【薄雲 09】太政大臣薨去 源氏、誠意を尽くして弔問

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原文

そのころ、太政大臣《おほきおとど》亡《う》せたまひぬ。世の重しとおはしつる人なれば、おほやけにも思《おぼ》し嘆く。しばし籠《こも》りたまへりしほどをだに、天《あめ》の下《した》の騒ぎなりしかば、まして悲しと思ふ人多かり。源氏の大臣も、いと口惜しく、よろづの事おし譲りきこえてこそ暇《いとま》もありつるを、心細く、事しげくも思されて、嘆きおはす。帝は、御年よりはこよなう大人大人《おとなおとな》しうねびさせたまひて、世の政《まつりごと》もうしろめたく思ひきこえたまふべきにはあらねども、またとりたてて御|後見《うしろみ》したまふべき人もなきを、誰《たれ》に譲りてかは静かなる御|本意《ほい》もかなはむと思すに、いと飽かず口惜し。後の御わざなどにも、御子《みこ》ども孫《むまご》に過ぎてなん、こまやかにとぶらひ扱ひたまひける。

現代語訳

そのころ、太政大臣がお亡くなりになった。世の重鎮でいらした人であるので、帝もお嘆きあそばす。しばらくの間隠居されていた時さえ、天下の騒ぎとなったので、ましてお亡くなりになっては、悲しいと思う人が多い。

源氏の大臣も、ひどく残念で、万事、政治上の権限を太政大臣にお任せ申し上げていたからこそ暇もあったのだが、これからは心細く、また忙しくなるともお思いになり、お嘆きになっていらっしゃる。

帝は、御年よりはたいそう大人らしくご成長なさって、世の中の政についてもご心配申し上げる必要はないのだが、太政大臣の他にはとりたてて御後見となれるような人もないので、「誰にあとをまかせて、静かに余生を過ごしたいという自分の本願も叶うのだろう」とお考えになるにつけ、そういう人もいないので、源氏の君は、ひどく不満で残念にお思いになる。ご葬儀などにも、源氏の君は、太政大臣の御子たち孫たちにもまさって、御心をつくしてご弔問申し上げ、お世話をなさったのである。

語句

■太政大臣 源氏の正妻葵の父。澪標巻i
六十三歳とある(【澪標 03】)ので、享年六十六。前関白太政大臣藤原頼忠は同じ年齢で薨去しておりモデルであるという説がある。 ■しばし籠もりたまへりし 朱雀帝の御世、右大臣家の権勢がましたことにより隠居したことをさす。当時は左大臣(【賢木 31】)。 ■天の下の騒ぎ 「おほやけも心細う思され、世の人も心あるかぎりは嘆きけり」(同左)。 ■よろづの事おし譲りきこえてこそ 源氏は冷泉帝即位と同時に内大臣になったが摂政は「さやうの事しげき職にはたへずなむ」といって太政大臣に譲った(【澪標 03】)。 ■帝 冷泉帝。この時十四歳。 ■御後見 摂政のこと。 ■静かなる御本位 出家隠遁したいという本願(【絵合 11】)。 ■御子ども 太政大臣の子は権中納言(かつての頭中将)と葵の上の二人のみ物語中に登場する。権中納言には弘徽殿女御、後の雲居の雁など十余人の子がいる。

朗読・解説:左大臣光永

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