【玉鬘 18】末摘花、古ぼけた衣に添えて歌を返す 源氏、紫の上に歌を論ずる
みな、御返りどもただならず、御使の禄心心なるに、末摘、東《ひむがし》の院におはすれば、いますこしさし離れ、艶《えん》なるべきを、うるはしくものしたまふ人にて、あるべきことは違《たが》へたまはず、山吹の袿《うちき》の、袖口《そでぐち》いたくすすけたるを、うつほにてうちかけたまへり。御文には、いとかうばしき陸奥国紙《みちのくにがみ》の、すこし年|経《へ》、厚きが黄ばみたるに、「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。
きてみればうらみられけり唐衣《からころも》かへしやりてん袖をぬらして」
御手の筋、ことに奥《あう》よりにたり。いといたくほほ笑みたまひて、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見おこせたまへり。御使にかづけたるものを、いとわびしくかたはらいたしと思して、御気色あしければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたはらいたきところのつきたまへる、さかしらに、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。「古代の歌詠みは、唐衣、袂濡《たもとぬ》るるかごとこそ離れねな。まろもその列《つら》ぞかし。さらに一筋《ひとすぢ》にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、妬《ねた》きことははたあれ。人の中《うち》なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みの中にては、円居《まどゐ》離れぬ三文字《みもじ》ぞかし。昔の懸想《けさう》のをかしきいどみには、あだ人、といふ五文字《いつもじ》をやすめ所にうち置きて、言の葉のつづき、たよりある心地すべかめり」など笑ひたまふ。「よろづの草子|歌枕《うたまくら》、よく案内《あない》知り見つくして、その中《うち》の言葉を取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変らざるべけれ。常陸《ひたち》の親王《みこ》の書きおきたまへりける紙屋紙《かうやがみ》の草子をこそ、見よとておこせたりしか、和歌の髄脳《ずうなう》いとところせう、病避《やまひさ》るべきところ多かりしかば、もとより後れたる方の、いとどなかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」とて、をかしく思いたるさまぞいとほしきや。上、いとまめやかにて、「などて返したまひけむ。書きとどめて、姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、物の中なりしも、虫みな損《そこな》ひてければ。見ぬ人、はた、心ことにこそは遠かりけれ」とのたまふ。「姫君の御学問に、いと用なからん。すべて女は、たてて好めること設けてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごともいとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」などのたまひて、返り事は思しもかけねば、「返しやりてむとあめるに、これより押し返したまはざらむも、ひがひがしからむ」とそそのかしきこえたまふ。情棄《なさけす》てぬ御心にて書きたまふ。いと心やすげなり。
「かへさむといふにつけてもかたしきの夜の衣を思ひこそやれ
ことわりなりや」とぞあめる。
現代語訳
どの御方もみな、源氏の君からの贈り物に対して並々でなくお礼をなさり、その御使にお与えになる禄もさまざまである中に、末摘花は、二条院東の院にいらっしゃるので、もう少し離れているので、格別に御使をもてなす趣向があってしかるべきだが、几帳面な人だから、なすべきことはきちんとお守りになって、山吹色の小袿の、袖口がひどくすすけているのを、下着なしで御使の肩におかけになった。御文には、たいそう香ばしい陸奥国紙の、すこし古くなって、厚くて黄ばんだ紙に、(末摘花)「さあどうでしょうか。衣類をいただいたのは、かえってつくらくて。
きてみれば…
(着てみればかえって恨みの気持がわいてきます。この唐衣はお返ししてしまいたのです。涙で袖をぬらして)
ご筆跡の流儀は、実に時代がかっている。源氏の君は、たいそうほほ笑まれて、すぐにもこの御文を下にお置きにならないので、上(紫の上)は、何ごとかしらとこちらを見ていらしゃる。
女君(末摘花)が御使の肩にかづけなさったものを、源氏の君は、ひどく無様で不体裁なものにお思いになって、ご機嫌が悪いので、御使はそっと退出した。たいそう女房たちはひそひそ言って笑うのだった。
このようにむやみに古めかしく、こちらが居心地が悪くなるようなところをお持ちなのが、こざかしく、扱いづらいとお思いになる。この時の源氏の君のお目元は、見ているほうが気後れするほど美しい。(源氏)「昔気質の歌詠みは、『唐衣』『袂濡るる』といった恨み言から離れられないようだね。私もその類ではあるのだが。ひたすらその一筋にこだわって、今風の言葉におなびきにならないのが、憎らしいほど立派であるよ。人々が寄り集まることを、しかるべき節会の席で、帝の御前などでとくべつに開催された歌詠みの場などでは、「円居」という言葉で言うことが、手放せない三文字であるようであるよ。また昔の色恋の風流なやり取りには、「あだ人の」という五文字を、歌の三句目に配置すると、言葉のつながりがよい具合になるようだ」などとお笑いになる。
(源氏)「いろいろな草紙や歌枕によく通じて知り尽くして、その中から言葉を取り出すとなると、過去に詠み尽くされているありきたりの詠みぶりから、大きくはずれることはないでしょう。姫君(末摘花)が、常陸の親王がお書き残しになった紙屋紙の草紙を、ご覧なさいといってよこしてきましたが、和歌の奥義を説いた書物がぎっしりつまっていて、避けるべき歌の欠点が多く説かれていたので、もともと不得手な分野ですから、これではかえって身動きがまったく取れなくなりそうでしたので、やっかいに思って、返してしまいました。よく勉強していらっしゃるこの方の詠み方にしては、この歌は平凡ですね」といって、おかしく思っていらっしゃるようすは姫君(末摘花)にお気の毒なことだ。
上(紫の上)はいたって真面目に、「どうしてお返しになられたのです。書き残しておいて、姫君(明石の姫君)にもお見せ申されればよろしかったのに。ここにも、何かの中にありましたが、虫がみなかじってしまいましたので。あれを見ない人は、なんといっても、心得が足りないことですよ」とおっしゃる。
(源氏)「姫君のご学問には、まったく使い物にならないでしょう。すべて女は、取り立てて好んでいることを設けてそれだけに没頭するのは、みっともないことです。とはいえ何事もひどく不調法なのは残念なものでしょう。ただ自分の考えを、あやふやでなくしっかりと持っていて、おだやかにしているのが、好ましいでしょう」などとおっしゃって、姫君(末摘花)へのお返事はお心にかけてもいらっしゃらないので、(紫の上)「『返しやりてむ」とあるようですのに、こちらから押し返しなさいませんのも、失礼でございましょう」とおすすめ申しあげなさる。源氏の君は、誰に対してもお情けを忘れない御心であるから、お書きになる。たいそう気楽な風である。
(源氏)「かへむさむと…
(貴女が「衣を返そうと」おっしゃるにつけても、衣を片敷く一人寝の寂しさがしのばれます)
貴女がこういう歌を返してきたのも、ごもっともなことですね」とあったようである。
語句
■御使の禄 装束を持参した使者への祝儀。 ■東の院 二条東院。 ■艶なるべきを ふだん源氏と離れて暮らしているのだから、特別な贈り物に対して特別な使者のもてなしをするのが当然、の意。 ■あるべきこと 使者に禄を与えること。 ■うつほなり 衣に裏打ちしている下着もない状態で。 ■陸奥国紙 厚手で皺のある檀紙。陸奥から多く産出した。 ■賜へるは 直接のご訪問もなく、着物だけをいただくのは。 ■きてみれば 「うらみ」に「裏」を、「かへし」に裏を返すの意をかける。「着る」「裏」「唐衣」「かへし」「袖」などが縁語。古風な形式にのっとった歌。「つれなきを思ひわびては唐衣返すにつけてうらみつるかな」(為信集)。 ■奥よう 「奥に寄る」から。古風である。時代がかっている。 ■さかしらに こんな見苦しい禄を与えるくらいなら何も与えないほうがいいのに。なまじ作法を守って禄を与えたのがこざかしいの意。 ■恥づかしきまみなり 「まみ」は「きみ」の誤写とする説も。 ■唐衣 直前の末摘花の歌および末摘花巻(【末摘花 16】)における「からころも君が心のつらければたまとはかくぞそぼちつつのみ」。 ■歌詠み 歌会。 ■円居 丸くなって座ること。 ■あだ人 五文字といいながら三文字であることが不審だが、助詞を加えて「あたひとの」のことをさすか。 ■やすめ所 歌の三句目。 ■たよりある心地すべき 形式ばった歌の詠みようを皮肉っている。 ■歌枕 和歌に詠まれる名所、歌語などを集めた辞典。 ■筋 歌の詠みぶり。 ■強うは変らざるべけれ 「強う」ははなはだしく。 ■常陸の親王 末摘花の父。 ■紙屋紙 「かうやがみ」は「かむやがみ」に同じ。紙屋院(官立の製糸工場)でつくられる紙。公式文書に主に用いられる。和歌を書いたりするには向かない。 ■髄脳 歌学書。和歌の奥義を記したもの。 ■病避るべきところ 避けるべき歌の欠点。歌病。 ■なかなか動きすべくも 和歌の髄脳を知ったためにかえって身動きが取れなくなりそうで。 ■いとほしや 語り手の末摘花に対する同情。 ■返したまひけむ 紙屋紙の草子を。 ■損ひてければ 下に「読めない」の意を補って読む。 ■見ぬ人 和歌の髄脳などを読まない人。紫の上自身を暗にさす。 ■つきなからん 「付き無し」は取り付きようがない。不得手であること。 ■心やすげ 相手が末摘花なので、気を遣う必要もなく、源氏は気楽に歌を返すのである。 ■かへさむと… 末摘花が「かえしやりてん」と詠んだ歌を受け、衣を裏返して寝ると夢に恋人があらわれるという伝承をふまえる。「かたしきの夜の衣」は衣の袖を片方だけ敷いて寝る、一人寝の夜のこと。 ■ことわりなりや 私がなかなか貴女を訪問しないから、貴女が「衣を返そうと」おっしゃるのは、当然のことですね。