【少女 17】夕霧と雲居雁、引き離されて嘆く

原文

いとど文なども通はんことのかたきなめりと思ふに、いとなげかし。物まゐりなどしたまへど、さらにまゐらで、寝たまひぬるやうなれど、心もそらにて、人しづまるほどに、中障子《なかさうじ》を引けど、例はことに鎖《さ》し固めなどもせぬを、つと鎖《さ》して、人の音《おと》もせず。いと心細くおぼえて、障子に寄りかかりてゐたまへるに、女君も目を覚まして、風の音の竹に待ちとられてうちそよめくに、雁の鳴きわたる声のほのかに聞こゆるに、幼き心地にも、とかく思し乱るるにや、「雲居の雁もわがごとや」と、独りごちたまふけはひ、若うらうたげなり。いみじう心もとなければ、「これ開けさせたまへ。小特従《こじじゆう》やさぶらふ」とのたまへど、音もせず。御|乳母子《めのとご》なりけり。独り言《ごと》を聞きたまひけるも恥づかしうて、あいなく御顔も引き入れたまへど、あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや。乳母たちなど近く臥《ふ》してうちみじろくも苦しければ、かたみに音もせず。

さ夜中に友呼びわたる雁がねにうたて吹き添ふ荻《をぎ》のうは風

身にしみけるかなと思ひつづけて、宮の御前にかへりて嘆きがちなるも、御目覚めてや聞かせたまふらんとつつましく、みじろき臥したまへり。

あいなくもの恥づかしうて、わが御方にとく出でて御文書きたまへれど、小侍従もえ逢ひたまはず、かの御方ざまにもえ行かず、胸つぶれておぼえたまふ。女、はた、騒がれたまひしことのみ恥づかしうて、わが身やいかがあらむ、人やいかが思はんとも深く思し入れず、をかしうらうたげにて、うち語らふさまなどを、うとましとも思ひ離れたまはざりけり。またかう騒がるべきこととも思さざりけるを、御後見どもいみじうあはめきこゆれば、え言《こと》も通《かよ》はしたまはず。大人びたる人や、さるべき隙《ひま》をも作り出づらむ、男君も、いますこしものはかなき年のほどにて、ただいと口惜しとのみ思ふ。

大臣《おとど》はそのままに参りたまはず、宮をいとつらしと思ひきこえたまふ。北の方には、かかることなんと、けしきも見せたてまつりたまはず。ただおほかたいとむつかしき御気色にて、「中宮のよそほひことにて参りたまへるに、女御の世の中思ひしめりてものしたまふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせたてまつりて、心やすくうち休ませたてまつらん。さすがに、上につとさぶらはせたまひて、夜昼おはしますめれば、ある人々も心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。御|暇《いとま》もゆるされがたきを、うちむつかりたまて、上はしぶしぶに思しめしたるを、しひて御迎へしたまふ。「つれづれに思されんを、姫君渡して、もろともに遊びなどしたまへ。宮に預けたてまつりたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよすけたる人立ちまじりて、おのづからけ近きも、あいなきほどになりにたればなん」と聞こえたまひて、にはかに渡しきこえたまふ。

宮いとあへなしと思して、「一人ものせられし女《をむな》亡くなりたまひて後《のち》、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君を得て、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老のむつかしさも慰めんとこそ思ひつれ。思ひの外に隔てありて思しなすも、つらく」など聞こえたまへば、うちかしこまりて、「心に飽かず思うたまへらるることは、しかなん思うたまへらるる、とばかり聞こえさせしになむ。深く隔て思ひたまふることはいかでかはべらむ。内裏《うち》にさぶらふが、世の中恨めしげにて、このごろまかでてはベるに、いとつれづれに思ひて屈《く》しはべれば、心苦しう見たまふるを、もろともに遊びわざをもして慰めよ、と思うたまヘてなむ、あからさまにものしはべる」とて、「はぐくみ、人となさせたまへるを、おろかにはよも思ひきこえさせじ」と申したまへば、かう思し立ちにたれば、とどめきこえさせたまふとも思し返すべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、「人の心こそうきものはあれ。とかく幼き心どもにも、我に隔ててうとましかりけることよ。また、さもこそあらめ、大臣の、ものの心を深う知りたまひながら、我を怨《ゑん》じて、かく率《ゐ》て渡したまふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」とうち泣きつつのたまふ。

をりしも冠者《くわざ》の君参りたまへり。もしいささかの隙《ひま》もやと、このごろはしげうほのめきたまふなりけり。内大臣《うちのおとど》の御車のあれば、心の鬼にはしたなくて、やをら隠れて、わが御方に入りゐたまへり。内《うち》の大殿《おほとの》の君たち、左少将、少納言、兵衛佐《ひやうゑのすけ》、侍従、大夫《たいふ》などいふも、皆ここには参り集《つど》ひたれど、御簾《みす》の内《うち》はゆるしたまはず。左衛門督《さゑもんのかみ》、権中納言なども、異御腹《ことほむはら》なれど、故殿の御もてなしのままに、今も参り仕うまつりたまふことねむごろなれば、その御子どももさまざま参りたまへど、この君に似るにほひなく見ゆ。大宮の御心ざしも、なずらひなく思したるを、ただこの姫君をぞ、け近うらうたきものと思しかしづきて、御かたはら避けず、うつしきものに思したりつるを、かくて渡りたまひなんが、いとさうざうしきことを思す。

殿は、「今のほどに内裏《うち》に参りはべりて、夕つ方迎へに参りはべらん」とて出でたまひぬ。言ふかひなきことを、なだらかに言ひなして、さもやあらまし、と思せど、なほいと心やましければ、「人の御ほどのすこしものものしくなりなんに、かたはならず見なして,そのほど心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ、制し諫《いさ》むとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ。宮もよもあながちに制しのたまふことあらじ」と思せば、女御の御つれづれにことつけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡したまふなりけり。

宮の御文にて、「大臣こそ恨みもしたまはめ、君は、さりとも心ざしのほども知りたまふらん。渡りて見えたまへ」と聞こえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひて渡りたまへり。十四になんおはしける。片なりに見えたまへど、いと児《こ》めかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。「かたはら避《さ》けたてまつらず、明け暮れのもてあそびものに思ひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残り少なき齢《よわひ》のほどにて、御ありさまを見はつまじきことと、命をこそ思ひつれ。今さらに見棄ててうつろひたまふや、いづちならむ、と思へば、いとこそあはれなれ」とて泣きたまふ。姫君は恥

現代語訳

これからはますます手紙などのやり取りも難しくなるだろうとお思いになるにつけ、若君(夕霧)は、ひどくやるせない思いである。

大宮がお食事をおすすめなどなさるが、若君はさっぱり召し上がらず、おやすみになってしまわれたようであったが、心も上の空で、人が寝静まる時分に、隔ての障子を引いてみるが、いつもはべつだん掛け金をかけたりもしないのに、固く閉ざして、人の音もしない。

ひどく心細くなって、襖に寄りかかってすわっていらっしゃると、女君も目を覚まして、風の音が竹に迎えられてそよそよいっているところに、雁が鳴きながら飛んでいく声がかすかに聞こえるので、幼な心にも、あれこれ思い乱れていらっしゃるのだろうか、(雲居雁)「雲居の雁もわがごとや」と、独りつぶやかれている気配は、幼く可愛らしい。

若君はひどく心もとないので、(夕霧)「この襖を開けてください。小侍従はおりませんか」とおっしゃるが、音もしない。小侍従というのは御乳母なのであった。姫君は、さっきの独り言を若君がお聞きになったのも恥ずかしくて、わけもなく御顔を夜具の中にお引き入れになられたが、恋心は知らぬわけでもないのは心憎いことである。乳母たちなどが近くに寝ていて身じろぎするのもばつが悪いので、姫君と若君は、お互いに物音も立てない。

(夕霧)さ夜中に…

(ま夜中に友を呼んで飛んでいく雁の声に、さらに嘆かしさを吹き加える荻の末葉の上をわたる風よ)

「悲しさが身にしみたことだな」と思いつづけて、大宮の御前に戻ってため息をついてばかりいるのだが、大宮が御目をお覚ましになってお聞きになるのではと気が引けるので、みじろぎして横になっていらっしゃ。。

翌朝、若君はどうにも恥ずかしくて、ご自分のお部屋にすぐに下がってお手紙をお書きになられるが、小侍従にも逢うことがおできにならない、姫君のお部屋のほうにも行くことができず、胸がつぶれる思いでいらっしゃる。姫君は、また、騒がれなさったことばかりが恥ずかしくて、わが身がこれからどうなるのかとも、人がどう思うのかとも、深くお考えにならず、ふだんどおり、美しく可愛らしくしていらして、乳母たちが相談しているようすなどを見ても、若君のことを疎ましいと思って避けられることも、なかった。またこれほど騒がれなければならぬことともお思いになっていらっしゃらなかったので、お世話役の乳母たちも姫君の思慮の足りないことをたいそうご注意申しあげたので、手紙のやり取りもおできにならない。

もっと大人びた思慮のある人ならば、しかるべき隙を作ってどうにかすることもできたろうが、男君のほうも、まだいまいち頼りないお年頃だったので、ただひたすら残念と思うばかりである。

語句

■物まゐり 「物」は食事。「まゐる」は差し上げる。 ■中障子 二つの部屋を仕切る襖障子。掛け金がついている。 ■つと しっかりと。 ■風の音の竹に待ち取られて 風の音が竹に迎えられて音を出すと擬人化した。夕霧からのたよりを待つわが身を暗示。 ■雲居の雁も 「霧深き雲居の雁もわがごとや晴れせず物の悲しかるらむ」(奥入)。出典未詳。この歌によりこの姫君を雲居雁と称す。 ■これ開けたまへ 敬語から雲居雁への呼びかけとわかる。 ■小侍従 いつも夕霧と雲居雁のながたちをしているのであろう。 ■御乳母子 雲居雁と同年。 ■あはれは知らぬにしもあらぬ 「あはれ」は恋心。 ■さ夜中に… 「雲居の雁もわがごとや」に応えた歌。雁は友を連想させる(【須磨 16】)。「雲とへだつ友かや雁の生き別れ」(松尾芭蕉)。「雁がね」は雁の声。 ■身にしみけるかな 「吹きくれば身にもしみける秋風を色なき物と思ひけるかな」(古今六帖一。続古今・秋上では第一句「吹きよれば」紀友則)。 ■嘆きがち ためいきばかり自然と出る。 ■みじろき臥したまへり 悶々とみじろぎしながら横になっているさま。 ■小侍従もえ逢ひたまはず 手紙のなかだちをする小侍従にも逢うことができない。 ■騒がれたまひしことのみ 内大臣らに騒がれたことだけが恥ずかしくて、もっと本質的な今後のことにまでは思いが至っていない。 ■御後見ども 乳母や主だった女房たち。 ■あはめきこゆれば 「あはむ」はここでは思慮の足りないことをたしなめる意。 ■ものはかなき年のほど 夕霧は雲居雁より二歳年下。

朗読・解説:左大臣光永

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