【玉鬘 06】豊後介、九条の宿に住む 玉鬘を願ほどきに石清水八幡宮に参詣させる

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原文

九条に、昔知れりける人の残りたりけるをとぶらひ出でて、その宿《やどり》を占《し》めおきて、都の内といへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女《いちめ》商人《あきびと》の中にて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来《き》し方《かた》行く先悲しきこと多かり。豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸《くが》にまどへる心地して、つれづれに、ならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類《るい》にふれて逃げ去り、本《もと》の国に帰り散りぬ。

住みつくべきやうもなきを、母おとど明け暮れ嘆きいとほしがれば、「何か。この身はいとやすくはべり。人ひとりの御身にかへたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎《とが》あるまじ。我らいみじき勢《いきほひ》になりても、若君をさる者の中にはふらしたてまつりては、何《なに》心地かせまし」と語らひ慰めて、「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡《やはた》の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦《まつら》、筥崎《はこざき》同じ社《やしろ》なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今都に帰りて、かくなむ御|験《しるし》を得てまかり上《のぼ》りたると、早く申したまへ」とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師《ごし》とて、早く親の語らひし大徳《だいとく》残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。

現代語訳

九条に、昔知っていた人が残っていたのを訪ね出して、その家を手に入れておいたが、都の内といっても、しっかりした人が住むような界隈でもなく、見すぼらしい市女や商人が行き交う中であり、気が晴れないことに世の中を思いつつ、秋になっていくにつれて、過去未来を思うにつけ悲しいことが多いのである。

豊後介という一行が頼りにしている人も、ただ水鳥が陸に上がってうろうろしているような感じで、所在なく、馴れない暮らしの頼りなさを思うに、いまさら帰るのも中途半端だし、軽率にも飛び出してきてしまったことを思っているうちに、従って来ていた者たちも、縁者をたよって逃げ去り、散り散りになってもとの国に帰ってしまった。

都に住み馴れるすべもないのを、母御が明け暮れ嘆いて気の毒がっているので、(豊後介)「何を嘆かれます。私の身はたいそう気楽なものです。姫君ひとりの御身におかえ申しあげて、どこへでも消え失せたところで何の問題もないでしょう。我らがたいそう羽振りがよくなったとしても、姫君をあのような者の中に捨て去り申しあげては、どんな気持がするでしょう」となだめ慰めて、(豊後介)「神仏こそは、姫君をしかるべきご運にも導き知らせ申されるでしょう。近いあたりに、八幡の宮(石清水八幡宮)と申しますのは、あちら(筑紫)でも参って祈り申されました松浦、筥崎と同じ社です。あちらの国をお離れになられる時も、多くの願立てを申されましたな。今都に帰って、こうしてご利益を頂戴して上京していますと、早く申しあげられませ」といって、八幡に参詣おさせ申しあげる。そのあたりのことを知っている人に言い尋ねて、五師といって、早くから親が親しくしていた僧が残っているのを呼び寄せて、参詣おさせ申しあげる。

語句

■九条 平安京最南端の東西の大路。ここでは左京の九条。貧しく治安の悪い界隈。近くに東市がある。 ■市女 市場で物を売る女。 ■水鳥の陸にまどへる心地 馴れない土地で途方に暮れているさま。慣用句か。 ■住みつくべきやうもなきを 豊後介が、都に定住できるほどの財産も縁者もないこと。 ■母おとど 豊後介の母。乳母。 ■何か 下に「嘆き給ふ」を補って読む。 ■我らいみじき勢になりても 監の求婚を受け入れれば彼ら一家は監の縁で権勢さかんになれるだろう。そのことを言う。 ■さる者の中に 監のような田舎者の中に。 ■さるべき方 高貴な生まれである玉鬘が進むべき幸せな運命。 ■八幡の宮 石清水八幡宮。京都市綴喜郡八幡町。貞観ニ年(860)宇佐八幡宮を勧請。 ■松浦 松浦八幡宮。所在地未詳。 ■筥崎 福岡市箱崎。延喜ニ十一年(921)、穂波郡(福岡県嘉穂郡)大分宮から現在地に遷った。 ■多くの願立て申したまひき 「仏神に願を立ててなむ念じける」(【玉鬘 03】)。 ■申したまへ 願がかなったら「願はたし」をしなくてはならない。 ■五師 僧の役名。別当・三綱《さんごう》の下。当時は神仏習合で石清水極楽寺の僧が石清水八幡宮の世話も行った。明治の廃仏毀釈で石清水八幡宮と極楽寺の縁が切れた。 ■親 故少弐。

朗読・解説:左大臣光永

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