【明石 12】入道の娘、源氏と逢うことをためらう 入道夫婦、悩む

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原文

明石には、例の、秋は浜風の異なるに、独り寝もまめやかにものわびしうて、入道にもをりをり語らはせたまふ。「とかく紛らはして、こち参らせよ」とのたまひて、渡りたまはむことをばあるまじう思したるを、正身《さうじみ》はたさらに思ひ立つべくもあらず。「いと口惜しき際《きは》の田舎人《ゐなかぴと》こそ、仮に下りたる人のうちとけ言《ごと》につきて、さやうに軽らかに語らふわざをもすなれ、人数《ひとかず》にも思されざらんものゆゑ、我はいみじきもの思ひをや添へん。かく及びなき心を思へる親たちも、世ごもりて過ぐす年月こそ、あいな頼みに行く末心にくく思ふらめ、なかなかなる心をや尽くさむ」と思ひて、「ただこの浦におはせんほど、かかる御文ばかりを聞こえかはさむこそおろかならね。年ごろ音《おと》にのみ聞きて、いつかはさる人の御ありさまをほのかにも見たてまつらんなど思ひかけざりし御住まひにて、まほならねど、ほのかにも見たてまつり、世になきものと聞き伝へし御|琴《こと》の音《ね》をも風につけて聞き、明け暮れの御ありさまおぼつかなからで、かくまで世にあるものと思したづぬるなどこそ、かかる海人《あま》の中に朽ちぬる身にあまることなれ」など思ふに、いよいよ恥づかしうて、つゆもけ近きことは思ひ寄らず。

親たちは、ここらの年ごろの祈りのかなふべきを思ひながら、ゆくりかに見せたてまつりて思し数《かず》まへざらん時、いかなる嘆きをかせんと思ひやるに、ゆゆしくて、めでたき人と聞こゆとも、つらういみじうもあるべきかな、目に見えぬ仏神を頼みたてまつりて、人の御心をも宿世《すくせ》をも知らでなど、うち返し思ひ乱れたり。君は、「このごろの波の音《おと》にかの物の音《ね》を聞かばや。さらずはかひなくこそ」など常はのたまふ。

現代語訳

明石では、いつものように、秋は浜風が格別に心にしみるので、源氏の君は、独り寝も心底ものわびしくて、入道にも折々お話になる。

(源氏)「なんとか人目につかないよう工夫して、こちらに参らせよ」とおっしゃって、源氏の君のほうからお出ましになることはありえないことと思っていらっしゃるが、その姫君ご本人はまた、まったたく思い立つようすもない。

「ひどく残念な身分の田舎人なら、都から仮に下ってくる人の気休めの言葉を信じて、そのように軽々しく男女の契を結ぶこともあろうが、私なぞは源氏の君からしたら人の数にも思われないだろう者だから、万一そんな関係になったら、ひどい物思いをしょいこむことになるだろう。こうして及びもつかない高望みをしている親たちも、私が年若い娘として過ごしている年月に虚しい期待をかけて、私の行く末に期待をかけているのであろうが、万一私が源氏の君と結婚でもしたら、かえって物思いの限りを尽くすことになるだろう」と思って、「私はただ源氏の君がこの浦にいらっしゃる間、こうしたお手紙だけをやり取り申し上げるのが、並々でないしあわせだ。長年噂にだけ聞いていて、いつかはそうした立派な御方の御姿をちらりとでも拝見しようなどとは少しも思わなかった御住まいで、十分ではないけれど、ちらりとは拝見し、世に比べるものもないと聞き伝えている御琴の音をも風のたよりに聞き、明け暮れの御ようすも十分にうかがえて、自分のことをこうまで人並に思い訪ねてくださることなど、こうして海人の中に朽ちてしまう私の身に余ることなのだ」など思うにつけ、いよいよ恥ずかしくて、直接お逢いしようとはまったく思いよらない。

親たちはここ数年の祈りのかないそうなことをうれしく思いながらも、不用意に娘をお見せ申し上げて、源氏の君が娘を人並みに扱ってくださらなかった時、どんなに嘆くだろうと想像するに、不吉で、ご立派な人との評判ではあるが、そんなことになったら、ひどいつらいことだろう、目に見えぬ仏神にだけおすがりして、源氏の君の御心をも、娘の前世からの因縁をも配慮しないで…など、繰り返し思い悩んでいる

源氏の君は「このごろの波の音にあわせて、あの楽の音色を聞きたいものだ。そうでなくてはせっかくのよい気節の甲斐のないというものだ」などいつもおっしゃる。

語句

■正身 ご当人。入道の娘。 ■仮に下りたる人 国司として都から一時的に赴任したような人。 ■語らふ 男女が関係を持つ。 ■世ごもりて 「世ごもる」は年若い娘の状態。 ■あいな頼み 「あいなし」の語幹と「頼み」が結びついた形。虚しい頼り。頼るべきでない頼り。 ■心にくく 「心にくし」は何となく心ひかれる。 ■なかなかなる心… 万一源氏と結婚でもしたら、かえって心配事の限り尽くすことになるだろう。 ■おろかならね 「おろかなり」の未然形に打ち消しの助動詞「ず」の已然形のついた形。不十分でない。十分である。 ■まほ 真帆。十分であること。 ■聞き伝へし御琴の音 「かの岡辺の家も、松の響き波の音にあひて、心ばせある若人は身にしみて思ふべかめり」(【明石 08】)。 ■け近きこと 「気近きこと」は源氏と逢うこと。 ■ゆくりかに 不用意に。 ■思し数まへざらん時 源氏の君が、娘を人前に扱ってくれない場合。 ■知らで 下に「早まったことをして」などを省略。 ■かの物の音 娘の弾く琴の音色。

朗読・解説:左大臣光永

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