【薄雲 10】天変地異つづく 藤壺の宮、病重くなる 帝、藤壺の宮邸に行幸 藤壺宮、生涯の懸念を思う

その年、おほかた世の中騒がしくて、公《おほやけ》ざまにもののさとししげく、のどかならで、天《あま》つ空《そら》にも、例に違《たが》へる月日星の光見え、雲のたたずまひありとのみ世の人おどろくこと多くて、道々の勘文《かむがへふみ》ども奉れるにも、あやしく世になべてならぬ事どもまじりたり。内大臣《うちのおとど》のみなむ、御心の中にわづらはしく思し知らるることありける。

入道|后《きさい》の宮、春のはじめより悩みわたらせたまひて、三月には、いと重くならせたまひぬれば、行幸《ぎやうがう》などあり。院に別れたてまつらせたまひしほどは、いといはけなくてもの深くも思されざりしを、いみじう思し嘆きたる御気色なれば、宮もいと悲しく思しめさる。「今年は必ずのがるまじき年と思ひたまへつれど、おどろおどろしき心地にもはべらざりつれば、命の限り知り顔にはべらむも、人やうたてことごとしう思はむと憚りてなむ、功徳《くどく》の事なども、わざと例よりもとりわきてしもはべらずなりにける。参りて、心のどかに昔の御物語もなど思ひたまへながら、うつしざまなるをり少なくはべりて、口惜しくいぶせくて過ぎはべりぬること」と、いと弱げに聞こえたまふ。三十七にぞおはしましける。されど、いと若く、盛りにおはしますさまを、惜しく悲しと見たてまつらせたまふ。つつしませたまふべき御年なるに、晴れ晴れしからで月ごろ過ぎさせたまふことをだに嘆きわたりはべりつるに、御つつしみなどをも常よりことにせさせたまはざりけることと、いみじう思しめしたり。ただこのごろぞ、おどろきてよろづの事せさせたまふ。月ごろは常の御悩みとのみうちたゆみたりつるを、源氏の大臣も深く思し入りたり。限りあれば、ほどなく還らせたまふも、悲しきこと多かり。

宮いと苦しうて、はかばかしうものも聞こえさせたまはず。御心の中《うち》に思しつづくるに、高き宿世《すくせ》、世の栄《さか》えも並ぶ人なく、心の中《うち》に飽かず思ふことも人にまさりける身、と思し知らる。上の、夢の中にも、かかることの心を知らせたまはぬを、さすがに心苦しう見たてまつりたまひて、これのみぞ、うしろめたくむすぼほれたることに思しおかるべき心地したまひける。

現代語訳

その年、いったいに世の中が騒がしくて、朝廷に関わることで神仏の啓示が多く、穏やかでなく、空にも、いつもと違う月・太陽・星の光が見え、奇妙な雲の姿があるとばかり世の人が不安を感じることが多くて、それぞれの道の勘文を奉った中にも、不思議にも世にふだんありそうにない多くの事が書いてあった。源氏の内大臣のみ、御心の中に厄介なこととご自覚されることがおありであった。

入道后の宮(藤壺の宮)は、春のはじめからずっとご病気で、三月には、まことに病が重くなられたので、お見舞いの行幸などがある。帝は、故桐壺院にお別れ申し上げあそばされた時は、たいそう幼くて深いお考えにもなられなかったが、今回は、ひどく思い嘆いていらっしゃるご様子なので、母宮(藤壺の宮)もひどく悲しくおぼしめしになる。(藤壺)「今年は必ず免れない年と思ってございましたが、それほどひどい心地でもございませんでしたので、わが寿命を知っているようなふうにしてございますことも、人はいやみで大げさに思うだろうと気兼ねしておりました。仏事供養なども、わざわざ普段よりもとりわけ行わずじまいになってしまいました。帝の御前に参って、ゆっくりと昔のお話でもいたしたいなどと存じ上げながら、気分が晴れている折が少なくございますので、残念にも、心細い思いで過ごしてしまいましたこと」と、ひどく弱々しく申し上げなさる。三十七歳でいらっしゃるのであった。そうはいっても、とても若く、女盛りでいらっしゃるさまを、帝は惜しく、悲しいと拝見あそばす。

(帝)「お慎みになるべき御年であるうえに、ご気分が晴れないでここ幾月かお過ごしになっていらっしゃることさえずっとお案じ申し上げてきたのに、お慎みなどさえ普段より格別になさっておられなかったことは」と帝はひどくご心配になられる。驚いてさまざまのご祈祷をおさせになる。ここ幾月かはいつものご病気とばかり油断していらしたのを、源氏の大臣も深く思い沈んでいらっしゃる。決まりのあることなので、帝はほどなくお還りあそばすが、それも悲しいことが多いのである。

藤壺の宮はひどくお苦しくて、はきはきとものも申し上げなさらない。御心の中に思いつづけなさることに、宿縁の高きこと、この世の栄華も並ぶ人とてないが、心の中にいつまでも悩みつづけることにおいても、人にまさったわが身であったと、お悟りになられるのである。帝が、夢の中にさえも、この真相をご存知でいらっしゃらないことを、やはり心苦しく存じ上げなさって、これのみが気がかりで、死後も心晴れないこととして残りそうなお気持ちになられるのだった。

語句

■おほかた世の中騒がしくて 永祚元年(989)の史実をもとにしたという説がある。この年、前述の藤原頼忠(物語中の太政大臣のモデルと見られる)が薨去。 ■もののさとし 「もの」は神仏。「さとし」は警告・啓示。「ただ事にあらず、さるべきもののさとしか」(方丈記・治承の辻風)。 ■例に違へる月日星の光見え 日蝕・月蝕・彗星など。 ■勘文 神祇官・陰陽師・明法家などが天変地異の意味を読み解いて、「こうでありましょう」と朝廷に奏上する文書。 ■内大臣のみ 源氏は、藤壺宮との密通の結果、帝が生まれたこと。自分が帝の実の父であることを気に病んでいる。 ■行幸あり 冷泉帝が母宮を見舞う。 ■院に 「院」は故桐壺院。冷泉帝の父宮。 ■いといはけなくて 桐壺院と死別したとき、冷泉帝は五歳。 ■のがるまじき年 藤壺の宮は今年三十七歳で厄年。 ■命の限り知り顔にはべらむ 寿命が近く尽きることを察知して仏事供養を行うこと。 ■人やうたて 死期を察知するのは功徳を積んだ仏教者にしかできない。藤壺が自分の寿命を察知していることを公言すれば、自分が功徳の高い仏教者であるとひけらかすことになる。 ■功徳の事 仏事供養。 ■つつしませたまふべき 以下「たまはざりけること」まで帝の心語。あるいは周囲に言った言葉。 ■御年 厄年。十三歳、二十五歳、三十七歳など、次の十二支がめぐってきた年。若菜下巻に紫の上発病の際、三十七歳の厄年についての記述がある。 ■よろづの事 寿命の延びることを祈っての、精進・潔斎・祈祷。 ■常の御悩 藤壺は前々から病気がちだった。「いとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、心やすくさぶらひたまふことも難きを…」(【澪標 17】)。 ■限りあれば 帝という身分上、いつまでもいたいと思っても限界がある。 ■高き宿世 先帝の四の宮として生まれ、天皇の母=国母にまでなったこと。このような例は作者の時代以前には藤原道長の姉の東三条院詮子しかない。 ■心の中に飽かず思ふこと 源氏と密通の結果、冷泉帝をさずかったこと。わが子冷泉帝の御代を安泰にするためにそのことはずっとひた隠しにせねばならなかったこと。 ■ことの心 真相。冷泉帝の実父は源氏であること。 ■さすがに心苦しう 秘密を冷泉帝にも世間にも知られるわけにはいかない。ひた隠しにしなければならない。そうはいってもの意。 ■これのみぞ どんなに仏事に励んでもこの秘密だけが気がかりとなって現世に意識を引かれ、極楽往生のさまたげになるのではあるまいかと、藤壺は心配している。

朗読・解説:左大臣光永

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