【薄雲 19】源氏、大堰を訪ね、明石の君と歌の贈答

山里の人も、いかになど、絶えず思しやれど、ところせさのみまさる御身にて、渡りたまふこといと難《かた》し。「世の中を、あぢきなくうし、と思ひ知る気色、などかさしも思ふべき。心やすく立ち出でて、おほぞうの住まひはせじ、と思へるを、おほけなし」とは思すものから、いとほしくて、例の不断《ふだん》の御念仏にことつけて残りたまへり。

住み馴るるままに、いと心すごげなる所のさまに、いと深からざらむことにてだにあはれ添ひぬべし。まして見たてまつるにつけても、つらかりける御契りのさすがに浅からぬを思ふに、なかなかにて慰めがたき気色なれば、こしらへかねたまふ。いと木繁《こしげ》き中より、篝火《かがりび》どもの影の、遣水《やりみず》の螢《ほたる》に見えまがふもをかし。「かかる住まひにしほじまざらましかば、めづらかにおぼえまし」とのたまふに、

「いさりせし影わすられぬかがり火は身のうき舟やしたひきにけん

思ひこそまがへられはべれ」と聞こゆれば、

「あさからぬしたの思ひをしらねばやなほかがり火のかげはさわげる

誰《たれ》うきもの」とおし返し恨みたまふ。おほかたもの静かに思さるるころなれば、尊《たふと》きことどもに御心とまりて、例よりは日ごろ経たまふにや、すこし思ひ紛れけむとぞ。

現代語訳

山里の人(明石の君)も、どうしていらっしゃるだろうなど、絶えずお思いやりになられるが、窮屈さばかりがまさる御身なので、おいでになることはとても難しい。「世の中を、つまらなく憂鬱なものと諦めている様子、だがどうしてそんなに思うことがあろう。うかつに人中に出てきて、並たいていの暮らしはするまい、と思っているのは身分不相応である」とはお思いになるが、気の毒で、いつもの不断の御念仏にことつけておいでになった。

大堰は、住み慣れてくるにしたがって、たいそう心細い所のさまなので、それほど深い事情がなくても、しみじみとした風情が加わるようである。

まして源氏の君を拝見するにつけても、つらかった前世からのご宿縁が、そうはいってもやはり浅くはなかったことを思うと、かえって心慰めがたいようすなので、源氏の君は慰めかねていらっしゃる。

こんもりと木々が繁った中から、多くの篝火の光が、遣水の螢と見間違えられるのも風情がある。

(源氏)「以前、このような住まいで苦労したことがもしなかったとしたら、今のあの篝火を珍しいものに思ったことでしょう」とおっしゃると、

(明石)「いさりせし…

(明石の浦で漁をした時の忘れがたい篝火を思い起こさせるあの篝火の光は、浮き舟が私についてくるように、辛い思い出が私を追ってきたのでしょうか)

「篝火も、辛い思いも、あの時のままに存ぜられます」と申し上げると、

(源氏)「あさからぬ…

(深い水の下の心を知らないからだろうか、やはり篝火の火影は水面で乱れ騒いでいる。そんなふうに貴女は私の深い心を知らないからだろうか、やはり貴女一人で嘆き悲しんでいる)

『誰うきもの』ですよ」とこちらからも恨み言をおっしゃる。大体においてもの静かにお思いになる時節なので、尊いさまざまな仏事に御気が向いて、いつもよりは日数多くご滞在になられたからであろうか、女君(明石の君)も、すこし思い紛れただろうということである。

語句

■立ち出でて 二条院に住むこと。 ■例の不断の御念仏 「嵯峨野の御堂《みだう》の念仏など待ちいでて、月に二度ばかりの御契りなめり」(【松風 12】)。 ■つらかりける御契 滅多に逢えないこと。 ■さすがに浅からぬ 明石の姫君が生まれてたこと。 ■篝火どもの影の 大堰川の鵜舟の篝火。 ■かかる住まひにしほじまざらましかば 明石での暮らしを回想。「潮染む」は潮水や潮気がしみこむ。明石での苦労多き生活のことをいう。 ■めづらかにおぼえまし もし明石の浦での苦労生活がなければ、今の目の前の篝火を珍しい、初めて見るもののように思えるでしょう。しかし私たちには明石で共に暮らしたあの苦労生活の思い出があるので、今の篝火も過去を思い出す、なつかしいよすがに思えるのですの意。源氏は、共通の思い出を持ち出して明石の君をおだてる。 ■いさりせし 「いさりせし影」は明石の浦で漁をしていた篝火の火影。「うき舟」は「(身の)憂き」と「浮き舟」をかける。「篝火」の縁語。明石の君の歌は技巧が多く難解だがよくよく意味をとって味わうと深い情緒がにじみ出てくる。 ■思ひこそ 「思ひ」に「火」をかける。 ■あさからぬ… 「篝火の影となる身のわびしきは流れて下に燃ゆるなりけり」(古今・恋一 読人しらず)を引く。「思ひ」に「火」をかける。参考「篝火の影もさわがね池水に幾千代すまむ法(のり)の光ぞ(紫式部) 澄める池の底まで見する篝火のまばゆきまでもうきわが身かな(大納言の君)」(紫式部集。詞書略)。 ■誰うきもの 「うたかたも思へば悲し世の中をたれ憂きものと知らせそめけむ」(古今六帖三 素性法師)。歌意は「うたかたのような儚い世の中を思えば悲しい。この世の中を憂きものと誰があなたに教えたのでしょうか」。

朗読・解説:左大臣光永

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