【初音 07】源氏、二条院東院に末摘花を訪ねる

かくののしる馬車《むまくるま》の音をも、物隔てて聞きたまふ御方々は、蓮《はちす》の中の世界にまだ開けざらむ心地もかくや、と心やましげなり。まして東《ひむがし》の院に離れたまへる御方々は、年月にそへて、つれづれの数のみまされど、世のうき目見えぬ山路に思ひなずらへて、ゆれなき人の御心をば、何とかは見たてまつりとがめむ。そのほかの心もとなくさびしきこと、はた、なければ、行ひの方《かた》の人は、その紛れなく勤《つと》め、仮名のよろづの草子の学問心に入れたまはむ人は、またその願ひに従ひ、ものまめやかにはかばかしきおきてにも、ただ心の願ひに従ひたる住まひなり。さわがしき日ごろ過ぐして渡りたまへり。

常陸《ひたち》の宮の御方は、人のほどあれば心苦しく思して、人目の飾《かざり》ばかりは、いとよくもてなしきこえたまふ。いにしへ盛りと見えし御若髪も、年ごろに衰へゆき、まして滝の淀み恥づかしげなる御かたはら目などを、いとほしと思せば、まほにも向ひたまはず。柳はげにこそすさまじかりけれと見ゆるも、着なしたまへる人からなるべし。光もなく黒き掻練《かいねり》の、さゐさゐしく張りたる一襲《ひとかさね》、さる織物の袿《うちき》を着たまへる、いと寒げに心苦し。襲《かさね》の袿《うちき》などは、いかにしなしたるにかあらむ。御鼻の色ばかり、霞《かすみ》にも紛るまじく華やかなるに、御心にもあらずうち嘆かれたまひて、ことさらに御|几帳《きちやう》ひきつくろひ隔てたまふ。なかなか女はさしも思したらず、今はかくあはれに長き御心のほどを穏《おだ》しきものに、うちとけ頼みきこえたまへる御さまあはれなり。かかる方にも、おしなべての人ならず、いとほしく悲しき人の御さまと思せば、あはれに、我だにこそはと、御心とどめたまへるもあり難きぞかし。御声などもいと寒げに、うちわななきつつ語らひきこえたまふ。見わづらひたまひて、「御|衣《ぞ》どものことなど、後見《うしろみ》きこゆる人ははべりや。かく心やすき御住まひは、ただいとうちとけたるさまに、ふくみ萎《な》えたるこそよけれ。うはべばかりつくろひたる御|装《よそ》ひはあいなくなむ」と聞こえたまへば、こちごちしくさすがに笑ひたまひて、「醍醐《だいご》の阿闍梨《あざり》の君の御《み》あつかひしはべりとて、衣《きぬ》どももえ縫ひはべらでなむ。裘《かはぎぬ》をさへとられにし後《のち》寒くはべる」と聞こえたまふは、いと鼻赤き御|兄《せうと》なりけり。心うつくしといひながら、あまりうちとけ過ぎたりと思せど、ここにてはいとまめにきすくの人にておはす。「裘《かはぎぬ》はいとよし。山伏《やまぶし》の蓑代衣《みのしろごろも》にゆづりたまひてあへなむ。さてこのいたはりなき白妙《しろたへ》の衣《ころも》は、七重《ななへ》にもなどか重ねたまはざらん。さるべきをりをりは、うち忘れたらむこともおどろかしたまへかし。もとよりおれおれしく、たゆき心の怠《おこた》りに。まして方々の紛らはしき競《きほ》ひにも、おのづからなむ」とのたまひて、向ひの院の御倉《みくら》あけさせて、絹綾《きぬあや》など奉らせたまふ。荒れたる所もなけれど、住みたまはぬ所のけはひは静かにて、御前の木立ばかりぞいとおもしろく、紅梅の咲き出でたるにほひなど、見はやす人もなきを見わたしたまひて、

ふるさとの春の梢にたづね来て世のつねならぬはなを見るかな

独りごちたまへど、聞き知りたまはざりけんかし。

現代語訳

こうして大騒ぎしている馬や車の音も、物を隔てて遠くにお聞きになっていらっしゃる御方々にとっては、極楽浄土で蓮の花がまだ開かない時も気持ちもこうであろうかと、気に病んでいらっしゃる様子である。

まして東の院の離れにお住まいの御方々(末摘花・空蝉)は、年月がかさなるにつれて、所在なさの数ばかりが重なるが、「世のうき目見えぬ山路」に思いなぞらえて、冷淡な源氏の君の御心を、どうして非難がましく拝見しようか。

その他の不安でさびしいことは、また別にないのであるから、仏事を行うむきの方(空蝉)は、ほかの事に紛らわされずにお勤めに専念し、仮名のいろいろな草子の学問にご熱心な方(末摘花)は、またその願いに従い、実生活上のしっかりした取り決めにおいても、ひたすら希望にかなっている住まいである。源氏の君は騒々しい何日かをお過ごしになられてから、そちらにおいでになる。

常陸の宮の御方(末摘花)は、ご身分がご身分だけにお気の毒と源氏の君はお思いになって、人目によくするていどには、たいそうよく配慮してさしあげなさる。昔は盛りと見えた若々しい御髪も、年ごとに衰えてゆき、まして滝の淀みも顔負けするよう真っ青な御横顔などを、気の毒とお思いになるので、まっすぐ向かい合うこともなさらない。「柳の襲はやはり興ざめであったな」とご覧になるのも、着込んでいらっしゃる方のお人柄によるのだろう。艶もなく黒い練絹の、さやさやと音がするほど糊で張りのばした一襲の上に、このような織物の袿を着ていらっしゃるのは、たいそう寒そうで痛々しい。襲の袿などは、どうなさったのだろう。御鼻の色だけが花の色のように霞にも紛れず派手に目立っているので、思わずため息をおつきになって、わざわざ御几帳をおととのえになって隔てを作りなさる。

かえって女(末摘花)はそうもお思い至りにならず、今はこうしてしみじみと情深く気長な源氏の君のお気持を、安心して、気を許してご信頼申しあげなさっている御ようすが、いじらしいのである。源氏の君は、こうした実生活の方面においても、この姫君(末摘花)が並々の方ではなく、お気の毒で悲しいご境遇とお思いになるので、情深く、「せめて私だけはこの姫君を大切にお世話しよう」と、御心をおとどめになるのも、世に滅多に無い君の奇特なところである。姫君(末摘花)は、御声などもまことに寒そうで、震えながら、お話申しあげなさる。

源氏の君は、見ていられないとお思いになって、(源氏)「お召し物のことなど、お世話申し上げる人はございますか。このような気軽なお住まいでは、ただひふだんのままに、ふっくらとして糊気がないのがよいのです。上辺ばかりつくろっているお身なりは、似合いませんよ」と申しあげなさると、ぎこちなく、やはりお笑いになって、(末摘花)「醍醐寺の阿闍梨の君の御世話をしておりますので、そのことで忙しく、衣を縫うこともできずにおりました。皮衣までも取られてしまった後は、寒うございます」と申しあげなさるのは、たいそう鼻の赤い御兄君なのであった。邪気がないとはいえ、あまりにあけすけ過ぎると源氏の君はお思いになるが、姫君(末摘花)は、ここでは至極まじめに堅苦しくふるまっていらっしゃる。

(源氏)「皮衣はまあよいです。山伏の蓑の代わりの衣としてお譲りなさっても、どうにかなりますよ。さてこの大切にすることもない白い着物は、どうして七枚でも重ね着なさらないのでしょう。しかるべき折々には、私が忘れているようなことも、ご注意くださいませ。私は生まれつき愚かで、気がきかない性分で、怠けているものですから。その上、あちこちにごたごたとした用事が出てくるものですから、自然につい…」とおっしゃって、向かいの院の御倉をあけさせて、絹や綾などを姫君(末摘花)に差し上げなさる。荒れた所もないが、源氏の君がお住まいにならない御邸の雰囲気は静かで、御庭前の木立だけがたいそう趣深く、紅梅の咲き出している色どりの美しさなど、感心して見る人もないのを見渡しなさって、

(源氏)ふるさとの…

(旧宅の張るの梢をたずねて来て、世にもめずらしい花…鼻を見ることよ)

と独り言につぶやかれるが、おわかりにはならなかったことだろう。

語句

■物隔てて聞きたまふ御方々 花散里、明石の君など。 ■蓮の中の世界に… 紫の上の御殿が「生ける仏の御国」であるのに対して言う。下品下生の者は極楽浄土に生まれ変わっても、なお十二大劫の間、蓮の蕾の中で、花開くまで待たねばならない。 ■東の院 二条東院。 ■世のうき目見えぬ山路 「世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今・雑下 物部吉名)。歌意は、俗世間の悲しみから離れた世界(極楽浄土)に入るためには、愛している人こそが、ひきとめるものになるなあ。親兄弟や妻子など、俗世間で未練のある人のことが、極楽往生のさまたげになるの意。ここでは上句の意味のみ取る。 ■つれなき人の御心 自分たちに冷淡な源氏の心。 ■何とかは見たてまつりとがめむ わが運のつたなさゆえと諦め、納得している。 ■草子の学問 一般に「学問」とは漢詩文をさし、草子類、物語類は入らない。末摘花の「学問」の浮世離れしていることを皮肉った言い方。 ■ものまめやかにはかばかはきおきて 月々支給される金品や使用人についての取り決めであろう。 ■さわがしき日ごろ 正月は公式行事が多く、太政大臣である源氏は忙しい。臨時客についで、五日の叙位、七日の白馬《あおうま》の節会、八日以後の大極殿御斎会、九~十一日の県召の除目など。 ■盛りと見えし御若髪 末摘花は醜いが髪だけは美しかった(【末摘花 13】【蓬生 07】)。 ■滝の淀み 顔色をたとえる。末摘花の顔色をたとえて「色は雪はづかしう白うて、さ青に」(【末摘花 13】)とあった。今はそれよりもさらに青ざめている。 ■柳はげに 正月に末摘花に柳の織物を贈った(【玉鬘 17】)。紫の上の見立てによるが、源氏は末摘花に柳の織物は不似合いだろうと思った、まさそのとおりだったので、「げに」の言葉が出る。 ■さゐさゐしく さやさやと音が鳴るほど。 ■張りたる 「張る」は板の上に、糊をつけた衣料を張り付けて、乾かすこと。 ■さる織物の袿 源氏が贈った柳の織物。その下にふつうは「襲の袿」を数枚重ね着するが、「光もなく黒き掻練」を一襲だけ着ている。それが「寒げに心苦し」なのである。「袿」は婦人の平常服の表着。 ■かかる方 実生活の方面。収入、暮らし向き。衣食住。 ■我だにこそは 下に「見め」を補って読む。源氏の心長さ(【末摘花 10】)。 ■ふくみ萎えたる ふっくらと、糊気がない状態。末摘花の着こなしは正反対。 ■こちごちしく 「骨骨《こちごち》し」は洗練されていないさま。無骨である。不風流である。ぎこちない。 ■さすがに いくら末摘花が鈍感とはいってもやはり。 ■醍醐の阿闍梨の君 末摘花の兄弟。禅師の君(【蓬生 03】【同 07】)。醍醐寺は京都市伏見区醍醐にある寺。真言宗小野派の総本山。 ■皮衣 末摘花が着ていた貂裘《ちょうきゅう》。貂(てん)の皮衣。 ■鼻赤き御兄なり 語り手の言葉。妹の皮衣を取り上げるのは、寒がりの鼻の赤い兄なのだろうという嘲り。実際に醍醐の阿闍梨=禅師の君の鼻が赤いわけではない。 ■きすく 気直。堅苦しいこと。 ■山伏の蓑代衣 醍醐の阿闍梨のこと。醍醐寺は修験者の本拠地だから。 ■おれおれしく 「痴れ痴れし」は愚かである。 ■おのづからなむ 下に「貴女のお世話を忘れがちなのです」といった意味を補う。 ■向ひの院 二条院。東の院の向かいにある。 ■ふるさとの… 「ふるさと」は二条院東院。「花」に「鼻」をかける。末摘花は鼻が赤い(【末摘花 20】)。 ■尼衣 尼姿の意に加えて、源氏との若き日の出会いにおける小袿(薄衣)のことをひびかせた(【空蝉 05】)。

朗読・解説:左大臣光永

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