた思されずやありけむ。かしこには、待つほど過ぎて、命婦も、いといとほしき御さまかなと、心うく思ひけり。正身《さうじみ》は、御心の中《うち》に恥づかしう思ひたまひて、今朝《けさ》の御文の暮れぬれど、なかなか、咎《とが》とも思ひわきたまはざりけり。

「夕霧のはるる気色《けしき》もまだ見ぬにいぶせさそふる宵《よひ》の雨かな

雲間待ち出でむほど、いかに心もとなう」とあり。おはしますまじき御気色を、人々胸つぶれて思へど、「なほ聞こえさせたまへ」と、そそのかしあへれど、いとど思ひ乱れたまへるほどにて、え型《かた》のやうにもつづけたまはねば、「夜更けぬ」とて、侍従ぞ例の教へきこゆる。

晴れぬ夜の月まつ里をおもひやれおなじ心にながめせずとも

口々に責められて、紫の紙の、年経《へ》にければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下《かみしも》ひとしく書いたまへり。見るかひなううち置きたまふ。いかに思ふらんと、思ひやるもやすからず。かかることをくやしなどはいふにやあらむ、さりとていかがはせむ、我はさりとも心長く見はててむと、思しなす御心を知らねば、かしこにはいみじうぞ嘆いたまひける。

現代語訳

姫君には、せめて文だけでも送っておこうと、源氏の君は昨夜のことを気の毒にお思い出しになって、夕方に文を遣わされた。

雨が降り出して、おっくうでもあるので、宿泊しようとはやはり思われなかったのだろう。

あちらのお邸では、後朝の文を今か今かと待つ時間は過ぎて、命婦も、姫君のことを、お気の毒なご様子だなと、つらく思っていた。

姫君本人は、御心中に、昨夜のことを恥ずかしく思われていて、今朝来届くべき後朝の文が夕暮れになって届いたけれど、なまじっか届かないよりも、夕暮れであっても届いたことはまだましなので、それを責めるべきこととも思わないでいらっしゃる。

(源氏)「夕霧の…

(夕霧が晴れるようすもまだ見えないように、貴女はまだ私を受け入れてはくださらない。そこに宵の雨まで加わって、さらに憂鬱な気持ちになります)

雲の切れ間を待っているのですが、いつになるのかわかりません」とある。

今夜はいらっしゃらないようなご様子に、女房たちは胸のつぶれる思いがするが、(女房)「それでもやはりお返事申し上げてください」と、皆でおすすめするが、姫君はたいそう思い悩まれているご様子で、型通りに返事を続けることもおできにならないので、(侍従)「夜が更けてしまいます」といって、侍従がいつものように教え申し上げる。

晴れぬ夜の…

(晴れない夜に月の出を待っている里のように、貴方のお来しをまちわびている私のことを思いやってください。貴方が私と同じ心で物思いに沈んでいるのではないとしても)

姫君は、女房たちから口々に責められて、紫の紙で、年が経っているので灰が残って古ぼけた紙に、それでも筆跡はさすがにしっかりした筆つきで、中ごろの書風で、各行の上下を揃えてお書きになっている。

源氏の君は、見るかいのないものとして、そのままうち置かれる。自分が今夜訪れないことを姫君はどう思っているだろう(きっと恨んでいるだろう)と、想像するにつけても心おだやかでない。

このようなことを後悔などと言うのだろう、そうはいってもどうしよう、自分としては姫君が期待はずれの女だったとしても、長く見捨てずに最後まで世話をしてあげようと、源氏の君がそう思われている御心を姫君は知らないので、姫君の方ではたいそうお嘆きになっているのだった。

語句

■夕つ方 後朝の文は翌朝送るが、それが夕方になった=源氏は姫君に熱心でない。 ■笠宿 「いでや、さやうにをかしき方の御笠宿には、えしもや」(【末摘花 06】)を受ける。 ■待つほど 源氏からの後朝の文が届くのを待つ時間。ふつう、後朝の文は翌朝届く。 ■なかなか 中途半端だ。どっちつかずだ。なまじっか。 ■夕霧の… 「いぶせさ」は心が晴れない。うっとうしい。男が苦労して女を手に入れた後、すぐに飽きて、雨の中訪ねていくことをめんどくさがるという趣向は、『伊勢物語』百七段「身をしる雨」にある。 ■雲間待ち出でむほど 姫君の御心が晴れるまでの意をこめる。 ■晴れぬ夜の… 「月」に源氏を。「里」に姫君をたとえる。 ■灰おくれ 紫の紙は古くなると色素が抜け、灰の成分だけが残り、くすんだ感じになる。 ■中さだ そこそこ昔の。「さだ」は時、頃。 ■上下ひとしく 各行の上下を揃えて書いてあること。気の利いた書き方ではない。

朗読・解説:左大臣光永

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