【紅葉賀 14】源氏、源典侍と戯れる
帝の御年ねびさせたまひぬれど、かうやうの方え過ぐさせたまはず、采女《うねべ》女蔵人《によくらうど》などをも、かたち心あるをば、ことにもてはやし思しめしたれば、よしある宮仕人《みやづかへびと》多かるころなり。はかなきことをも言ひふれたまふには、もてはなるることもありがたきに、目馴《な》るるにやあらむ、げにぞあやしうすいたまはざめると、こころみに戯《たはぶ》れ言《ごと》を聞こえかかりなどするをりあれど、情なからぬほどにうち答《いら》へて、まことには乱れたまはぬを、まめやかにさうざうしと思ひきこゆる人もあり。
年いたう老いたる典侍《ないしのすけ》、人もやむごとなく心ばせあり、あてにおぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、かうさだ過ぐるまでなどさしも乱るらむ、といぶかしくおぼえたまひければ、戯《たはぶ》れ言《ごと》いひふれてこころみたまふに、似《に》げなくも思はざりける。あさましと思《おぼ》しながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、人の漏《も》り聞かむも、古めかしきほどなれば、つれなくもてなしたまへるを、女はいとつらしと思へり。
上《うへ》の御梳櫛《けづりぐし》にさぶらひけるを、はてにければ、上は御袿《みうちき》の人召して、出でさせたまひぬるほどに、また人もなくて、この内侍《ないし》常よりもきよげに、様体《やうだい》頭《かしら》つきなまめきて、装束《さうぞく》ありさま、いとはなやかに好ましげに見ゆるを、さも旧《ふ》りがたうもと、心づきなく見たまふものから、いかが思ふらんと、さすがに過ぐしがたくて、裳《も》の裾を引きおどろかしたまへれば、かはほりのえならずゑがきたるを、さし隠して見かへりたるまみ、いたう見延べたれど、目皮《まかは》らいたく黒み落ち入りて、いみじうはづれそそけたり。似つかはしからぬ扇のさまかな、と見たまひて、わが持たまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、映るばかり色深きに、木高き森のかたを塗り隠したり。片つ方に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、言《こと》しもあれ、うたての心ばへや、と笑《ゑ》まれながら、「森こそ夏の、と見ゆめる」とて、何くれとのたまふも、似げなく、人や見つけん、と苦しきを、女はさも思ひたらず。
君し来《こ》ば手《た》なれの駒《こま》に刈《か》り飼《か》はむさかり過ぎたる下葉なりとも
と言ふさま、こよなく色めきたり。
「笹分けば人や咎めむいつとなく駒《こま》なつくめる森の木がくれ
わづらはしさに」とて、立ちたまふを、ひかへて、「まだかかるものをこそ思ひはべらね。今さらなる身の恥になむ」とて、泣くさまいといみじ。「いま聞こえむ。思ひながらぞや」とて、引き放ちて出でたまふを、せめておよびて、「橋柱《はしばしら》」と恨みかくるを、上《うへ》は御袿《うちき》はてて、御障子《みさうじ》よりのぞかせたまひけり。似つかはしからぬあはひかなと、いとをかしう思されて、「すき心なしと、常にもてなやむめるを、さはいヘど、すぐさざりけるは」とて、笑はせたまへば、内侍《ないし》は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆゑは、濡れ衣《ぎぬ》をだに着まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず。人々も、思ひの外なることかな、とあつかふめるを、頭中将聞きつけて、いたらぬ隈《くま》なき心にて、まだ思ひよらざりけるよ、と思ふに、尽きせぬ好み心も、見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。
現代語訳
帝はけっこうな御年であられるが、こうした方面(女関係)は見過ごしにすることがおできにならず、采女《うねめ》、女蔵人《にょくろうど》などさえも、容貌がよく才気にすぐれた者を、特別に取り立てて大切に思われたので、教養ある宮仕人が多い御代なのであった。
源氏の君が、ちょっとした言葉でもおかけになろうものなら、女房たちの中には突き放す者もほとんどいないので、源氏の君はそうしたことにすっかり目馴れてしまっているのだろうか、なるほど不思議と色めいたことはなさらないようだと、女房たちが試みに戯れ言を申しあげなどする折もあるが、源氏の君は、相手に恥をかかせない程度に答えて、本気ではお乱れにならないのを、まじめすぎて物足りないと源氏の君のことを思い申し上げる人もいる。
たいそう年老いた典侍《ないしのすけ》で、人柄もよく、才気もあり、上品で、人のおぼえも高いのだが、たいそう好色じみた性分で、その方面においては軽々しい女性を、源氏の君は、こんな年になってまでどうしてこんなにもお盛んなのだろうと興味深く思われたので、戯れ言を言いかけてお試しになると、典侍はそうした好色さが自分の年に似つかわしくないとも思っていないのだった。
源氏の君は呆れながら、そうはいってもこのような女性も面白いと思い、言い寄ったりなさることもあったが、そのことを人が漏れ聞いても、相手があまりに年寄なので、源氏の君はすげなくあしらっていらっしゃるのが、女はとてもつらいと思っている。
ある時、帝の御梳櫛にこの典侍が侍っていたのを、終わったので、帝は御袿の人を召して、ご退出された後、他に人もおらず、この典侍がいつもよりもさっぱりして、姿や髪かたちも優美に、装束のようすもたいそう華やかに色気たっぷりに見えるのを、源氏の君は、いかにも自分は年寄ではないと主張しているいうふうだと、見苦しく御覧になるが、この女はどういうつもりなのだろうと、そのまま無視するのも気が引けるので、裳の裾を引いて気を引いてごらんになると、扇の、なんともいえない絵が描いているのをかざして、こちらを振り返ったまなざしは、思い切り流し目をするのだが、瞼がひどく黒みがかって落ちくぼんで、髪の毛はたいそうほつれて毛羽立っている。
年に似合わぬ派手な扇だなと源氏の君は御覧になって、ご自分の持っていらっしゃるのと取り替えて御覧になると、赤い紙の、顔に色が移るかというほど色が濃いのに、木高い森の絵を、金泥で塗りつぶして描いてある。
その扇の片側に、手跡はひどく年寄りくさいが、風情はないではなく、「森の下草老いぬれば」など書き散らしてあるのを、他に言いようもあろうに、とんでもない趣味だと源氏の君は微笑なさりながら、(源氏)「森こそ夏の、と見えるようですね」といって、あれこれとおっしゃるのも、お二人の組み合わせは似つかわしくなく、人に見つけられるのではないかと心配なのを、女はそんなことはお構いなく、
(典侍)君し来ば…
(源氏の君が来てくださるなら、草を刈って、お手ならしの馬に餌として差し上げましょう。盛りのすぎた下葉の私ではありますが)
と言うようすは、ひどく好色じみている。
(源氏)「笹分けば…
(笹を分けて入っていったら、人が咎めるでしょう。いつもたくさんの馬が懐いている、森の木陰たる貴女のことだから)
それがわづらはしいのです」といって源氏の君がお立ちになるのを、源典侍は源氏の君の袖をひかえて、(典侍)「このような物思いは初めてでございます。今さら恥ずかしいことですよ」といって泣くさまは、ひどい。
(源氏)「そのうちお返事申し上げますよ。貴女のことを思っていながら、今はそうもいかないですよ」と振り払ってお立ちになるのを、源典侍は、強いて追いかけていって、「私などしょせん橋柱ですわよ」と恨み言を言う。その時、帝はお召し替えが終わって、御襖の隙間からお覗きになった。
似合わない二人だなと、とてもおかしく思われて、(帝)「そなたのことを堅物だと、いつも心配していたが、そうはいっても、やることはやっていたのだな」といって、お笑い遊ばすと、内侍は少し恥ずかしかったが、憎からぬ人のためには、濡れ衣までも着たくなるたぐいでもあるのだろうか、そうむきになって弁解も申し上げない。
人々も、思いの他であることよ、と取り沙汰するのを、頭中将が聞きつけて、色恋の方面においてはすみずみまで興味を持つ性分として、それにしてもあんなおばあんが相手とは、今まで思いみよらなかったと、思うにつけても、源典侍の老いてなお尽きることのない好色さも、興味深くなったので、とうとう頭中将も源内侍と関係をもったのだった。
語句
■ねびさせたまひ 「ねびる」は年寄りじみている。 ■采女 天皇にお仕えする下級の女官。主水司(もいとのりのつさ)、膳司(かしわでのつかさ)に属す。 ■女蔵人 裁縫その他の雑用に従事する女官。御匣殿(みくしげどの)に属する。 ■典侍 内侍所の次官。定員は四名。内侍所は天皇のおそばで伝奏などを行う役所。長官は尚侍《ないしのかみ》。定員は二名。 ■さだ過ぐる 「さだ」は時。年の盛りがすぎる。 ■御梳櫛 天皇の御髪を整えること。御湯殿の間で行われる。 ■御袿の人 装束のお召し替えに奉仕する女官。朝餉《あさがれい》の間で行われる。 ■この内侍 源典侍のこと。 ■かはほり 紙を張った扇。開いた形がこうもりに似ていることから。 ■見延べたれど 「見延ぶ」は、まぶたが垂れるほど、流し目でじっと見る。 ■目皮 まかは。瞼。「ら」は語調を整える接尾語? ■はづれそそけたり 「はづれそそく」は髪の毛がほつれ毛羽立っていること? ■似つかはしからぬ 扇の柄が派手すぎて年に不似合。 ■塗り隠したり 赤地の上に金泥で絵を塗りつぶして描いている。金泥は金粉をにかわに溶かした絵の具。 ■森の下草老いぬれば 「大荒木《おほあらき》の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし(古今・雑上 読人しらず、古今六帖六、和漢朗詠集)。大荒木の森は京都府伏見区淀町とも、奈良県宇智郡宇智村とも。そこの下草が枯れたので、馬も食わず刈る人もない。年取って誰も相手にしてくれないの意。 ■森こそ夏の 「ほととぎす来鳴くを聞けば大あらきの森こそ夏のやどりなるらめ」(信明集)。ほととぎすに、大荒木の森(源典侍のところ)に通う男たちをたとえ、貴女のところに通う男はたくさんいるでしょう。私などとても…の意をただよわせる。 ■笹分けば 「人」は源典侍に言い寄る男たちをさす。「笹分けば荒れこそまさめ草枯れの駒なつくべき森の下かは」(蜻蛉日記)。 ■思ひながら 慣用句。「限りなく思ひながらの橋柱思ひながらに中や絶えなむ」(拾遺・恋四 読人しらず)など。「ながら」は「長柄」を掛ける。 ■せめて 「責めて」は強いて~する。 ■いたらぬ隈なき心 どんな女にも興味を持たずにはいられない、頭中将の性分。「いとくまなげなる気色」と(【帚木 02】)。