【賢木 21】源氏、雲林院を去る しばらくぶりに紫の上を見る

六十巻といふ書《ふみ》読みたまひ、おぼつかなき所どころ解かせなどしておはしますを、山寺には、いみじき光行ひ出だしたてまつれりと、仏の御面目《めんぼく》ありと、あやしの法師ばらまでよろこびあへり。しめやかにて世の中を思ほしつづくるに、帰らむこともものうかりぬべけれど、人ひとりの御こと思しやるがほだしなれば、久しうもえおはしまさで、寺にも御誦経《みずきやう》いかめしうせさせたまふ。あるべきかぎり、上下《かみしも》の僧ども、そのわたりの山がつまで物賜《た》び、尊きことの限りを尽くして出でたまふ。見たてまつり送るとて、このもかのもに、あやしきしはぶるひどもも集まりてゐて、涙を落しつつ見たてまつる。黒き御車の内にて、藤の御袂にやつれたまへれば、ことに見えたまはねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべかめり。

女君は、日ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地して、いといたうしづまりたまひて、世の中いかがあらむと思へる気色の、心苦しうあはれにおぼえたまへば、あいなき心のさまざま乱るるやしるからむ、「色かはる」とありしもらうたうおぼえて、常よりことに語らひきこえたまふ。

現代語訳

源氏の君は天台六十巻という経文をお読みになり、はつきりしない所ところを解釈させなどしていらっしゃったところ、山寺(雲林院)では、すばらしい光を祈り出し申したものだ、源氏の君をお迎えしたことは御仏にとって名誉なことだと、身分の低い法師たちまで喜びあった。

しんみりと世の中を思いつづけなさるにつけ、俗世に帰ることもおっくうになられたようだが、かの人ひとりの御ことを思いやりになることがさまたげとなって、長く逗留はなさらないで、寺にも御誦経のお布施を丁重になさる。

お布施をすべき対象には、身分の高い僧低い僧たち、そのあたりの里人にまで物をお与えになり、尊い功徳の限りをつくしてご出発なさる。

それをお見送り申し上げるといって、あちこちに、皺のよった老人たちも集まりすわって、涙を落しつつ源氏の君を拝見する。

黒い御車の中で、藤の御喪服におやつれになっているので、あまり拝見できないが、ちょっと見える源氏の君のその御姿を、人々は、世にたぐいなく思い申し上げるようである。

女君(紫の上)は、ここ数日お会いしなかったうちに、ご成長なさったかんじがして、とても落ち着きいていらっしゃって、ご自分と源氏の君の関係が今後どうなっていくかと心配しているようすを、源氏の君は意地らしく、愛しくお思いになって、ご自分のけしからぬ御気持ちがさまざまに乱れることが女君にははっきりわかるのだろうか。「色かはる」と文の中にあったのも可愛らしくお思いになって、いつもより格別にお話し合いになられる。

語句

■六十巻。天台宗の根本原理をといた書。天台六十巻。『妙法蓮華経玄義』『妙法蓮華経文句』『摩訶止観』『法華玄義釈籤』『法華文句疏記』『止観輔行伝弘決』全六十巻からなる。 ■光行い出だしたてまつれり 僧たちが熱心に勤行をした、その結果として、光のようにすばらしい源氏がこの寺に参詣されたの意。 ■仏の御面目あり 源氏を迎えたのは仏にとって名誉なことだの意。 ■人ひとりの御こと 通説では紫の上。藤壺ととる説も。 ■御誦経 御誦経を行ったことに対する布施。 ■しはぶるひ 「皺古」皺のよった老人ととる説、「柴振」木の葉などを集める身分卑しい者ととる説など諸説ある。 ■黒き御車 桐壺院の喪に服しているため黒い牛車に乗っている。 ■藤の御袂 藤衣(藤づるの皮の繊維で織った粗末な衣)。喪服。 ■世の中 源氏と自分(紫の上)の関係。 ■あいなき心 源氏の、藤壺によせる身分不相応な恋慕。 ■色かはる 前の紫の上の歌「風吹けばまづぞみだるる色かはるあさぢが露にかかるささがに」(【賢木 19】

朗読・解説:左大臣光永

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