【花宴 03】源氏、惟光らに朧月夜の君の素性を探らせる

その日は後宴《ごえん》の事ありて、紛れ暮らしたまひつ。箏《さう》の琴《こと》仕うまつりたまふ。昨日《きのふ》の事よりも、なまめかしうおもしろし。藤壺は、暁《あかつき》に参うのぼりたまひにけり。かの有明出でやしぬらんと、心もそらにて、思ひいたらぬ隈《くま》なき良清《よしきよ》、惟光《これみつ》をつけてうかがはせたまひければ、御前よりまかでたまひけるほどに、「ただ今、北の陣より、かねてより隠れ立ちてはべりつる車どもまかり出づる。御方々《かたがた》の里人はべりつる中に、四位少将《しゐのせうしやう》、右中弁《うちゆうべん》など急ぎ出でて、送りしはべりつるや、弘徽殿《こきでん》の御あかれならん、と見たまへつる。けしうはあらぬけはひどもしるくて、車三つばかりはべりつ」と聞こゆるにも、胸うちつぶれたまふ。いかにして、いづれと知らむ、父大臣など聞きて、ことごとしうもてなさんも、いかにぞや、まだ人のありさまよく見定めぬほどは、わづらはしかるべし、さりとて知らであらん、はた、いと口惜しかるべければ、いかにせまし、と思しわづらひて、つくづくとながめ臥したまへり。

姫君いかにつれづれならん、日ごろになれば屈《く》してやあらむと、らうたく思《おぼ》しやる。かのしるしの扇は、桜がさねにて、濃きかたに霞《かす》める月を描《か》きて、水にうつしたる心ばへ、目馴れたることなれど、ゆゑなつかしうもてならしたり。「草の原をば」と言ひしさまのみ心にかかりたまへば、

世に知らぬ心地こそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて

と書きつけたまひて、置きたまへり。

現代語訳

その日は後宴があって、源氏の君は、一日中そのことに取りまぎりていらした。箏の琴をおつとめになる。昨日の宴よりも、優美ですばらしかった。

藤壺宮は、明け方に参上なさった。源氏の君は、例の有明の女(朧月夜の君)が出るのではないかと、うわの空で、万事に抜け目ない従者である良清、惟光をつけてうかがわせなさると、弘徽殿女御が帝の御前から退出なさった時に、「ただ今、北の陣(内裏北側の朔平門)から、かねてから隠れて停まってございました車どもが出ていきました。弘徽殿女御さま方の里の方々がございました中に、四位少将、右中弁などが急いで出てきて、見送りをいたしましたのは、弘徽殿からのご退出であろうと存じ上げました。

それなりのご身分の方々である様子がはっきりしていて、車が三つばかりございました」と申し上げるにつけても、源氏の君は御心が動揺される。

どうやれば、どの姫君だと突き止められるだろうか、父大臣などに知られて、大げさに婿としてもてなされるのも、どんなものだろう。あの女が何者かよく見定めないうちは、面倒だろう、そうはいっても、このまま知らずにいるのは、また、ひどく残念であるにちがいないので、どうしたものかと、源氏の君は思い悩まれて、つくづく物思いにふけって横になっていらっしゃる。

姫君(紫の上)はどんなにか所在ない思いでいるだろうか、何日も訪れずにいるとふさぎ込んでしまうだろうと、可愛らしく思いやられる。

例の証拠の扇は、桜襲で、濃く描いた絵に霞んだ月を描いて、水にうつした趣向は、ありきたりではあるが、持ち主の趣味が親しみ深く感じられるふうに持ち馴らしてある。

女が「草の原をば」と言ったようすだけが源氏の君は心にひっかかっていらっしゃるので、

(源氏)世に知らぬ…

(今まで経験したことのない、切ない気持ちがしますよ。有明の月のゆくえを空の途中で見失ってしまって)

と扇に書付けなさって、傍らに置かれている。

語句

■後宴 本番の宴会の後に行われる小規模な宴会。 ■藤壺は、暁に 弘徽殿女御が退出したのと入れ替えで、藤壺宮が清涼殿の上局に参上した。 ■良清 源氏の従者。名前はここに初出。「若紫巻」で明石入道の噂話をしていた人物。 ■北の陣 内裏の北側、朔平門《さくへいもん》の別名。女性が退出する時はここを通った。 ■四位少将、右中弁 どちらも弘徽殿女御の兄弟。右大臣の息子。 ■弘徽殿の御あかれ 弘徽殿女御一行は、清涼殿の上の局からまず弘徽殿に下がり、それから玄輝門を出て、朔平門を出て、兄弟や里人に見送られ、里に下がっていくのだろう。 ■けしうはあらぬ 悪くはない。 ■桜がさね 桜の薄様の紙(表が裏が蘇芳色)をはったもの。 ■目馴れたること 月次。ありふれていること。 ■世に知らぬ… 「世に知らぬ」はいままで経験したことがない。「有明の月」は昨夜の女(朧月夜の君)。「空」は「月」の縁語。

朗読・解説:左大臣光永

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