【常夏 07】内大臣、近江の君を弘徽殿女御に託す

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大臣、この北の対の今君を、「いかにせむ、さかしらに迎へゐて来て、人かく譏《そし》るとて返し送らむもいと軽々《かるがる》しく、もの狂《くる》ほしきやうなり。かくて籠《こ》めおきたれば、まことにかしづくべき心あるかと、人の言ひなすなるもねたし。女御の御方などにまじらはせて、さるをこの者にしないてむ。人のいとかたはなるものに言ひおとすなる容貌《かたち》、はた、いとさ言ふばかりにやはある」など思して、女御の君に、「かの人参らせむ。見苦しからむことなどは、老いしらへる女房などして、つつまず言ひ教へさせたまひて御覧ぜよ。若き人々の言ぐさには、な笑はせさせたまひそ。うたてあはつけきやうなり」と、笑ひつつ聞こえたまふ。「などか、いとさことの外《ほか》にははベらむ。中将などのいと二《に》なく思ひはべりけんかね言にならずというばかりにこそははべらめ。かくのたまひ騒ぐを、はしたなう思はるるにも、かたへはかかやかしきにや」と、いと恥づかしげにて聞こえさせたまふ。この御ありさまはこまかにをかしげさはなくて、いとあてに澄みたるものの、なつかしきさま添ひて、おもしろき梅の花の開けさしたる朝ぼらけおぼえて、残り多かりげにほほ笑みたまへるぞ、人にことなりける、と見たてまつりたまふ。「中将の、いとさ言へど、心若きたどり少なさに」など申したまふも、いとほしげなる人の御おぼえかな。

現代語訳

内大臣は、今度の北の対の姫君(近江の君)を、「どうしたものか。おせっかいにも迎え入れて、人がこのように悪口を言うからといって送り返すこともひどく軽率で、気違いじみているようだ。こうして邸の中にとどめておけば、ほんとうに大切に世話をするつもりなのかと、人々が言っているときくのも恨めしい。女御の御方(弘徽殿女御)などに出入りさせて、それ相応の笑いものにしてしまおう。人がひどく見苦しいと悪口をいっているというこの姫君の器量も、しかし、そこまでひどく言うほどのことではあるまい」などとお思いになって、女御の君(弘徽殿女御)に、「あの人(近江の君)を参上させましょう。見苦しいようなところなどは、年取った女房などに言いつけて、遠慮なく指導させて、世話をしてください。若い女房たちの話の種にして笑い者にはさせないでくださいよ。かの姫君(近江の君)は、ひどく浮ついているようですから」と、笑い笑い申し上げなさる。

(女御)「どうして、そんな特別にひどいということがございましょう。中将(柏木)などが、まことに類もなく素晴らしい姫君だと思って申しておりましたが、その前触れほどではない、という程度のことではないのでしょうか。父上がこんなにおっしゃってお騒ぎたてになるので、姫君(近江の君)がつい決まりが悪く思われるのも、一つには恥ずかしいことなのではないでしょうか」と、まことにこちらが気後れするほど立派に申し上げなさる。この女御のご様子は細やかな美しさはないが、まことに上品で清楚でありながら、心惹かれる魅力が加わって、美しい梅の花が明け方に開きかかっている様子を思わせ、まだまだ言いたいことが残っているふうに微笑んでいらっしゃるのが、人と違っている、と内大臣は御覧になられる。(内大臣)「中将が実際ああは言うものの、若さゆえの思慮のたりなさで、よく調べなかったものですから…」など申し上げなさるのも、姫君(近江の君)にとっては、お気の毒な親のおぼえというものだ。

語句

■かく譏るとて 「この今の御むすめ…譏りきこゆ」(【常夏 04】)。 ■女御の御方 弘徽殿女御。内大臣の娘。 ■をこの者 笑われ者。 ■見苦しからむこと 行儀作法がなっていないところ。 ■笑はせさせたまひそ つい直前の独白では近江の君を「をこの者にしないてむ」とあるが、やはり実の娘だけあって本当に笑い者にはしたくない。内大臣のいい加減でありながら子煩悩でもある性格が出ている。 ■笑ひつつ 内大臣は女御による近江の君への教育はうまくいかないだろうと内心わかっており、冗談めかして言っている。 ■いとさことの外にははべらむ 女御は、近江の君はそこまで悪くないでしょうと弁護する。 ■中将などの… 柏木は実際に近江の君に逢う前に「きっとすばらしい姫君でしょう」などと話したようである。その期待ほどではなかったという程度のことで、良さ悪さの絶対値からいえば、けして悪い部類ではないのだと女御は近江の君を弁護する。 ■かね言 前触れ。期待をこめて柏木らが姫君について話していたのだろう。 ■かたへは 一つにはそれで。 ■おもしろき梅の花の… 「にほはねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしとをりてながむれ」(『河海抄』に『源氏釈』からの引歌とあるが現存本にはふくれまない)。 ■中将の、いとさ言へど 柏木め、余計なことをしてくれた…という内大臣の感慨がこもっている。こうした端々に内大臣家の親子関係がうかがえて興味深い。 ■心若きたどり少なさに 下に「こんなことになってしまったのだ」の意を補って読む。内大臣は女御に親のとしての薄情さを責められると、柏木に責任転嫁してお茶をにごす。 

朗読・解説:左大臣光永

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