【野分 05】夕霧、源氏の使として中宮を見舞い、折返し報告

原文

「いとおどろおどろしかりつる風に、中宮に、はかばかしき宮司《みやづかさ》などさぶらひつらむや」とて、この君して御|消息《せうそこ》聞こえたまふ。「夜の風の音は、いかが聞こしめしつらむ。吹き乱りはべりしに、おこりあひはべりて、いとたへがたき。ためらひはべるほどになむ」と聞こえたまふ。

中将下《お》りて、中の廊《らう》の戸より通りて、参りたまふ。朝ぼらけの容貌《かたち》、いとめでたくをかしげなり。東《ひむがし》の対《たい》の南のそばに立ちて、御前の方を見やりたまへば、御格子|二間《ふたま》ばかり上げて、ほのかなる朝ぼらけのほどに、御簾《みす》捲《ま》き上げて人々ゐたり。高欄《かうらん》に押しかかりつつ、若やかなるかぎりあまた見ゆ。うちとけたるはいかがあらむ。さやかならぬ明けぐれのほど、いろいろなる姿は、いづれともなくをかし。童《わらは》べ下ろさせたまひて、虫の籠《こ》どもに露《つゆ》かはせたまふなりけり。紫苑《しをん》撫子《なでしこ》、濃き薄き衵《あこめ》どもに、女郎花《をみなへし》の汗袗《かざみ》などやうの、時にあひたるさまにて、四五人連れて、ここかしこの草むらによりて、いろいろの籠《こ》どもを持《も》てさまよひ、撫子《なでしこ》などのいとあはれげなる枝ども取りもてまゐる、霧のまよひは、いと艶《えん》にぞ見えける。吹き来る追風は、紫苑ことごとに匂ふ空も香《かう》のかをりも、触ればひたまへる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく、心げさうせられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて歩み出でたまへるに、人々けざやかにおどろき顔にはあらねど、みなすべり入りぬ。御参りのほどなど、童なりしに入り立ち馴れたまへる、女房などもいとけうとくはあらず。御|消息《せうそこ》啓《けい》せさせたまひて、宰相《さいしやう》の君、内侍《ないし》などけはひすれば、私事《わたくしごと》も忍びやかに語らひたまふ。これはた、さ言へど気《け》高く住みたるけはひありさまを見るにも、さまざまにもの思ひ出でらる。

南の殿《おとど》には、御格子まゐりわたして、昨夜《よべ》見|棄《す》て難かりし花どもの、行《ゆ》く方《へ》も知らぬやうにてしをれ臥したるを見たまひけり。中将|御階《みはし》にゐたまひて、御返り聞こえたまふ。「荒き風をもふせがせたまふべくやと、若々しく心細くおぼえはべるを、今なむ慰みはべりぬる」と聞こえたまへれば、「あやしくあえかにおはする宮なり。女どちは、もの恐ろしく思しぬべかりつる夜《よ》のさまなれば、げにおろかなりとも思いつらむ」とて、やがて参りたまふ。

御|直衣《なほし》など奉るとて、御簾《みす》ひき上げて入りたまふに、短き御几帳《みきちやう》ひき寄せて、はつかに見ゆる御袖口は、さにこそあらめと思ふに、胸つぶつぶと鳴る心地するもうたてあれば、外《ほか》ざまに見やりつ。殿、御鏡など見たまひて、忍びて、「中将の朝明《あさけ》の姿はきよげなりな。ただ今はきびはなるべきほどを、かたくなしからず見ゆるも、心の闇にや」とて、わが御顔は、旧《ふ》り難《がた》くよしと見たまふべかめり。いといたう心げさそさ御さうしたまひて、「宮に見えたてまつるは、恥づかしうこそあれ。何ばかりあらはなるゆゑゆゑしさも見えたまはぬ人の、奥ゆかしく心づかひせられたまふぞかし。いとおほどかに女しきものから、気色づきてぞおはするや」とて、出でたまふに、中将ながめ入りて、とみにもおどろくまじき気色にてゐたまへるを、心|鋭《と》き人の御目にはいかが見たまひけむ、たち返り、女君に、「昨日《きのふ》、風の紛《まぎ》れに、中将は見たてまつりやしてけん。かの戸の開きたりしによ」とのたまへば、面《おもて》うち赤みて、「いかでかさはあらむ。渡殿の方には、人の音もせざりしものを」と聞こえたまふ。「なほあやし」と独りごちて、渡りたまひぬ。

御簾《みす》の内に入りたまひぬれば、中将、渡殿《わたどの》の戸口に人々のけはひするに寄りて、ものなど言ひ戯《たはぶ》るれど、思ふことの筋筋《すぢすぢ》嘆かしくて、例よりもしめりてゐたまへり。

現代語訳

(源氏)「ひどく恐ろしかった風であったが、中宮の御方に、しかるべき宮仕などはお仕えしていたのだろうか」といって、この中将の君を使としてご連絡を差し上げなさる。(源氏)「昨夜の風の音は、どうお聞きになりましたか。風が吹き狂っておりました間、風邪をこじらせまして、まったく辛いことでした。それでおうかがいせずじまいになってしまいました次第で…」と申し上げなさる。

中将は大臣(源氏)の前を下って、中の廊の戸から通って、中宮の御方へおいでになる。朝がほのぼのと明けようとしている時分の中将(夕霧)のお姿は、まことに華やかで美しげである。東の対の南側に立って、中宮の寝殿の方をお見やりになると、御格子をニ間だけ上げて、ほのかな明け方の薄明かりの中、御簾を巻き上げて女房たちが座っている。高欄のあちこちによりかかっている若い女房たちが多く見える。くつろいでいる時の彼女たちの姿はどんなだろう。夜明けの薄ぼんやりした暗がりの中で、色とりどりの衣を着た姿は、特にどの人がということもなく、皆それぞれに風情がある。

中宮は、女童たちを庭にお下ろしになって、多くの虫籠に露をおやりになっていらっしゃるのだった。女童たちは、紫苑、撫子、濃淡さまざまな衵に、女郎花の汗袗などといった、時節にぴったりの装いで、四五人連れて、あちこちの草むらに立ち寄って、色とりどりの虫籠を持って歩き回り、撫子などの、風に吹き荒らされてひどいことになっている多くの枝を取って、中宮の御前に持って参る、その姿が霧の合間に見え隠れして、まことに優美に見えるのだった。

吹き寄せる風は、紫苑の花もいっせいに匂うような香のかおりも、中宮が繰り返しお触れになったせいであろうかと、まったく素晴らしいことと思いやられて、つい気遣いしてしまい、中宮の御前に出ていくのも気が引けるが、しのびやかに挨拶して歩み出なさると、女房たちはそう露骨におどろいた顔をするわけではないが、みなそっと奥に入ってしまった。

中宮が入内なさった当時などは、中将は童であったので、御簾の内に出入りして馴染んでいらっしゃったので、女房などもそれほどよそよそしくはない。中将(夕霧)は、大臣(源氏)からの御消息を中宮(秋好中宮)にお伝えになって、宰相の君や内侍などの気配がするので、内輪の話も忍びやかにお語らいになる。こちらの御殿もまた、そうはいっても、気高くお住まいでいらっしゃる気配や様子を見るにつけても、中将はつい、さまざまなもの思いにかられるのだ。

南の御殿では、御格子を開け渡して、女君(紫の上)は、昨夜見捨るに忍びなかった花々が、行方もわからぬようにしおれ伏しているのを御覧になっていらっしゃるのだった。中将は御階におすわりになって、中宮からのご返事をご報告申し上げなさる。(夕霧)「荒い風をも防いでくださるだろうかと、子供っぽく心細く思っておりましたところ、こうしてお便りをいただきました今は、慰められました」と申し上げなさると、(源氏)「中宮は妙にはかないところがおありの方なのだ。女ばかりでは、きっとそら恐ろしかっただろう昨夜の空模様なので、まことに私のことを不親切ともお思いになっただろう」といって、すぐに中宮方へおいでになる。

御直衣などをお召しになるということで、大臣(源氏)が御簾をひき上げて奥にお入りになる時、中将(夕霧)は、背の低い御几帳をひき寄せた隙間から、ちらりと見える御袖口は、あの御方(紫の上)に違いないと思うにつけ、胸がどきどきとたかる気持がするのも疎ましいので、別の方角に目をそらしている。殿(源氏)は、御鏡などを御覧になって、そっと女君(紫の上)に、(源氏)「中将の朝明けの姿は美しいですね。まだほんの子供のはずなのに、そう見苦しくもなく見えるのも、親の心の闇というやつでしょうか」といって、ご自分の御顔は、いくつになっても美しいと思っていらっしゃるようだ。まことにたいそうな心遣いをなさって、(源氏)「中宮にお目にかかるのは、気後れしますよ。特にこれといってはっきりした由緒ありそうなところもお見えにならない人だが、奥ゆかしくて自然とこちらが心遣いしてしまう方なのですよ。たいそうおっとのして女らしいが、一本芯の通った方でいらっしゃるのですよ」といって、御簾の外にお出ましになると、中将(夕霧)がぼんやり物思いにふけって、すぐには気づきそうもない様子でいらっしゃるのを、大臣(源氏)の察しのよいお目には、どう御覧になったのだろうか、すぐ引き返して、女君(紫の上)に、(源氏)「昨日、風に紛れて、中将は貴女の姿を拝見したのではありませんか。あの妻戸が開いていたのですからね」とおっしゃると、女君は顔をお赤らめになって、(紫の上)「どうしてそんなことがございましょう。渡殿の方には、人の音もしませんでしたのに」と申し上げなさる。(源氏)「それでもやはり、あやしい」と独り言をおっしゃって、中宮の御殿においでになる。

大臣が中宮のお部屋の御簾の内にお入りになると、中将は、渡殿の戸口に女房たちの気配がするのに近寄って、冗談を言ったりするが、思うことのあれこれが嘆かわしくて、いつもよりふさぎ込んでいらっしゃる。

語句

■宮司 中宮職の職員。 ■おこりあひはべりて 実際に風邪を引いたのではなくお見舞いをしなかったことへの言い訳だろう。 ■なむ 下に「まうでずなりはべりぬる」などを補って読む。 ■中将下りて 源氏の前を下って、簀子から地面に下りる。 ■朝ぼらけ 朝がほのぼのと明ける時間帯。「曙《あけぼの》」の後で「朝《あした》」の前。 ■東の対 中宮方の。 ■ニ間 柱と柱の間ふたつぶん。 ■人々 中宮つきの女房たち。 ■紫苑 表薄紫色、裏青。 ■撫子 表薄蘇芳、裏青。 ■衵 女性・童女が肌近くに着る衣類。汗袗の下に着るが、これを上着とすることもあった。 ■女郎花 表は縦糸が青、横糸が黄、裏青。 ■汗袗 内裏に仕える女性が着た上着。 ■紫苑ことごとに匂う空も香のかをりも この一文意味不明。「紫苑ことごとににほふらん香のかおりも」とするテキストに従う。 ■触ればひたまへる 「触ればふ」は繰り返し触れる。 ■心げさうせられて 「心気左右せられて」。つい心遣いをして。このあたり文章に癖がありすぎ、きわめて読みづらい。 ■御参りのほど 秋好中宮が入内した時、夕霧は十歳。 ■宰相の君、内侍 中宮付きの女房。 ■私事 女房たちとの内輪の話。 ■さ言へど 客人と女房たちが内輪話をしているとはいっても。ふつうそんなことがあれば風紀が乱れているようだが、中宮の御殿はちゃんとしているの意。 ■げにおろかなりとも 昨夜源氏が中宮を訪ねていかなかったことを中宮は不親切だと思っているだろうの意。 ■はつかに ほんの少し。 ■朝明 「け」は「あけ」の略。 ■きびはなるべき 「きびわ」は幼くて弱々しいさま。 ■心の闇にや 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■中将ながめ入りて 夕霧は紫の上に気を取られて放心状態。源氏が簀子に出てきたのにも気づかない。 ■かの戸の開きたりしによ 「かの妻戸の開きたりけるよ、と今ぞ見とがめたまふ」(【野分 02】)。 ■中将、渡殿の戸口に 夕霧は源氏に随行してきた。源氏は中宮のお部屋の中に入り、夕霧は外で待機。 ■思ふこと 紫の上や雲居雁のこと。

朗読・解説:左大臣光永

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