【松風 03】京より使い明石に下る 明石の君はじめ人々、離郷を前にして感慨にふける

親しき人々、いみじう忍びて下し遣はす。のがれ難くて、いまはと思ふに、年経つる浦を離れなむことあはれに、入道の心細くて独りとまらんことを思ひ乱れて、よろづに悲し。すべてなどかく心づくしになりはじめけむ身にかと、露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。親たちも、かかる御迎へにて上る幸ひは、年ごろ寝ても覚めても願ひわたりし心ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ見で過ぐさむいぶせさの、たへがたう悲しければ、夜昼思ひほれて、同じことをのみ、「さらば若君をば見たてまつらでははベるべきか」と言ふよりほかのことなし。母君もいみじうあはれなり。年ごろだに、同じ庵《いほり》にも住まずかけ離れつれば、まして誰によりてかは、かけとどまらむ。ただ、あだにうち見る人の、あさはかなる語らひだに、みなれそなれて、別るるほどはただならざめるを、まして、もてひがめたる頭《かしら》つき、心おきてこそ頼もしげなけれど、またさる方に、これこそは世を限るべき住み処《か》なれと、ありはてぬ命を限りに思ひて、契り過ぐしきつるを、にはかに行き離れなむも心細し。若き人々のいぶせう思ひ沈みつるは、うれしきものから、見捨てがたき浜のさまを、またはえしも帰らじかし、と寄する波にそへて、袖濡れがちなり。

現代語訳

源氏の君は、近しい家来たちを、たいそうお忍びで明石に下し遣わされる。明石の君は、これらのお使から逃れがたくて、今はお誘いに応じて上京するしかないと思うにつけ、長年暮らしてきた浦を離れることが悲しく思え、入道が心細く独り明石に残ることを思うと心が乱れて、万事悲しい気持ちになる。

だいたい、どうしてこんな物思いの限りを尽くすような身になってしまったのだろうかと、源氏の君から顧みられない人々をうらやましく覚える。親たちも、こうした御迎えに応じて上京する幸せは、長年寝ても覚めてもずっと願ってきた本望がかなうのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに顔を見ずに暮らすことになる心細さが、耐え難いほど悲しいので、夜も昼も呆然として、同じことばかり、(入道)「ならば若君をもう拝見せぬままに暮らさなくてはならぬのか」と言ってばかりである。

母君もたいそう悲嘆にくれている。ここ数年は入道とは同じ庵にも住まず離れて暮らしていたので、まして娘が上京してしまえば、誰をたよりに、ここにとどまっていられよう。ただ浮気心から始まった人との、かりそめの関係でさえ、やがてその関係に馴れて、別れるときは並々ならぬ思いになるようだが、ましてこの入道は、偏屈らしい頭の形といい、気性といい、頼もしいかんじではないけれど、またそれはそれで、ここ明石の浦こそ一生暮らすことになるだろう住処であると、永遠には生きられない命が果てるまでは一緒に過ごそうと思って、そう約束してこれまできたのに、にわかに行き離れてしまうのも心細い。若い人々で田舎暮らしを鬱陶しく思って落ち込んでいた者は、うれしくはあるのだが、見捨てがたい浜の景色を、二度と帰ってこれないだろうと、寄せる波になぞらえて、袖が涙で濡れがちである。

語句

■露のかからぬたぐひ 源氏の君の恩恵の露を受けない人々。 ■さらば 明石の君が上京するならば。 ■はべるべきか 「はべる」は「暮らす」の謙譲語。 ■同じ庵にも住まず 入道は浜辺の家に、尼君は岡辺の家に明石の君と住んでいた。 ■みなれそなれて 見慣れて。「みなれ木のみなれそなれてはなれなばこひしからじや恋しからむや」(源氏釈、奥入)。「みなれ木」は水に浸ってよれよれになった木。「見馴れ」をかける。「そなれ」は「磯馴れ」。ここでは「みなれそなれ」で語調を整えているのみ。歌意は長く付き合ってお互いに馴れた関係になって、いざ離れ離れになるとそれは恋しいに決まっている。 ■まして 「心細し」にかかる。 ■もてひがめたる 偏屈な。 ■頼もしげなけれど 「頼もしげなれど」とする本もある。意味は逆になる。 ■ありはてぬ命 「官解けてはべりけるときよめる/ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今・雑下 平貞文)。歌意は、永遠には生きられないその限りある命の間くらいは、あまり辛い思いばかりはしたくないものだなあ。 ■若き人々 都から明石に来ているので田舎暮らしが辛い(【若紫 03】)。 ■思ひ沈む 「思ひ沈む」「帰らじ」「寄する波」「濡る」は「浜」の縁語。 ■そへて 「そふ」は比べる。なぞらえる。参考「いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな」(『伊勢物語』七段)。

朗読・解説:左大臣光永

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