【朝顔 05】源氏、女五の宮の見舞いを口実に式部卿宮邸に出かける

夕つかた、神事《かむわざ》などもとまりてさうざうしきに、つれづれと思しあまりて、五の宮に例の近づき参りたまふ。雪うち散りて、艶なる黄昏《たそかれ》時に、なつかしきほどに馴れたる御衣どもを、いよいよたきしめたまひて、心ことに化粧《けそう》じ暮らしたまへれば、いとど心弱からむ人はいかがと見えたり。

さすがに、罷《まか》り申しはた聞こえたまふ。「女五の宮の悩ましくしたまふなるを、とぶらひきこえになむ」とて、突《つ》いゐたまへれど、見もやりたまはず。若君をもてあそび、紛らはしおはする側目《そばめ》のただならぬを、「あやしく御気色のかはれるべきころかな。罪もなしや。塩焼《しほや》き衣《ごろも》のあまり目馴れ、見だてなく思さるるにやとて、と絶えおくを、またいかが」など聞こえたまへば、「馴れゆくこそげにうきこと多かりけれ」とばかりにて、うち背《そむ》きて臥《ふ》したまへるは、見捨てて出でたまふ道ものうけれど、宮に御消息聞こえたまひてければ、出でたまひぬ。

かかりけることもありける世を、うらなくて過ぐしけるよと、思ひつづけて臥したまへり。鈍《に》びたる御|衣《ぞ》どもなれど、色あひ重なり好ましくなかなか見えて、雪の光にいみじく艶なる御姿を見出だして、まことに離《か》れまさりたまはば、と忍びあへず思さる。御前など忍びやかなるかぎりして、「内裏《うち》よりほかの歩《あり》きは、ものうきほどになりにけりや。桃園の宮の心細きさまにてものしたまふも、式部卿宮《しきぶきやうのみや》に年ごろは譲《ゆづ》りきこえつるを、今は頼むなど思しのたまふむも、ことわりにいとほしければ」など、人々にものたまひなせど、「いでや。御すき心の古《ふ》りがたきぞ、あたら御|瑕《きず》なめる。軽々しき事も出で来なむ」などつぶやきあへり。

現代語訳

夕方、神事などもご停止になって物足りないので、源氏の君は所在なさを持て余されて、女五の宮の近くに例によって、参上なさる。雪が降り散って、優美な夕暮れ時に、しっとりと着馴れているお召し物に、いよいよ香を焚き染めなさって、とくに入念にめかし込んで、日暮れを迎えられたのだから、たいそう心強くないような女性なら、きっと源氏の君に簡単になびいてしまうだろうと思われる。

やはり源氏の君はさすがにご出発のご挨拶は女君(紫の上)に申し上げなさる。(源氏)「女五の宮がご気分を悪くしていらっしゃるそうですから、お見舞い申し上げに」といって、ひざまづいていらっしゃるが、女君(紫の上)は目をお向けにもならない。若君をあやして、こちらには気づかぬふりをしていらっしゃる横顔がただならぬのを、(源氏)「最近はひどくご機嫌ななめのようですね。私には罪もないのですよ。塩焼き衣ではないが、あまり見慣れて、つまらなく思われるのではないかと、貴女と会うことに絶え間を置いているのです。それをまたどんなふうにお取りになるのやら」など申し上げなさると、(紫の上)「『馴れゆく』ことはなるほど、悲しいことが多いのですね」とだけおっしゃって、あちらを向いて横になっていらっしゃるのは、見捨ててご出発なさる道中も憂鬱だけれど、すでに宮(女五の宮)にご連絡申し上げたので、ご出発なさった。

こうしたこともありうる夫婦関係だったのを、疑うこともなくよくも過ごしてきたものだと、思いつづけて横になっていらっしゃる。鈍色のお召し物だけれど、色あいが重なってかえって良く見えて、雪の光に映えてたいそう優艶な君の御姿を見送って、本当に今以上にお離れになってしまったらと、女君(紫の上)はいたたまれない気持ちでいらっしゃる。

御先駆《さき》なども目立たない者ばかりで、(源氏)「参内以外の外出は、気が重い年になってしまったな。桃園の宮(女五の宮)が心細く暮らしていらっしゃるのを、これまでは式部卿宮にそのお世話をおまかせ申し上げていたのに、『今後は頼む』など心配して式部卿宮が私におっしゃったのも道理であるし、桃園の宮が気の毒なので」など、人々に言い繕われるが、(人々)「さあどうだか。御浮気心はやみがたいものですからな、惜しい御欠点であるようですよ。軽はずみな事態にもなりはしないでいょうか」など、人々はつぶやきあっている。

語句

■さすがに 朝顔の姫君に執心しているとはいっても、やはり。 ■突いゐたまへど 「突いゐる」は膝をつく。 ■若君 明石の姫君。 ■かはれるべきころかな 「べき」は「つき」の誤写とする説がある。 ■塩焼き衣 出典不明。参考「須磨のあまの塩焼き衣なれゆけばうとくのみこそなりまさりけれ」(源氏釈)。源氏の言うことの趣旨は、あまり頻繁に会っていると新鮮さが薄れ感動がなくなるからあえて距離を置いているのですという言い訳。 ■いかが 下に「邪推なさるのか」の意を補う。 ■馴れゆくこそ… 源氏の「塩焼き衣」の言葉を受けて言う。「馴れゆくは憂き世なればや須磨のあまの塩焼き衣間遠なるらむ」(新古今・恋三 徽子内親王)。 ■かかりけること 源氏の愛情が自分以外に向かうこと。 ■うらなくも 「うらなし」は何心もなく、うっかりしていること。前出の紫の上の歌に「うらなくも思ひけるかな契りしを松より浪は越えじものぞと」(【明石 14】)。 ■なかなか見えて 平常服よりもかえって映える。 ■離れまさりたまはば 下に「いかにせむ」などを省く。 ■譲りきこえつる 式部卿宮が桃園の宮の世話を源氏に依頼した話はこれまでになく、唐突。源氏の作り話か。 ■ことはりに 式部卿宮の死後は、花園の宮が心配なのも無理のないことである。 ■人々に お供の人々に。

朗読・解説:左大臣光永

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