【初音 02】源氏、明石の姫君を訪ね、母君の歌への返歌をさせる

姫君の御方に渡りたまへれば、童下仕《わらはしもづかへ》など、御前《おまへ》の山の小松ひき遊ぶ。若き人々の心地ども、おき所なく見ゆ。北の殿《おとど》よりわざとがましくし集めたる鬚籠《ひげこ》とも、破子《わりご》なと奉れたまへり。えならぬ五葉《ごえふ》の枝にうつれる鶯《うぐひす》も、思る心あらむかし。

「年月をまつにひかれて経《ふ》る人にけふうぐひすの初音《はつね》きかせよ

音せぬ里の」と聞こえたまへるを、げにあはれと思し知る。事忌《こといみ》もえしたまはぬ気色なり。「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつらせたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪得がましく心苦しと思す。

ひきわかれ年は経れども鶯《うぐひす》の巣だちし松の根をわすれめや

幼き御心にまかせて、くだくだしくぞある。

現代語訳

源氏の君が、明石の姫君の御方においでになると、女童《めのわらわ》や下仕えの女などが、御前の築山の小松を引いて遊んでいる。若い女房たちの気持も、じっとしていられないように見える。北の殿(明石の君の御殿)から、今日のためにわざわざ集めたらしい多くの髭、破子などを差し上げなさる。いいようもない五葉の松の枝に移っている鶯も、何事か心に思うところがあるかのようである。

年月を…

(年月を小松…姫君にひかれて待っている私に、今日、鶯の初音…正月初めの便りをきかせてください)

音せぬ里の」と申しあげなさるのを、源氏の君は、まことにしみじみいたわしいと、お思い知りになられる。

正月早々縁起でもない涙も、抑えきれないご様子でいらっしゃる。(源氏)「このお返事は、姫君ご自身でお書きなさい。初音を聞かせるのを惜しむべき人でもありますまい」といって、御硯のご用意をなさって、お書かせ申しあげなさる。

姫君(明石の姫君)のお姿はたいそう可愛らしく、明け暮れ拝見している人さえ、見飽きないと思い申し上げる御ようすなのだから、実の母君が今まで長い年月、逢わずに過ごしてこられたのも、罪作りなことだと、源氏の君は、心苦しくお思いになる。

(姫君)ひきわかれ…

(お別れしてから年は経っていましても、鶯が巣立ちした松の根を忘れましょうか)

幼い御心にまかせてお書きになったので、すんなりとした歌にはなっていない。

語句

■小松ひき遊ぶ 正月最初の子の日には、野で若菜を摘み小松を引き抜いて長寿を祈った。これを「小松引き」とか「子の日の遊び」という。 ■おき所なく 自分たちも小松引きにでかけたくてうずうずしているのてある。 ■北の殿 明石の君のすむ北西の御殿。 ■髭籠 竹などで編んだ籠の、編み残した端が、所々髭のように出ているもの。 ■破子 食物を入れる容器。中を区分けしてある。参考「破籠・小竹筒などこまやかにしたゝめさせ」(おくのほそ道・種の浜)。 ■五葉 下の「鶯」とともに模造品。正月の縁起物。 ■年月を… 「松」に「待つ」を、「経る」に「古る」を、「初音」に「初子」をかける。「松」は明石の姫君。「ひかれて」は「松」の縁語。参考「松の上になくうぐひすの声をこそ初ねの日とはいふべかりけれ」(拾遺・春 宮内)。 ■音せぬ里の 「今日だにも初音きかせよ鶯の音せぬ里はあるかひもなし」(源氏釈)。母娘別離の悲しみを歌う。 ■今までおぼつかなき年月 明石の君と姫君はこれまで四年間会っていない。 ■罪得がましく 明石の姫君を二条院に迎えた事情は【薄雲 04】に。 ■ひきわかれ… 「松の音」は実母明石の君をさす。 ■

朗読・解説:左大臣光永

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