【玉鬘 03】玉鬘、美しく成長 乳母、田舎人どもの求婚を退ける

少弐、任はてて上《のぼ》りなむとするに、遙けきほどに、ことなる勢《いきほひ》なき人はたゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病《やまひ》して、死なむとする心地にも、この君の十《とを》ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、「我さへうち棄《す》てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらん。あやしき所に生《お》ひ出でたまふも、かたじけなく思ひきこゆれど。何時《いつ》しかも京に率《ゐ》てたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御|宿世《すくせ》にまかせて見たてまつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命たヘずなりぬること」と、うしろめたがる。男子《をのこご》三人あるに、「ただこの姫君京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝《けう》をば、な思ひそ」となむ言ひおきける。

その人の御子《みこ》とは館《たち》の人にも知らせず、ただ孫のかしづくべきゆゑあるとぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、にはかに亡《う》せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出立《いでたち》をすれど、この少弐の仲あしかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに怖《お》ぢ憚りて、我にもあらで年を過ぐすに、この君ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品《しな》高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。聞きついつつ、好《す》いたる田舎人《ゐなかびと》ども、心かけ消息《せうそく》がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰《たれ》も誰も聞き入れず。「容貌《かたち》などはさてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持《も》たらむ」と言ひ散らしたれば、「故少弐の孫《むまご》はかたはなむあんなる。あたらものを」と言ふなるを聞くもゆゆしく、「いかさまにして、都に率《ゐ》てたてまつりて、父|大臣《おとど》に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたし、と思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ棄《す》てきこえたまはじ」など言ひ嘆くほど、仏神《ほとけかみ》に願《ぐわん》を立ててなむ念じける。

現代語訳

少弐は任期が終わって京へ上ろうとするが、遥かな道のりで、別段の権勢もないこの人はぐずぐずしながら、さっさと出発しないでいるうちに、重い病をわずらって、死ぬことを自覚したが、この若君(玉鬘)が十歳くらいになられたご様子が、不気味なまでに美しいのを拝見して、(少弐)「私までこの若君をお見捨て申しあげては、どんなふうに落ちぶれてしまわれるだろう。辺鄙な土地でお育ちになるのも、畏れ多く存じ上げるが…。いつかは京にお連れ申しあげて、しかるべき人にもお知らせ申しあげ、御宿縁にまかせての御良縁をお待ち申し上げるとしても、都は広い所だから、まことに心配はいるまいと思って準備をしてきたが、この田舎にいるままで命が持たなくなってしまうとは」と若君(玉鬘)のことを心配している。三人いる息子たちに、(少弐)「ひたすらこの姫君を京にお連れ申し上げねばならぬことだけを考えよ。わが身の供養などは、考えなくてよい」と遺言したのだった。

誰それの御子とは官邸の人にも知らせず、ただ孫で、大切にお育てすべき理由があるとだけ言い繕っていたので、人に見せず、どこまでも大切にお育て申しあげているうちに、少弐が急に亡くなったので、乳母たちは悲しく心細くて、とにかく京に出発しようとするが、この少弐と仲が悪かった国の人が多くいたりなどしたので、あれやこれやと怖がり遠慮して、生きた心地もせずに年を過ごしているうちに、このも若君はご成長なさるにつれて、母君(夕顔)よりも美しさがまさっている上に、父大臣の血筋までも加わっているのだろうか、気品高く美しげである。気立てもおおらかで申し分なくていらっしゃる。

その評判を人から人に聞き伝えつつ、好色な田舎者たちで、興味を持ち、懸想文を送りたがるのが、とても多い。乳母たちは縁起でもなく目障りなことに思うので、どの求婚者のこともとりあわない。

(乳母)「この娘は顔立ちなどはそれなりでしょうが、ひどい不具があるので、人と結婚させないで尼にして、私が生きている間はそばに置いておきましょう」と言いふらしているので、「故少弐の孫は不具者だそうだ。惜しいことよ」と言っているというのを聞くのも忌まわしく、(乳母)「何とかして、都にお連れ申しあげて、父大臣にお知らせ申しあげよう。幼くいらした頃、たいそう可愛らしいと思い申されていらしたので、いくらなんでもいい加減にお見捨てになられることあるまい」などと言って嘆く間、仏神に願を立てて姫君のことを祈るのだった。

語句

■任はてて 大宰少弐の任期は五年。 ■ことなる勢なき 上京資金が工面できないのである。地方官には私服を肥やす者も多かったが少弐は清廉の人だったらしい。 ■十ばかり 玉鬘は四歳で筑紫下向。少弐の任期五年と上京遅延の一年で十歳になっている。 ■我さへうち棄てたてまつりて 母夕顔から見捨てられた上に、育て親である私までも見捨てたなら。 ■あやしき所 筑紫。 ■さるべき人 内大臣。 ■御宿世 玉鬘の結婚の縁。 ■都は広き所なれば 都は広いから結婚するに適した男性も見つかるだろうというのである。 ■男子三人 長男の豊後介、二郎、三郎。 ■その人の御子とは館の人にも知らせず 実は内大臣(昔の頭中将)の御子で、高貴な血筋なのだが、官邸の使用人たちにはそれを知らせないのである。 ■この少弐の仲あしかりける国の人 少弐は清廉潔白な人柄だったので徴税のことで地元の豪族と対立があったのだろう。 ■我にもあらで 自分が自分でないような気持で。生きた心地もせず。 ■母君よりも 夕顔の容貌立ち居振る舞いは夕顔巻にくわしい。「はなやかならぬ姿、いとらうたげに、あえかなる心地して、そこと取り立ててすぐれたることもなけれど、細やかにたをたをとして、ものうち言ひたるけはひ、あな心苦しと、ただいとらうたく見ゆ」(【夕顔 10】)。 ■父大臣 内大臣。昔の頭中将。 ■聞きついつつ 「聞き継ぎつつ」の音便。人から人に次々に噂を聞きついで。 ■さてもありぬべし どうにか我慢できる。まあまあ。 ■いときなきほどを 内大臣は源氏に対して、玉鬘の行方がわからないことを悲嘆していた(【箒木 08】)。 ■仏神に願を立てて 仏神への願いがかなったら願ほどきをする。後の長谷寺参詣の伏線。

朗読・解説:左大臣光永

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