【須磨 02】源氏、左大臣邸を訪ね人々と別れを惜しむ
二三日かねて、夜に隠れて大殿《おほいどの》に渡りたまへり。網代車《あむじろぐるま》のうちやつれたるにて、女車《をむなぐるま》のやうにて隠ろへ入りたまふも、いとあはれに、夢とのみ見ゆ。御方いとさびしげにうち荒れたる心地して、若君の御乳母ども、昔さぶらひし人の中に、まかで散らぬかぎり、かく渡りたまへるをめづらしがりきこえて、参《ま》う上《のぼ》り集《つど》ひて、見たてまつるにつけても、ことにもの深からぬ若き人々さへ、世の常なさ思ひ知られて、涙にくれたり。若君はいとうつくしうて、ざれ走りおはしたり。「久しきほどに忘れぬこそあはれなれ」とて、膝に据ゑたまへる御気色《けしき》、忍びがたげなり。
大臣《おとど》こなたに渡りたまひて、対面《たいめ》したまへり。「つれづれに籠《こ》らせたまへらむほど、何とはべらぬ昔物語も、参り来て聞こえさせむと思うたまふれど、身の病重きにより、朝廷《おほやけ》にも仕うまつらず、位をも返したてまつりてはべるに、私ざまには腰のべてなむと、ものの聞こえひがひがしかるべきを、今は世の中憚るべき身にもはべらねど、いちはやき世のいと恐ろしうはべるなり。かかる御事を見たまふるにつけて、命長きは心うく思うたまへらるる世の末にもはべるかな。天《あめ》の下をさかさまになしても、思うたまへ寄らざりし御ありさまを見たまふれば、よろづいとあぢきなくなん」と聞こえたまひて、いたうしほたれたまふ。
「とあることもかかることも、前《さき》の世の報いにこそはべるなれば、言ひもてゆけば、ただみづからのおこたりになむはべる。さしてかく官爵《くわんさく》をとられず、浅はかなることにかかづらひてだに、公《おほやけ》のかしこまりなる人の、うつしざまにて世の中にあり経《ふ》るは、咎重きわざに、外国《ひとのくに》にもしはべるなるを、遠く放ちつかはすべき定めなどもはべるなるは、さまことなる罪に当るべきにこそはべるなれ。濁りなき心にまかせてつれなく過ぐしはべらむも、いと憚り多く、これより大きなる恥にのぞまぬさきに世をのがれなむと思うたまへ立ちぬる」など、こまやかに聞こえたまふ。昔の御物語、院の御事、思しのたまはせし御心ばへなど聞こえ出でたまひて、御直衣《なほし》の袖もえ引きはなちたまはぬに、君もえ心強くもてなしたまはず。若君の何心なく紛れ歩きて、これかれに馴れきこえたまふを、いみじとおぼいたり。「過ぎはべりにし人を、世に思うたまへ忘るる世なくのみ、今に悲しびはべるを、この御事になむ、もしはべる世ならましかば、いかやうに思ひ嘆きはべらまし、よくぞ短くて、かかる夢を見ずなりにけると、思ひたまへ慰めはべり。幼くものしたまふが、かく齢《よはひ》過ぎぬる中にとまりたまひて、なづさひきこえぬ月日や隔たりたまはむと、思ひたまふるをなむ、よろづの事よりも、悲しうはべる。いにしへの人も、まことに犯しあるにてしも、かかる事に当らざりけり。なほさるべきにて、他《ひと》の朝廷《みかど》にもかかるたぐひ多うはべりけり。されど、言ひ出づるふしありてこそ、さる事もはべりけれ。とざまかうざまに思ひたまへ寄らむ方なくなむ」など、多くの御物語聞こえたまふ。三位《さむゐの》中将も参りあひたまひて、大御酒《おほみき》など参りたまふに、夜更けぬれば、とまりたまひて、人々御前《おまへ》にさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。人よりはこよなう忍び思す中納言の君、いヘばえに悲しう思へるさまを、人知れずあはれと思す。人みな静まりぬるに、とりわきて語らひたまふ。これによりとまりたまへるなるべし。明けぬれば、夜深う出でたまふに、有明の月いとをかし。花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづかなる木蔭《こかげ》のいと白き庭に、薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれに多くたちまされり。隅《すみ》の高欄《かうらん》におしかかりて、とばかりながめたまふ。中納言の君見たてまつり送らむとにや、妻戸《つまど》押し開けてゐたり。「また対面《たいめん》あらむことこそ、思へばいと難《かた》けれ。かかりける世を知らで、心やすくもありぬべかりし月ごろ、さしも急がで隔てしよ」などのたまへば、ものも聞こえず泣く。
若君の御乳母《めのと》の宰相《さいしやう》の君して、宮の御前より、御|消息《せうそこ》聞こえたまへり。「みづからも聞こえまほしきを、かきくらす乱り心地ためらひはべるほどに、いと夜深う出でさせたまふなるも、さま変りたる心地のみしはべるかな。心苦しき人のいぎたなきほどは、しばしもやすらはせたまはで」と聞こえたまへれば、うち泣きたまひて、
鳥辺山もえし煙もまがふやと海人《あま》の塩やく浦見にぞ行く
御返りともなくうち誦《ず》じたまひて、「暁の別れは、かうのみや心づくしなる。思ひ知りたまへる人もあらむかし」とのたまへば、「いつとなく、別れといふ文字こそうたてはベるなる中にも、今朝はなほたぐひあるまじう思うたまへらるるほどかな」と鼻声にて、げに浅からず思へり。
「聞こえさせまほしきことも、かへすがへす思うたまヘながら、ただにむすぼほれはべるほど、推しはからせたまへ。いぎたなき人は、見たまへむにつけても、なかなかうき世のがれ難う思うたまへられぬべければ、心強う思ひたまへなして、急ぎまかではべり」と聞こえたまふ。
出でたまふほどを、人々のぞきて見たてまつる。入方《いりがた》の月いと明《あ》かきに、いとどなまめかしうきよらにて、ものをおぼいたるさま、虎狼《とらおほかみ》だに泣きぬべし。ましていはけなくおはせしほどより見たてまつりそめてし人々なれば、たとしへなき御ありさまをいみじと思ふ。まことや、御返り、
亡き人の別れやいとど隔たらむけぶりとなりし雲ゐならでは
とり添へてあはれのみ尽きせず、出でたまひぬるなごり、ゆゆしきまで泣きあへり。
現代語訳
源氏の君はご出発の二三日前からご準備をなさって、夜陰にまぎれて左大臣邸にお越しになった。
網代車の粗末なのにお乗りになって、女車のようにして隠れるように御邸にお入りになるのも、人々はひどく胸がつまるようで、夢とばかり思われる。
亡き姫君(葵の上)の御部屋はたいそうさびしげに荒れたかんじがして、若君(夕霧)の御乳母たちや、昔お仕えしていた女房たちの中に、おひまを取らずに残っている者たちは、こうして源氏の君がおいでになったことを久しぶりと存じ上げて、参上して集まって、源氏の君を拝見するにつけても、それほど思慮深いわけではない若い女房たちさえ、世の無常が思い知られて、涙にくれている。
若君(夕霧)はとても可愛らしく、はしゃいで走り回っていらっしゃる。(源氏)「長く会わない間にも私を忘れていないのが意地らしいね」といって、膝におのせなさる御面持は、涙をこらえかねていらっしゃるようである。
左大臣がこちらにおいでになり、源氏の君と対面なさった。(左大臣)「貴方が所在なく引きこもっていらっしゃる間、何ということもございません昔物語でも、参上してお話しようと思いましたが、病気が重いために朝廷にもお仕えせず、位をも返上してございますのに、私ごとでは出歩くのだななどと、世間の聞こえも悪くなるでしょうから、今は世の中を憚る必要のない身ではございますが、たいそう厳しい世間がひどく恐ろしくございます。このような御事を拝見するにつけて、長生きすることがいやに思われる末世でございますな。天地を逆さまにしても、思いもよりませんでした御ようすを拝見すると、万事ひどくつまらなくなりまして」と申し上げなさって、たいそう涙を落とされる。
(源氏)「どうあることも、前世の報いであるそうでございますから、詮じつめれば、ただ私自身の運のつたなさでございます。たとえ私のようにひどい処罰を受けて官職を剥奪されたわけでもなく、ちょっとした咎めを受けた者であっても、朝廷からお咎めを受けて謹慎しております者が、ふつうの日常生活をして世の中で過ごすことは、罪が重いことだと外国でも定められているそうでございますのに、ましてや私を遠流に処するという評定もあるそうですから、特別に重い罪に当たるようなことなのでございましょう。やましいところはないと思っておりますが、その心にまかせて素知らぬ顔で過ごしていきますのも、ひどく憚り多く、今より大きな恥を受ける前に世をのがれようと思い立ちましたのです」など、こまごまと申し上げなさる。
左大臣は昔のお話、故桐壷院の御事、故院がお考えになって仰されたご趣向などを話し出しなさって、御直衣の袖も引き離すことがおできにならないので、源氏の君も、心強くすることがおできにならない。
若君が無心にそこらを出たり入ったりして、あちこちの人になついていらっしゃるのを、源氏の君は、たいそう意地らしくお思いになる。
(左大臣)「亡くなりました人(葵の上)を、まったく忘れる時はなく、いまだに悲しい気持ちでございますが、この御事につけ、もしあれが存命しておりましたら、どんなにか思い嘆きますでしょう、よくぞ短命であって、このような夢を見ないですんだものよと、そう思って慰めてございます。幼くていらっしゃる方(夕霧)が、こうして年寄の中におとどまりになって、父君にお馴染み申せない月日が過ぎていくのだろうと、思いますにつけ、ほかのどんなことよりも、悲しゅうございます。昔の人も、実際に罪を犯したとしても、ここまでの処罰には当たりませんでした。やはり前世の因縁で、異国の朝廷にもこうした例は多くございます。しかし無実ではあっても讒言されるだけの何かがあったからこそ、そのような事もあったのでございますのに。どのように見ても、思い当たるところがありませんので」など、多くのお話を申し上げなさる。
三位中将も参りあわせられて、お酒など召し上がられているうちに、夜が更けたので、源氏の君は今夜はここ左大臣邸にお泊りになって、女房たちを御前に控えさせなさって、お話などおさせになる。
源氏の君が、他の人より格別に、密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君は、自分の気持ちを言おうとしても言えないことを悲しく思っている。その様子を、源氏の君は、人知れず愛しくお思いになる。
人がみな寝静まってしまうと、とりわけ睦まじく、源氏の君は中納言の君とお語らいになられる。
この人のために今夜はお泊りになったのだろう。夜が明けてしまうので、夜がまだ深いうちにご出発なさるが、有明の月がまことに情緒深い。
花の木々がしだいに盛りを過ぎて、わずかに咲き残った木の蔭のたいそう白い庭に、うっすらともやが一面に立っているのが、ぼんやり景色と霞みあって、秋の夜の風情よりも多く勝っている。
源氏の君は、隅の高欄によりかかって、しばらくの間外の景色をながめていらっしゃる。
中納言の君は源氏の君をお見送りしようということか、妻戸を押し開けて座っている。(源氏)「再びの対面は、思えばとてもむずかしいようです。このような事態になってしまうとは予想もできず、気軽に逢おうと思えば逢えた月ごろを、よくものんびりと逢わないで過ごしてしまったものですよ」などおっしゃると、中納言の君は、ものも申し上げず泣く。
若君(夕霧)の御乳母の宰相の君を介して、大宮の御前より、お手紙をよこしてこられた。
(大宮)「私自身で申し上げたかったのですが、目の前が真っ暗になるほど気持ちが混乱しぐずぐずしておりました間に、たいそう夜の深いうちからご出発なさるとうかがいますのも、いつもとは様子がちがうという気持ちばかりがすることですよ。不憫な若君(夕霧)がよく眠っていらっしゃる間くらいお待ちになったらと思いますのに、少しもゆっくりともなさらず」と申し上げなさると、源氏の君はお泣きになって、
(源氏)鳥辺山…
(鳥辺山で亡き人を焼いたあの煙に似ているのか確かめようと、海人が藻塩を焼く浦を見に行くのですよ)
御返事というわけでもなくお口ずさみになって、(源氏)「暁の別れは、いつもこんなふうに辛いものでしょうか。そうした機微をお察しくださる方もここにいらっしゃるようですね」とおっしゃると、(宰相)「いつでも別れという言葉は嫌なものだと聞いております中にも、今朝はやはり比類もなく辛いと存じますほどのものですよ」と鼻声で、なるほどその言葉どおり、宰相の君は心底辛そうな面持ちをしている。
(源氏)「申し上げたいことも、返す返す考えてはみたのですが、ただ胸がつまってしまいましたので、どうかお察しください。よく眠っている人は、拝見するにつけても、かえってこの憂き世を離れることが難しく思うようになるに決まっておりますので、あえて気を強く持って、急いでおいとまいたします」と申し上げなさる。
源氏の君がご出発なさる時、女房たちがのぞいてお見送りする。入方の月がたいそう明るく照らす中、源氏の君が、たいそうしっとりとお美しく、物思いに沈んでいらっしゃるご様子は、虎や狼でさえ泣いてしまうにちがいない。まして、幼くていらした頃からお世話申し上げてきた人々なので、うって変わった源氏の君の御境遇を、たいへんおいたわしいと思う。そうそう、大宮の御返事は、
(大宮)亡き人の…
(亡き人(葵の上)との別れはいよいよ遠く隔たってしまうでしょう。煙となって立ち上った都の空の下に、貴方がいなくなってしまうのですから)
とり重ねて悲しみばかりが尽きず、源氏の君がお出ましになった後、不吉なまでに人々は泣きあっていた。
語句
■かねて 「予ぬ」はあらかじめ準備する。 ■大殿 左大臣邸。 ■網代車 牛車の一種。 屋形を竹や檜の網代で編んであるためこういう。大臣・納言などの公卿が直衣着用のとき用いた。 ■昔さぶらひし 「昔」は葵の上在世の昔。 ■若君はいとうつくしうて 夕霧はこの時五歳。 ■腰のべてむ 「腰のべる」は蟄居している人が他へ出歩くこと。 ■いちはやき 「いちはやし」の「いち」は激しく。大いに。「はやし」は恐ろしい。厳しい。 ■命長きは心うく 「寿《いのちなが》ケレバ則チ辱《はづかしめ》多シ」(荘子・外篇・天地)。 ■天の下をさかさまになしても 天地を逆にしても。「天の下をさかさまになすとも、かかることはあらじ」(『宇津保物語』忠こそ巻)などの用例がある。 ■しほたれたまふ 「しほたる」は潮水に濡れてしずくが垂れるから転じて、涙を落とすこと。 ■言ひもてゆけば 「もて」はその動作を重ねる。論を重ねると。詮じつめれば。 ■おこたり ここでは前世からの運のつたなさ。 ■さしてかく 「さして」はそれと指定して特に。自分よりもっと軽い罪の人でも日常生活をふつうに送るのは罪とされるのに、まして自分のような重罪人はなおさら許されないの意。 ■浅はかなること 軽い罪。 ■うつしざまにて ふだん通りの日常生活を送ること。 ■あり経る 生きながらえる。 ■遠く放ちつかはすべき 遠流。流罪には近流・中流・遠流があった。遠流は伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐に流される。 ■定め 太政官での評定。 ■さまことなる 格別の。 ■濁りなき心 自分には謀反の心などはないと。 ■思しのたまはせし御心ばへ 桐壺院が、源氏に朱雀帝の補佐役となることを期待していたことなど。 ■御直衣の袖も 左大臣が自身の衣の袖を離すことができないほど涙に暮れている。左大臣が源氏の袖を離さないと取る説も。 ■え強くもてなしたまはず 気丈にふるまうことができない。左大臣の手を引き離すことができないと取る説も。 ■この御事 源氏が離京すること。 ■思ひたまへ慰め 「思ひ慰む」の間に謙譲の「たまふ」の連用形がはさまれた形。 ■かく齢過ぎぬる 左大臣夫妻。 ■なづさひきこえぬ 「なづさふ」は馴染む。 ■事に当らざりけり 「事に当たる」は処罰されること。 ■なほさるべきにて 前の源氏の台詞中の「とあることもかかることも、前の世の報いにこそはべる」を受ける。 ■言ひ出づるふしありて 無実ではあっても讒言されるだけのなにかがあって讒言されたの意。 ■三位中将 もとの頭中将。左大臣の長男。葵の上の兄。源氏の親友にしてライバル。 ■とまりたまひて 亡き葵の上の部屋に。 ■人々御前に 「人々」は葵の上つきの女房たち。 ■中納言の君 葵の上つきの女房。源氏の愛人。 ■いへばえに 言おうとしてもうまく言えないの意。「むかし、男つれなかりける人のもとに/いへばえにいはねば胸にさはがれて心ひとつに嘆くころかな」(伊勢物語三十四段)。 ■とりわきて語らひたまふ 源氏と中納言の君が床を共にしたことを暗にしめす。 ■明けぬれば 夜が明けそうなので。完了の「ぬ」は近い未来の予見にも使う。 ■有明の月 夜が明ける時にまだ空に残っている月。 ■わずかなる木蔭 花がわずかにしか残っていない桜の木の蔭。 ■いと白き庭に 庭に落ちた桜の花びらに月光が反射して白く見えている? ■高欄 両端が反り上がった欄干。 ■妻戸 両開きの板戸。殿舎の端にもうける。 ■宮 左大臣の妻。葵の上の母。故桐壺院の妹。 ■いぎたなきほどは 「寝汚《いぎたな》し」は熟睡する。朝寝坊である。 ■鳥辺山 鳥辺山は京都東山の清水寺付近。古来、火葬の地。源氏らはここで葵の上を荼毘に付した。鳥辺山で亡き妻を荼毘に付したその煙と似ているのかと、海人の塩焼く浦を見にゆくのですの意。「うらみ」は「浦見」と「恨み」をかける。葵の上を荼毘に付した時、源氏は「のぼりぬる煙はそれと分かねどもなべて雲ゐのあはれなるかな」とよんだ(【葵 17】)。 ■暁の別れは 「いかでわれ人にもにも問はむ暁のあかぬ別れや何に似たりと」(後撰・恋三 紀貫之)。 ■思ひ知りたまへる人もあらむかし 宰相の君にそれとなく呼びかけている。暁の別れがこんなにも辛いことは、恋愛豊富なあなたならさぞご存知でしょうの意。実際に宰相の君はそうした恋の機微に通じているというよりも、戯れの社交辞令として言っているのである。 ■うたてはべるなる中にも 「なる」は伝聞。源氏が宰相を恋愛豊富な女扱いしたのに対して、「私は話にきいているだけですけど、そういう事もあるらしいですね」というニュアンスをこめている。 ■見たまへむにつけても わが子を見ると愛着の情がわいて離京の決心が鈍ってしまうことをいう。 ■きよら 「きよげ」よりも程度の高い美しさ。 ■虎狼だに泣きぬべし 「仏涅槃の時は、虎狼も花をくひ、人を舐て悲しむといへり」(河海抄)。 ■いはけなくおはせしほどより 源氏は十二歳の元服直後に葵の上に添臥され左大臣家の人となった。 ■見たてまつりそめてし 「見たてまつり染む」は「見染む」の間に謙譲の「たてまつる」の連用形をはさんだもの。 ■まことや そうそう、そういえば。話題を転換するときに使う。 ■亡き人の… 「亡き人」は葵の上。「雲ゐ」は空と都をかける。煙の縁語。 ■とり添えて 葵の上の死という悲しみに、源氏の離京というもうひとつの悲しみが加わった。 ■ゆゆしきまで あまり泣くのでまるで死別を思わせる。それが「ゆゆし」だと。