【少女 06】夕霧、源氏の御前で寮試の模擬試験を受け、見事な成績を出す

今は寮試《れうし》受けさせむとて、まづわが御前《おまへ》にて試みさせたまふ。例の大将、左大弁、式部大輔《しきぶのたいふ》、左中弁などばかりして、御師の大内記《だいないき》を召して、史記の難《かた》き巻々、寮試受けんに、博士のかヘさるべきふしぶしを引き出でて、ひとわたり読ませたてまつりたまふに、至らぬ句もなくかたがたに通はし読みたまへるさま、爪《つま》じるし残らず、あさましきまであり難ければ、さるべきにこそおはしけれど、誰《たれ》も誰も涙落したまふ。大将は、まして、「故大臣《こおとど》おはせましかば」と聞こえ出でて、泣きたまふ。殿も、え心強うもてなしたまはず、「人の上にて、かたくななりと見聞きはべりしを、子の大人《おとな》ぶるに、親の立ちかはり痴《し》れゆくことは、いくばくならぬ齢《よはひ》ながら、かかる世にこそはべりけれ」などのたまひて、おし拭《のご》ひたまふを見る御師の心地、うれしく面目《めいぼく》あり、と思へり。大将|盃《さかづき》さしたまへば、いたう酔《ゑ》ひしれてをる顔つき、いと痩《や》せ痩せなり。世のひがものにて、才《ざえ》のほどよりは用ゐられず、すげなくて身貧しくなむありけるを、御覧じうるところありて、かくとりわき召し寄せたるなりけり。身にあまるまで御かへりみを賜はりて、この君の御徳にたちまちに身をかへたると思へば、まして行く先は並ぶ人なきおぼえにぞあらんかし。

現代語訳

今はもう寮試を受けさせようということで、まず源氏の大臣の御前で模擬試験を受けさせなさる。

例によって右大将、左大弁、式部大輔、左中弁などだけが参列して、御師の大内記を召して、史記の難しい巻々で、寮試を受ける時、博士が質問してきそうないくつかの箇所を引き出して、一通り読ませなさると、あやふやな句もなく、諸説にわたってお読みになるさまは、不審な所も残らず、驚くほど類まれな成績なので、若君は学問に素質がおありだったのだと、誰も誰も涙をお落としになる。右大将は、まして、「故太政大臣がご存命であったら」とお言葉に出して、お泣きになる。源氏の殿も、お気持ちの高ぶりを抑えることがおできにならず、(源氏)「他人の身の上として、見苦しいことと見聞きしておりましたが、子が成長するにしたがって、それと引きかえ親が愚かになってゆくことは、私はまだそれほどの年齢でもございませんが、やはり同様であるのを見ると、こうなるのが世のならいだったのですね」などとおっしゃって、涙をお拭いになるのを拝見する御師の気持ちは、うれしくも面目を施したという思いである。源氏の大将が盃をおさしになるので、たいそう酔いしれている顔つきは、ひどく痩せ細っている。この大内記はたいそうな変わり者で、学問があるわりには世に用いられず、人付き合いが悪く貧乏であったのを、源氏の大臣は、見どころありとご覧になって、こうして格別に若君の御師として召し寄せたのであった。身にあまるまでのご恩顧をいただいて、この若君のおかげでたちまちに生まれ変わったと思えば、まして若君が将来ご出世していくと並ぶ人なき名声を得ることになるのであろう。

語句

■寮試 大学寮の試験。合格すれば擬文章生《ぎもんじょうしょう》になる。 ■大将 夕霧の伯父の右大将。 ■左大弁、式部大輔、左中弁 素性不明。左大弁は弁官の上席。中務・式部・治部・民部の四省を統括。従四位上相当。式部大輔は式部省の次官。次の大内記もふくんで、いずれも文章道出身者が当たる。 ■大内記 素性不明。内記は中務省に属し詔勅宣命を作る。 ■博士 試験官の文章博士。 ■かへそふべきふしぶし 質問してくるだろう箇所。 ■かたがたに 諸説にわたって。 ■爪じるし 不審点。そこに爪でしるしをつけておくことから。 ■故大臣 故太政大臣。昔の左大臣。葵の上の父。夕霧の母方の祖父(【薄雲 09】)。 ■面目あり 夕霧の学問の師としての大任を果たして面目を施したという満足感。 ■世のひがもの 大変な変わり者。 

朗読・解説:左大臣光永

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