【初音 06】人々、六条院に年賀に訪れる 管弦の遊び
今日は臨時客《りんじきやく》の事に紛《まぎ》らはしてぞ、おもがくしたまふ。上達部《かんだちめ》親王《みこ》たちなど、例の残るなく参りたまへり。御遊びありて、引出物禄《ひきいでものろく》など二《に》なし。そこら集《つど》ひたまへるが、我も劣らじともてなしたまへる中にも、すこしなずらひなるだに見えたまはぬものかな。とり放ちては、有職《いうそく》多くものしたまふころなれど、御前《おまへ》にてはけ押されたまふ、わろしかし。何の数ならぬ下部《しもべ》どもなどだに、この院に参るには、心づかひことなりけり。まして若やかなる上達部《かむだちめ》などは、思ふ心などものしたまひて、すずろに心げさうしたまひつつ、常の年よりもことなり。花の香さそふ夕風、のどかにうち吹きたるに、御前の梅やうやうひもときて、あれは誰時《たれどき》なるに、物の調べどもおもしろく、この殿うち出でたる拍子、いとはなやかなり。大臣《おとど》も時々声うち添へたまへる「さき草」の末つ方、いとなつかしうめでたく聞こゆ。何ごとも、さしいらへしたまふ御光にはやされて、色をも音《ね》をもますけぢめ、ことになむ分かれける。
現代語訳
今日は臨時客のさわがしさに紛らわせて、源氏の君は、まともに女君(紫の上)の御顔を見ないようにしていらっしゃる。上達部や親王たちなど、例によって残りなく年賀にいらっしゃった。管弦の御遊びがあって、その後の引き出物やお祝儀などは、またとないほど立派である。多くの人が集まっていらっしゃる人々が、人に引けを取るまいとふるまっていらっしゃる中にも、源氏の君とすこしでも並び立つような人さえ、お目にかかれないことといったら。一人一人個別に見れば、学識のある方が多くいらっしゃる当節であるのに、源氏の君の御前ではけ押されてしまわれるのが、情けないことであるよ。
人数にも入らないような下人たちなどさえ、この院(六条院)に入るには、格別に心遣いをするのだった。まして若々しい上達部などは、心に思うことなどがおありで、むやみに胸をときめかされて、例年よりも格別である。
花の香を誘い出す夕暮れの風が、のどかに吹いている中に、お庭前の梅がしだいにほころんできて、ちょうどたそがれ時であるので、管弦の調べがさまざまに興深く、「この殿」という謡にあわせてうち出した拍子の音は、まことにはなやかである。
大臣も時々声をお添えになる「さき草」の終わりのほうが、まことにほれぼれするほど、見事に聞こえる。何事も、源氏の君が相槌をお打ちになると、その素晴らしさに引き立てられて、色も音もあざやかさを増す。君の、他を圧倒する格の違いが、格別にはっきりと知らされるのであった。
語句
■臨時客 源氏は太政大臣として、親王、公卿たちを正月の宴に招く。 ■思ふ心 若者たちは玉鬘のことを意識している。源氏の目論見どおりである(【玉鬘 15】)。 ■心げさうしたまひつつ 「心げさう」は「心気左右」か。気持が落ち着かないさま? ■花の香さそふ夕風 引歌がありそうだが未詳。参考「花の香を風のたよりにたぐへてぞうぐひすさそふしるべにはやる」(古今・春上 紀友則)。 ■あれは誰時 「たそかれ時」「かはたれ時」と同じ。 ■この殿 「この殿は、むべも、むべも富みけり、さき草の、あはれ、さき草の、はれ、さき草の、三つば四つばの中に、殿づくりせりや、殿づくりせりや」(催馬楽・この殿は)。 ■拍子 笏拍子(しゃくびょうし)。笏を真半分に縦割りにした形をしており、二枚の木片を打ち合わせて拍子を取る。 ■さき草 「三枝」。前述の催馬楽の「さき草の、三つば四つばの中に」のところ。