【少女 18】内大臣、弘徽殿女御を里下がりさせ、女御にことよせて雲居雁をも引き取ろうとする 大宮、嘆く

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原文

大臣《おとど》はそのままに参りたまはず、宮をいとつらしと思ひきこえたまふ。北の方には、かかることなんと、けしきも見せたてまつりたまはず。ただおほかたいとむつかしき御気色にて、「中宮のよそほひことにて参りたまへるに、女御の世の中思ひしめりてものしたまふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせたてまつりて、心やすくうち休ませたてまつらん。さすがに、上につとさぶらはせたまひて、夜昼おはしますめれば、ある人々も心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。御|暇《いとま》もゆるされがたきを、うちむつかりたまて、上はしぶしぶに思しめしたるを、しひて御迎へしたまふ。「つれづれに思されんを、姫君渡して、もろともに遊びなどしたまへ。宮に預けたてまつりたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよすけたる人立ちまじりて、おのづからけ近きも、あいなきほどになりにたればなん」と聞こえたまひて、にはかに渡しきこえたまふ。

宮いとあへなしと思して、「一人ものせられし女《をむな》亡くなりたまひて後《のち》、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君を得て、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老のむつかしさも慰めんとこそ思ひつれ。思ひの外に隔てありて思しなすも、つらく」など聞こえたまへば、うちかしこまりて、「心に飽かず思うたまへらるることは、しかなん思うたまへらるる、とばかり聞こえさせしになむ。深く隔て思ひたまふることはいかでかはべらむ。内裏《うち》にさぶらふが、世の中恨めしげにて、このごろまかでてはベるに、いとつれづれに思ひて屈《く》しはべれば、心苦しう見たまふるを、もろともに遊びわざをもして慰めよ、と思うたまヘてなむ、あからさまにものしはべる」とて、「はぐくみ、人となさせたまへるを、おろかにはよも思ひきこえさせじ」と申したまへば、かう思し立ちにたれば、とどめきこえさせたまふとも思し返すべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、「人の心こそうきものはあれ。とかく幼き心どもにも、我に隔ててうとましかりけることよ。また、さもこそあらめ、大臣の、ものの心を深う知りたまひながら、我を怨《ゑん》じて、かく率《ゐ》て渡したまふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」とうち泣きつつのたまふ。

現代語訳

内大臣はあのまま大宮邸にもおいでにならず、大宮のことをひどいと恨み申しておられる。北の方には、こういうことだと、そぶりもお見せなさらない。ただ大体においてひどく不機嫌なご様子で、(内大臣)「梅壺中宮が格別に威儀をととのえて入内なさったので、弘徽殿女御が帝との御仲を見込みのないものと諦めていらっしゃるのが気の毒で胸が痛みますので、里に下がらせ申して、ゆっくり休ませてさしあげましょう。梅壺中宮にご寵愛が移ったとはいえ、依然として帝はおそば近く弘徽殿女御を引き寄せて、夜も昼もご一緒でいらっしゃるようなので、女御にお仕えしている女房たちも気がゆるむことがなく、つらいと泣き言ばかり言っているようなので」とおっしゃって、急に里下がりさせなさる。御いとまもなかなかいただけないのを、内大臣は不満げな態度をお見せになって、帝はお気がすすまずにいらっしゃるのを、強引に御迎えなさる。

(内大臣)「所在なくお思いでしょうから、姫君(雲居雁)を呼び寄せて、ご一緒に管弦の遊びなどなさいまし。大宮に姫君をお預け申しておくのは安心なのですが、ひどくこざかしく、ませた人が出入りしているので、自然とその者と親しくなってしまうのも、困った年齢になってきましたからね」と申されて、急に姫君を御邸にお移しになる。

大宮はひどくかいのないことにお思いになって、(大宮)「たった一人いらした娘がお亡くなりになられてから、ひどく寂しく心細かったのですが、うれしいことにこの姫君(雲居雁)をお預かりして、生きている限り大切にする宝物と思って、明け暮れにつけて、老の空しさも慰めようと思っていましたのに。貴方が思いの外に分け隔てをなさるお気持ちになられたのも、つらいことで」など申されると、内大臣は恐縮されて、(内大臣)「私は、内心不満に思っておりますことを、こう思っておりますと、申しあげているだけでございます。深い隔て心を抱いているなどということは、どうしてございましょう。帝のおそばにお仕えしていた女御(弘徽殿女御)が、帝との関係に期待が持てないということで、最近里下がりしてまいりましたが、ひどく所在なく思って御気が滅入ってございますので、不憫に思いまして、姫君(雲居雁)が、一緒に遊びごとをしてお慰めするようにと思いまして、ただ一時的に引き取るだけのことでございます」といって、「姫君(雲居雁)を養育し、一人前にしてくださった御恩を、おろそかに存じ上げているわけでは、まったくございません」と申しあげなさると、大宮は、内大臣がこうしてご決断された以上は、お引き留めしたとしてもお考えを変えることはないので、ひどく不満で、残念にお思いになって、(大宮)「人の心はあてにならず辛いものですね。幼い二人の気持を見ても、私に隠し事をして、嫌なことでしたよ。また、幼い人はそれで仕方ないとしても、内大臣たる貴方が、ものの心を深く知りながら、私を恨んで、こうして姫君を連れて行ってしまわれるとは。あちらの御邸だって、こちらより安心ということもないでしょうに」と泣きながらおっしゃる。

語句

■そのままに 先日怒って帰ってしまってから(【少女 14】)。 ■北の方 故太政大臣(もと右大臣)の四の君。弘徽殿女御の実母。雲居雁の継母。 ■けしきも見せたてまつらず 弘徽殿女御は北の方の実子なので、あくまでも弘徽殿女御を推すふりをしなくてはならない。 ■中宮 梅壺中宮。源氏が後見する。 ■さすがに 寵愛が梅壺女御に移ったとはいえ。 ■上につとさぶらはせたまひて 「上」は弘徽殿の上御局《うえのみつぼね》。 ■ある人々 弘徽殿女御付きの女房たち。 ■うちむつかりたまて 内大臣は機嫌が悪いようにして、帝にプレッシャーをかける。 ■つれづれに思されんを 以下「あいなきほどになりにたればなん」まで、内大臣が弘徽殿女御に対する台詞。 ■姫君渡して 大宮邸から内大臣邸へ雲居雁を。弘徽殿女御とともに引き取る形にするのは、大宮と、北の方と、世間への言い訳を立てるため。 ■いとさくじりおよすけたる人 夕霧。「さくじる」はこざかしい振る舞いをする。「およすく」は成長する。大人びる。ここでは「ませた」といった否定的な意味。 ■あへなし あっけない。かいがない。がっくりする。 ■一人ものせられし女 葵の上。内大臣の妹。 ■うちかしこまりて 内大臣は大宮から雲居雁を取り上げるために来たのだが、こう面と向かって悲しまれると、やはり恐縮するのである。 ■内裏にさぶらふ 入内している弘徽殿女御。 ■世の中恨めしげにて 中宮になれずに帝との関係が良好でない。なお内大臣がそう言っているのは弘徽殿女御を里下がりさせるための口実であって、実際にそこまで帝との関係が悪かったのではないだろう。 ■遊びわざ 音楽や碁などの遊戯。 ■あからさまに ほんのちょっとの間。かりそめに。 ■かう思し立ちにたれば 大宮は内大臣の強情な性格をよく知っているので、こう言い出したら止まらないとわかる。 ■さもこそあらめ 幼い人たちは自分(大宮)に隠し事をしても、それは他人への思いやりがまだ育たない幼い時のことなので仕方ないが、貴方は…の意。 ■かしこにて… 内大臣邸で継母の世話になるよりも自分が養育したほうがましだの意をただよわせる。

朗読・解説:左大臣光永

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