【松風 12】源氏、姫君の引き取りについて紫の上に相談

原文

殿《との》におはして、とばかりうち休みたまふ。山里の御物語など聞こえたまふ。「暇《いとま》聞こえしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。このすき者どもの尋ね来て、いといたう強《し》ひとどめしにひかされて。今朝《けさ》はいと悩まし」とて、大殿寵《おおとのごも》れり。例の、心とけず見えたまへど、見知らぬやうにて、「なずらひならぬほどを思しくらぶるも、わるきわざなめり。我は我と思ひなしたまへ」と教へきこえたまふ。暮れかかるほどに、内裏《うち》ヘ参りたまふに、ひきそばめて急ぎ書きたまふは、かしこへなめり。側目《そばめ》こまやかに見ゆ。うちささめきて遣はすを、御達《ごたち》など憎みきこゆ。

その夜は内裏《うち》にもさぶらひたまふべけれど、とけざりつる御気色とりに、夜更けぬれどまかでたまひぬ。ありつる御返り持て参れり。えひき隠したまはで御覧ず。ことに憎かるべき節も見えねば、「これ破り隠したまへ。むつかしや。かかるものの散らむも、今はつきなきほどになりにけり」とて、御|脇息《けふそく》に寄りゐたまひて、御心の中《うち》には、いとあはれに恋しう思しやらるれば、灯《ひ》をうちながめて、ことにものものたまはず。文は広ごりながらあれど、女君見たまはぬやうなるを、「せめて見隠したまふ御|眼尻《まじり》こそわづらはしけれ」とてうち笑みたまへる、御|愛敬《あいぎやう》ところせきまでこぼれぬべし。さし寄りたまひて、「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとてものめかさむほども憚り多かるに、思ひなむわづらひぬる。同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ。いかがすべき。ここにてはぐくみたまひてんや。蛭《ひる》の子が齢《よはひ》にもなりにけるを。罪なきさまなるも、思ひ棄てがたうこそ。いはけなげなる下《しも》つかたも、紛らはさむなど思ふを、めざましと思さずはひき結ひたまへかし」と聞こえたまふ。「思はずにのみとりなしたまふ御心の隔てを、せめて見知らずうらなくやは、とてこそ。いはけなからん御心には、いとようかなひぬべくなん。いかにうつくしきほどに」とて、すこしうち笑みたまひぬ。児《ちご》をわりなうらうたきものにしたまふ御心なれば、得て抱《いだ》きかしづかばや、と思す。

いかにせまし、迎へやせまし、と思し乱る。渡りたまふこといとかたし。嵯峨野の御堂《みだう》の念仏など待ちいでて、月に二度ばかりの御契りなめり。年の渡りには、たちまさりぬべかめるを、及びなきことと思へども、なほいかがもの思はしからぬ。

現代語訳

源氏の君は、二条院にお戻りになって、しばらくの間お休みになる。山里の御物語などを女君(紫の上)にお話なさる。(源氏)「暇をお願い申し上げた日数が過ぎてしまいましたので、ひどく心苦しいことです。この風流人たちが尋ねてきて、それはもう強引に引き止めたのに引かされて遅くなりました。今朝はひどく気分が悪い」といって、お休みになった。

女君(紫の上)は、いつものように、不機嫌にお見えになるが、源氏の君は、それには気づかないような風で、「比べものにもならならほどの人のことを思い比べるのも、よくないことでしょう。自分は自分と思うようになさい」と教え申し上げなさる。

暮れかかる頃に宮中へ参上される折に、脇に隠すように急いで書いていらっしゃるのは、あちらへのお手紙だろう。傍目にもこまごまと心を込めて書いてあるように見える。源氏の君がそっと使の者にささやいて手紙を遣わすのを、女房たちは恨めしく思い申し上げる。

その夜は源氏の君は宮中で宿直なさることになっていたが、女君(紫の上)の解けないご機嫌取りに、夜が更けてしまったがご退出なさった。使者がさきほどのお手紙のお返事を持って参上している。源氏の君はそれをお隠しになることができず御覧になる。別段問題あるような内容も見えないので、(源氏)「これを破ってお隠しください。厄介なことですよ。こうしたものが散らばっているのも、今はふさわしくない年齢になってしまいましたよ」といって、御脇息に寄りかかっていらっしゃるが、御心の中には、たいそうしみじみ恋しく女君(明石の君)のことを思いやっていらっしゃるので、灯をながめて、何もおっしゃらない。手紙は広げたままにそこにあるが、女君(紫の上)は御覧にならないようであるのを、(源氏)「わざと見て見ぬふりをなさる御眼尻がわずらわしいことですよ」といって微笑まれる、そのご様子は、優しい美しさがあたりいっぱいにこぼれるようである。源氏の君は女君(紫の上)にお寄りになって、(源氏)「本当は、可愛らしい姫君を見たので、前世からの契りも浅からず見えるのですが、そうはいっても一人前に扱うのも気兼ねが多いので、思い悩んでいたのですよ。私と一緒に考えて、貴女のお考えで決めていただきたいのです。いかがいたしましょう。ここでお育てしてよいでしょうか。蛭の子の年齢にもなりましたのに。罪のないさまも、見捨てがたいものがあります。幼なげな腰のあたりも、人目に紛れるようにしたいなど思うのですが、目障りとお思いにならぬなら、袴を結ってあげていただけませんか」と申し上げなさる。

(紫の上)「私が嫉妬しているなどと思いもよらぬことばかり邪推なさる君の御心には距離を感じますが、(貴方が明石の姫君を引き取ろうとしていることを)あえて気づかないふりをしていていてよいわけがございません(私は気づいています)。だからこそ、お恨み申し上げもするのです。姫君の幼ない御心には、私はたいそうよく合うに違いありません。姫君はさぞかしお可愛い御年におなりでしょうね」といって、すこしお笑いになった。女君は幼子をひたすら可愛いものとお思いになる御気性なので、引き取って自分で養育しなくてはとお思いになる。

「どうしたものか。迎えとったものか」と源氏の君はお迷いになる。大堰邸においでになることはひどく難しい。嵯峨野の御堂の念仏会などを待って、月に二度ほどの御契りであるようだ。年に一度の七夕の契りよりはましだろうが、女君(明石の君)は、及び難いこととあきらめてはいるものの、やはりどうして物思いせずにおれようか。

語句

■とばかり しばらくの間。 ■山里の御物語 大堰滞在中の話。 ■暇聞こえしほど過ぎつれば ニ、三日の予定が五日になった。 ■ひかされて 下に「遅くなりました」の意を省略。 ■なずらひならぬほど 明石の君のこと。紫の上は親王の娘。明石の君は受領の娘。身分に歴然とした差がある。 ■我は我と 紫の上は明石の君を強く意識して嫉妬している。その上で「私は私」と強く自分を保とうとするが、その自信はゆるぎがちである。「我は我と、うち背きながめて」(【澪標 08】)。 ■ひきそばめて 脇に隠すようにして。 ■かしこへ 大堰邸の明石の君のもとへ。 ■うちささめきて 紫の上に見つからないように。 ■御達 女房の敬称。 ■その夜は内裏にもさぶらひたまふべけれど 六日間の物忌明けで、帝からの御文もいただいているから。 ■えひき隠したまはで 紫の上がそばにいるから。 ■今はつきなきほどに 年齢的にも地位的にも、こうした恋文のようなものが人目につくのはふさわしくないと。 ■らうたげなるもの 明石の姫君。 ■ものめかさむ 「ものめかす」は一人前に扱う。 ■蛭の子 イザナギ・イザナミの長子蛭の子は三歳になっても足が立たなかったという故事による(日本書紀・神代巻上)。 ■いはけなげなる下つかたも、紛らはさむ 幼い心地の下半身を、人目に隠したい→袴で覆いたい→袴着の式をしたい。だからあなたが腰結いをつとめてほしいということ。「袴着」は三歳から七歳までに子の成長を願って初めて袴を着せる儀式。この時袴の紐を結ぶのを着袴親といいとくに大切な役だった。 ■思はずにのみとりなしたまふ 源氏が、紫の上が嫉妬ばかりすると邪推すること。 ■御心の隔て 距離を感じること。 ■せめて見知らずうらなくやは 反語。下に「あらむ」を省略。貴方が姫君を引き取ろうとしていることを(または明石の君のもとに通っていることを)、知らないふりをしていいものでしょうか。よくない。 ■とてこそ 下に「恨み申し上げもするのです」の意を省略。 ■いかにうつくしきほどに 下に「なりたまひぬらむ」が省略。紫の上の言葉はとても回りくどく奥歯にものがはさまった感じである。嫉妬している自分を源氏に気取られたくないというためらいがあるせいだろう。 ■月に二度 十四、五日と晦日の二度。 ■年の渡り 「玉かづら絶えぬものからあらたまの年のわたりはただ一夜のみ」(後撰・秋上 読人しらず)。歌意は、天界につながる蔓草は絶えることはないのに牽牛織女は年に一度しか逢えない。

朗読・解説:左大臣光永

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