【賢木 29】源氏、藤壺の出家に呆然としながらも調度類を送る

原文

殿にても、わが御方に独りうち臥したまひて、御目もあはず、世の中厭はしう思さるるにも、春宮の御事のみぞ心苦しき。「母宮をだに、おほやけ方ざまにと思しおきてしを、世のうさにたへず、かくなりたまひにたれば、もとの御位にてもえおはせじ。我さへ見たてまつり棄《す》てては」など、思し明かすこと限りなし。今はかかる方ざまの御調度どもをこそは、と思せば、年の内にと急がせたまふ。命婦の君も御供になりにければ、それも心深うとぶらひたまふ。詳しう言ひつづけんにことごとしきさまなれば、漏らしてけるなめり。さるは、かうやうのをりこそ、をかしき歌など出でくるやうもあれ、さらざうしや。

参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて、御みづから聞こえたまふをりもありけり。思ひしめてしことは、さらに御心に離れねど、ましてあるまじきことなりかし。

現代語訳

源氏の君はご自邸においても、ご自分のお部屋に独り横になっていらして、誰ともお逢いにならず、世の中を厭わしくお思いになるにつけても、東宮の御事だけが重苦しくお気にかかる。

「せめて母宮(藤壺)だけは、公の地位におつけしたいと故院が思い定めていらしたのに、世の辛さにたえきれず、このようにご出家されたからには、もとのままの御位にいらっしゃることはできないだろう。その上私まで東宮をお見捨て申し上げては…」など、限りもなく考え込まれて夜を明かされた。

とにかく今は、ご出家にかかわる方面のさまざまな御調度品を中宮に差し上げようとお思いになって、年の内にと急がせなさる。

命婦の君も中宮とご一緒に出家したので、そちらも心をこめてお見舞いなさる。

詳しく言いつづけるのは大げさなことになるので、言い漏らしてしまったのだろう。

本当はこうした折にこそ、よい歌なども詠み出されることもあるのに、そうした歌が省略されたのは物足りないことである。

源氏の君が参上なさっても、中宮は今はご警戒も薄らいで、御みずからお話なさる折もあるのであった。

源氏の君の中宮に対する恋慕は、まったく御心から離れることはないのだが、以前にもまして、ご出家された今となっては、それはあってはならぬことなのだ。

語句

■殿 源氏の自邸。二条院。 ■母宮をだに、おほやけ方ざまに 亡き桐壺院のお心遣い。「母宮をだに動きなきさまにしおきたてまつりて、つよりにと思すになむありける」(【紅葉賀 17】)。 ■もとの御位 もとの中宮の位。 ■命婦の君も御供に 藤壺中宮が出家したのにともない、王命婦もともに出家した。主君の出家にともない出家した女房としては鳥羽上皇后・待賢門院につかえた堀川が有名。 ■詳しう言ひつづけんに… 「さうざうしや」まで草子文。ここに書かれたことは歴史上実際におこった出来事で、作者はそれを伝え聞いて語っているという趣向。

朗読・解説:左大臣光永