【蓬生 03】末摘花、荒れゆく邸を守り住む

もとより荒れたりし宮の内、いとど狐の住み処《か》になりて、うとましうけ遠き木立《こだち》に、梟《ふくろふ》の声を朝夕に耳馴らしつつ、人げにこそさやうのものもせかれて影隠しけれ、木霊《こたま》など、けしからぬ物ども、ところ得て、やうやう形をあらはし、ものわびしき事のみ数知らぬに、まれまれ残りてさぶらふ人は、「なほいとわりなし。この受領《ずりやう》どもの、おもしろき家造り好むが、この宮の木立を心につけて、放ちたまはせてむやと、ほとりにつきて、案内《あんない》し申さするを、さやうにせさせたまひて、いとかうもの恐ろしからぬ御住まひに、思し移ろはなむ。立ちとまりさぶらふ人も、いとたへがたし」など聞こゆれど、「あないみじや。人の聞き思はむこともあり。生ける世に、しかなごりなきわざはいかがせむ。かく恐ろしげに荒れはてぬれど、親の御影とまりたる心地する古き住み処《か》と思ふに、慰みてこそあれ」と、うち泣きつつ、思しもかけず。

御|調度《てうど》どもも、いと古代に馴れたるが昔様《むかしやう》にてうるはしきを、なま物のゆゑ知らむと思へる人、さるもの要じて、わざとその人かの人にせさせたまへる、とたづね聞きて案内するも、おのづからかかる貧しきあたりと思ひ侮《あなづ》りて言ひ来るを、例の女ばら、「いかがはせん。そこそは世の常のこと」とて、取り紛らはしつつ、目に近き今日明日の見苦しさをつくろはんとする時もあるを、いみじう諫《いさ》めたまひて、「見よと思ひたまひてこそ、しおかせたまひけめ。などてかかろがろしき人の家の飾とはなさむ。亡き人の御|本意《ほい》違《たが》はむがあはれなること」とのたまひて、さるわざはせさせたまはず。

はかなきことにても、見とぶらひきこゆる人はなき御身なり。ただ御|兄《せうと》の禅師《ぜんじ》の君ばかりぞ、まれにも京に出でたまふ時はさしのぞきたまへど、それも世になき古めき人にて、同じき法師といふ中にも、たづきなく、この世を離れたる聖《ひじり》にものしたまひて、しげき草|蓬《よもぎ》をだに、かき払はむものとも思ひ寄りたまはず。

「かかるままに、浅茅《あさぢ》は庭の面《おも》も見えず、しげき蓬《よもぎ》は軒をあらそひて生《お》ひのぼる。葎《むぐら》は西東《にしひむがし》の御門《みかど》を閉ち籠めたるぞ願もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を、馬《むま》牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角《あげまき》の心さへぞめざましき。

八月、野分《のわき》荒かりし年、廊《らう》どもも倒れ伏し、下《しも》の屋《や》どもの、はかなき板葺《いたぶき》なりしなどは骨のみわづかに残りて、立ちとまる下衆《げす》だになし。煙《けぶり》絶えて、あはれにいみじきこと多かり。盗人《ぬすびと》などいふひたぶる心ある者も、思ひやりのさびしければにや、この宮をば不用《ふよう》のものに踏み過ぎて寄り来《こ》ざりければ、かくいみじき野ら藪《やぶ》なれども、さすがに寝殿の内ばかりはありし御しつらひ変らず。つややかに掻《か》い掃《は》きなどする人もなし、塵《ちり》は積れど、紛るることなきうるはしき御住まひにて、明かし暮らしたまふ。

現代語訳

もともと荒れていたお邸の内は、いよいよい狐の住処となって、気味が悪く人気の無い木立に、梟の声を朝夕に聞き慣れつつ、人気があったればこそ、そのようなものも防がれて姿を隠していたが、今は木霊などという、怪しい物どもが、わがもの顔で、しだいに形をあらわし、なんとなく侘しい事ばかり際限なくふえるのを、たまたま残ってお仕えしている女房たちは、(女房)「やはりひどくやりきれないです。あの受領たちで、風情ある家の造りを好む者たちが、このご邸の木立に目をつけて、「お手放しになられては」と、つてを求めて、ご意向をさぐらせ申させるのを、そのようにお手放しなさいまして、こうひどく恐ろしくはない御住まいに、御決心してお移りくださいまし。残りとどまってお仕えしている女房たちも、とても堪えられません」など申し上げるが、(末摘花)「まあひどいことを。世間の人が聞いたらどう思うでしょうか。私が生きている間に、そんな昔の跡形もなくなってしまうようなことは、どうしてできましょう。こんな恐ろしげに荒れ果ててしまっているけれど、親の御姿がとどまっている気がする古い住処と思うと、慰められるのです」と泣き泣きして、ご邸を手放そうなどとは思いもよられない。

御調度品の数々も、たいそう古風で使い慣れている品々で、昔の様式で立派なのを、生半可に風流がろうとする人が、そのような物を欲しがって、故宮がわざわざあの人その人に命じて作らせられたのだと、聞き出して譲渡の意向をさぐるのだが、自然と、こんな貧しい者たちと思って、侮って言ってくるのを、いつもお仕えしている女房たちが、「どうにもなりません。こうしたことは世の常のことですから」と、ごまかしごまかし、さしせまった今日明日の見苦しさを取り繕おうとする時もあるのを、姫君はきつくお諌めになって、(末摘花)「父宮は私に所有させようと思われたからこそ、このように作らせておおきになったのでしょう。それをどうして身分卑しき者の家の飾としてよいものですか。亡き人の御気持に違えるのは悲しいことです」とおっしゃって、手放すようなことはなさらない。

姫君は、ほんのちょっとした用事でも、お訪ね申し上げる人もない御身なのである。

ただ御兄の禅師の君だけが、まれに京においでになる時は御顔を出されるが、この人も世にまたとない古風な方で、同じ法師という中にも、暮らしの拠り所がなく、浮世離れした聖でいらっしゃって、生い茂った雑草や蓬さえも、うち払おうともお気づきにならないのだ。

こうしているうちに、浅茅は庭の面も見えないほどになり、茂った蓬は軒と高さをあらそって生えのぼる。葎は西と東の御門を塞いでしまったのは頼もしいが、とかく崩れがちな御邸を取り巻く垣を、馬や牛などが踏みならしているのを道として、春や夏になると、その馬牛を御邸の庭の内で放し飼いにする牧童の心までも、ひどく遠慮がないことだ。

八月、野分が荒く吹いた年、あちこちの渡り廊下も倒れ伏し、召使いたちがすむ雑舎で、みすぼらしい板葺きであった建物などは、骨だけがわずかに残って、そこに居残る召使いさえもいない。

炊事の煙が絶えて、いたわしく酷いことが多いのだ。盗人などといった容赦ない強引な者どもも、見すぼらしい外観から想像するに貧乏で盗むものもないと思ってか、この御邸を用のないものとして素通りして近寄らないので、このようなひどい野中の藪ではあるが、そうはいってもやはり寝殿の中だけは以前の御設備のまま変わらない。

きれいに掃除などする人もなく、塵は積もっているが、それにまぎれることない立派な御住まいで、姫君は明け暮れお過ごしになっている。

語句

■狐の住み処となりて 狐=妖怪めいたもの。「いづれか狐なるらんな」(【夕顔 09】)。 ■うとましう 「うとまし」は不気味である。 ■梟 当時、梟は不吉な鳥。このあたり夕顔巻との類似が際立つ。「梟はこれにやとおぼゆ」(【夕顔 12】)。 ■木霊 樹木の精霊。 ■ほとり 近くの人。近親者。縁者。 ■案内し申さするを 受領が、女房に、末摘花への「案内」をさせるのである。 ■移ろはなむ 「なむ」は訴えの終助詞。 ■しかなごりなり 「なごり」は父宮在世の時のなごり。末摘花は貧しくても親王家の娘としての誇りを失わない。 ■なま物のゆゑ知らむと思へる人 生半可に風流がろうとする人。成金の受領階級の姿がうかぶ。 ■その人かの人 名工のあの人その人。 ■せさせたまへる 「す」は代動詞。ここでは「作る」の意。 ■そこそは 「そ」は調度品などを売って生活の足しとすること。 ■目に近き 差し迫った、目の前の。 ■さるわざ 生活のために父の遺した調度品を売ること。 ■御兄の禅師の君 ここではじめて言及される。 ■たづきなく 「たづき」は生活の手立て。収入。 ■聖 法師。とくに山中にこもり厳しい修行をする僧。 ■浅茅 丈の低いちがや。雑草。荒れた宿の象徴。 ■蓬 菊科の多年生植物。それに代表される雑草一般。 ■葎 つる草の総称。以上「浅茅」「蓬」「葎」はいずれも荒れた宿の象徴。「八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり」(小倉百人一首四十七番)。 ■西東の御門を閉じ籠めたるぞ 葎が門を閉ざす趣向は和歌によくよまれる。「いまさらに問ふべき人もおもほえず八重葎して門鎖せりてへ」(古今・雑下 読人しらず)。 ■総角 児童の髪型。ここではその髪型をした児童。 ■野分 強風。台風。 ■廊 渡り廊下。 ■下の屋 召使いたちが住む雑舎。 ■煙絶えて 炊事の煙が絶えて。仁徳天皇が高所にのぼって家々に炊事の煙が絶えているのを見て三年間租税を免除した逸話が念頭にあるか。 ■ひたぶる心 盗むことに対して熱心な心。 

朗読・解説:左大臣光永

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