【朝顔 01】源氏、式部卿宮邸に女五の宮を訪ねる
斎院《さいゐん》は、御|服《ぶく》にておりゐたまひにきかし。大臣《おとど》、例の思しそめつること絶えぬ御|癖《くせ》にて、御とぶらひなどいとしげう聞こえたまふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞こえたまはず。いと口惜しと思しわたる。
長月《ながつき》になりて、桃園《ももぞの》の宮に渡りたまひぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御とぶらひにことづけて参うでたまふ。故院の、この御子たちをば、心ことにやむごとなく思ひきこえたまへりしかば、今も親しく次々に聞こえかはしたまふめり。同じ寝殿の西東《にしひむがし》にぞ住みたまひける。ほどもなく荒れにける心地して、あはれにけはひしめやかなり。
宮、対面《たいめん》したまひて、御物語聞こえたまふ。いと古めきたる御けはひ、咳《しはぶき》がちにおはす。このかみにおはすれど、故|大殿《おほとの》の宮は、あらまほしく古りがたきありさまなるを、もて離れ、声ふつつかに、こちごちしくおぼえたまへるも、さる方なり。
「院の上崩《うへかく》れたまひて後、よろづ心細くおぼえはべりつるに、年のつもるままに、いと涙がちにて過ぐしはべるを、この宮さへかくうち棄てたまへれば、いよいよあるかなきかにとまりはべるを、かく立ち寄り訪《と》はせたまふになむ、もの忘れしぬべくはべる」と聞こえたまふ。かしこくも古りたまへるかなと思へど、うちかしこまりて、「院崩れたまひて後は、さまざまにつけて、同じ世のやうにもはべらず。おぼえぬ罪に当りはべりて、知らぬ世にまとひはべりしを、たまたま朝廷《おほやけ》に数《かず》まへられたてまつりては、またとり乱り暇《いとま》なくなどして、年ごろも、参りていにしへの御物語をだに聞こえ承《うけたまわ》らぬを、いぶせく思ひたまへわたりつつなむ」など聞こえたまふを、「いともいともあさましく、いづ方につけても定めなき世を、同じさまにて見たまへすぐす、命長さの恨めしきこと多くはべれど、かくて世にたち返りたまへる御よろこびになむ、ありし年ごろを見たてまつりさしてましかば、口惜しからまし、とおぼえはべり」と、うちわななきたまひて、「いときよらにねびまさりたまひにけるかな。童《わらは》にものしたまへりしを見たてまつりそめし時、世にかかる光の出でおはしたることと驚かれはべりしを。時々見たてまつるごとに、ゆゆしくおぼえはべりてなむ。『内裏《うち》の上なむ、いとよく似たてまつらせたまへる』と、人々聞こゆるを、さりとも劣りたまへらむとこそ、推《お》しはかりはべれ」と、ながながと聞こえたまへば、ことにかくさし向ひて人のほめぬわざかなと、をかしく思す。「山がつになりて、いたう思ひくづほれはべりし年ごろの後、こよなく衰へにてはべるものを。内裏《うち》の御|容貌《かたち》は、いにしへの世にも並ぶ人なくやとこそ、ありがたく見たてまつりはべれ。あやしき御|推《お》しはかりになむ」と聞こえたまふ。「時々見たてまつらば、いとどしき命や延びはべらむ。今日は老も忘れ、うき世の嘆きみなさりぬる心地なむ」とても、また泣いたまふ。「三の宮うらやましく、さるべき御ゆかりそひて、親しく見たてまつりたまふを、うらやみはべる。この亡せたまひぬるも、さやうにこそ悔いたまふをりをりありしか」とのたまふにぞ、すこし耳とまりたまふ。「さもさぶらひ馴れなましかば、今に思ふさまにはべらまし。みなさし放たせたまひて」と、恨めしげに気色ばみきこえたまふ。
現代語訳
斎院は、父君(桃園式部卿宮)の喪に服すために斎院をお下りになったのである。源氏の大臣は、例によって、思い初めなさったことをいつまでも忘れない御癖で、お見舞いのお手紙などたいそう頻繁に差し上げなさる。宮は、煩わしかったことをお思い出されて、お返事もお心ゆるしてはなさらない。源氏の君はそれをひどく残念にずっと思っていらっしゃる。
長月になって、斎院が、桃園の宮においでなさったのを聞いて、源氏の君は、女五の宮がそこにいらっしゃるので、そちらのお見舞いを口実にしてお参りになられる。故院(桐壺院)が、この宮たちを特別に大切に思っていらっしゃったので、源氏の君は、今も親しくずっとお付き合いなさっておられるようである。斎院と、女五の宮は、同じ寝殿の西と東にお住まいになっていらっしゃる。まだそれほど月日もたっていないのに、荒れ果てた感じがして、あたりの気配もしみじみとわびしい風情がただよっている。
五の宮が、源氏の君に対面なさって、お話し申し上げなさる。たいそう古めかしい御ようすで、何度も咳をしていらっしゃる。
五の宮の姉君でいらっしゃるが、故大殿の宮は、誰もがこうありたいというくらいに若々しい御ようすであるが、こちらはまったく違って、声は太く、ごちごちした感じでいらっしゃるのも、そういう境遇の違いからきているのである。
(女五の宮)「院(桐壺院)がお隠れあそばしてから、万事心細く思っておりましたが、年の重なるにつれて、たいそう涙がちに過ごしてございましたところに、この宮(式部卿宮)までもこうして私を置き去りにして逝ってしまわれましたので、いよいよ生きているのか死んでいるのかわからない状態で生きながらえてございますのを、こうして立ち寄りご訪問いただくことは、辛いことも忘れてしまいそうでございます」と申し上げなさる。源氏の君は、ひどくお年を召されたものだとは思うが、恐縮して、(源氏)「院がお隠れあそばしてからは、さまざまの事につけて、前と同じ世のようではなくなりました。身におぼえのない罪に当たりまして、見聞きしたこともない世界に迷ってございましたが、幸運にもふたたび朝廷から人数に入れていただけるようになってからは、また落ち着き無く暇もないような次第でして、ここ数年も、おうかがいして、せめて昔のお話を申し上げ、またお聞きすることさえ叶わぬことを、ずっと気が晴れないことに思ってございました」など申し上げなさるのを、(女五の宮)「ほんとにまあ、呆れるほど、どちらを見ても無常の世の中を、私一人が同じありさまでじっと過ごしてまいりましたが、長生きして恨めしいことも多くございますが、こうして貴方さまが世間に立ち返りなさった御よろこびを見るにつけ、ここ幾年かを拝見せずじまいになっておりましたら、さぞ残念だったろうと、思われます」と、お震えになって、(女五の宮)「たいそう美しく、以前よりご立派になられたものですね。童でいらっしゃったのを初めに拝見しました時、世にこんな光輝くような御方がご誕生なさったことと驚かれましたのですが。時々拝見いたしますたびに、不吉に思って心配しておりました。『帝は、源氏の君とたいそうにく似ていらっしゃる』と、人々がお噂申し上げておりますが、私は、そうはいってもやはり、貴方様と比べたらお見劣りあそばすだろうと、推察しているのでございますよ」と、長々と申し上げなさるので、源氏の君は、「わざわざこのように面と向かって人を褒めるものではないのに」と、滑稽にお思いになる。
(源氏)「山賤になって、たいそう落ちぶれてございました数年の後は、ひどく衰えてございましたのに。帝の御容貌は、昔の世にも並ぶ人がないだろうと、たいそう世に珍しく拝見しております。御推察は当たらないものと存じます」と申し上げなさる。
(女五の宮)「時々貴方を拝見したら、ただでさえ長い命がさらに延びるでしょう。今日は老いも忘れ、うき世の嘆きがみな去ったような気持ちです」といって、またお泣きになる。(女五の宮)「三の宮がうらやましく、しかるべき御縁の御方がおできになって、親しくお世話申し上げなさっていることを、羨ましく存じます。こちらの亡くなった宮(式部卿宮)も、そんなふうに後悔なさっている折々がございましたけれど」とおっしゃると、源氏の君はすこし耳をお止めになる。(源氏)「そのようにしていつもお近づきさせていただいていたなら、今、こうして物思いに沈むようなことはございませんでしたでしょうに。皆で私を遠ざけようとなさいまして」と、恨めしそうに心の内をほのめかして申し上げなさる。
語句
■斎院 故桐壺院の弟宮、式部卿宮の姫君。源氏が朝顔の花をつけて文を贈った(【帚木 12】)ことから朝顔の姫君(【葵 03】、【賢木 14】)、朝顔の宮(【葵 21】)と呼ばれる。源氏の求愛を拒んでいた。その理由は六条御息所との関係にかんがみて源氏とつながることを怖れたとある。とはいえ朝顔の姫君はここまで断片的にしか登場していない。帚木巻の前に散逸した巻があるという説も。斎院は賀茂神社に奉仕する未婚の内親王または女王。 ■御服 服喪。 ■例の思しそめつること絶えぬ御癖 帚木巻から現在まで、物語中で十六年の歳月が経過している。その間、源氏は朝顔の姫君への文を絶やさなかったことになる。 ■わづらはしかりしことを思せば 朝顔の姫君が源氏からの求婚を「わづらはし」と思った描写はこれまでの巻にない。帚木巻の前に散逸した巻があるという説の根拠の一。 ■桃園の宮 朝顔の姫君の父、式部卿宮の邸。一条通り北、大宮通り西のあたりという。現在このあたりには浄土宗長栄寺があるが「桃園」の名残は見えない。 ■女五の宮 故桐壺院、故式部卿宮の妹宮。 ■この御子たち 女五の宮たち。 ■同じ寝殿の西東に 西半分に朝顔の姫君が、東半分に女五の宮がすまった。朝顔の姫君と女五の宮は姪と叔母。 ■御けはひ 源氏は几帳や簾ごしに女五の宮と対面している。その姿を直接見てはいない。衣擦れの音や簾ごしの人影から感じ取るのである。 ■故大殿の宮 故太政大臣(もとの左大臣)の正妻。源氏の正妻葵の上の母。女三の宮。この女五の宮の姉に当たる。 ■さる方 女三の宮は太政大臣の妻として何不自由なく、一方女五の宮は独身で、自由にならない境遇である。そういう両者の境遇のちがいをふまえる。 ■院の上崩れたまひて 桐壺院の崩御は源氏二十三歳の年(【賢木 10】)。十年前。 ■かしこくも 「かしこし」は畏れ多いの意だが、ここでは程度が甚だしい意をかねる。 ■おぼえぬ罪に当たりて 謀反の疑いをかけられたこと。 ■知らぬ世にまどひはべりし 須磨・明石に流謫生活を送ったこと。 ■たまたま朝廷に数まへられたまひて 罪赦され再び朝廷の一員として迎えられたこと。 ■同じさま 独身の老女としての見苦しいさま。 ■見たまへすぐす 「見すぐす」の間に謙譲の「たまへ」が入った形。「見すぐす」は、じっと我慢して日を過ごすの意。 ■命長さの恨めしきこと多くはべれど 桐壺更衣の母にも似た趣旨の発言があった。「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに…」(【桐壺 07】)。参考「命長ければ辱(はじ)多し」(徒然草七段)。 ■見たてまつりさして 源氏が政界に復帰したここ数年を見届けずに途中で死んでいたら、さぞ後悔が残ったろう。しかし実際は源氏の政界復帰を見とどけることができたので幸いだの意。 ■童にものしたまへりし 「なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人光る君と聞こゆ」(【桐壺 13】)。 ■ゆゆしく 源氏があまりにも美しいので若死にするのではないかと心配する。「いとど、この世のものならず、きよらにおよすけたまヘれば、いとゆゆしう思したり」(【桐壺 09】)。 ■内裏の上 冷泉帝。「さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取りたまへるさま、違ふべくもあらず」(【紅葉賀 09】)。 ■山賤になりて 「山賤」は須磨・明石謫居時代の自分を卑下していう。 ■あやしき御推しはかり 前の女三の宮の「さりとも劣りたまへらむとこそ、推しはかりはべれ」をやんわりと否定する。 ■三の宮 五の宮の姉。葵の上の母。故太政大臣の正妻。 ■さるべき御ゆかり 源氏と葵の上の間に夕霧が生まれていること。または女三の宮が源氏を娘婿としていること。 ■親しく見たてまつりたまふを 女三の宮が、源氏を。 ■この失せるたまひぬる 故式部卿宮。 ■さやうにこそ 式部卿宮は娘の朝顔を斎院としたが、それ以前に源氏の妻としておけばよかったと後悔していたと。 ■すこし耳とまりたまふ 式部卿宮の娘、朝顔に言い寄る源氏にとって、式部卿宮が源氏を婿にしようとしていたという話は好都合だから。 ■さもさぶらひ馴れましかば 式部卿宮の娘婿となって式部卿宮一族と身内となること。 ■みなさし放たせたまひて 「みな」は式部卿宮とその娘(朝顔)。朝顔は源氏の求婚を避けて斎院に立った(【賢木 14】)。