【野分 08】源氏、花散里を見舞う
東《ひむがし》の御方へ、これよりぞ渡りたまふ。今朝《けさ》の朝寒《あささむ》なるうちとけわざにや、物裁《ものた》ちなどするねび御達《ごたち》、御前にあまたして、細櫃《ほそびつ》めくものに、綿ひきかけてまさぐる若人どもあり。いときよらなる朽葉《くちば》の羅《うすもの》、今様色《いまやういろ》の二《に》なく擣《う》ちたるなど、ひき散らしたまへり。「中将の下襲《したがさね》か。御前の壺前栽《つぼせんざい》の宴《えん》もとまりぬらむかし。かく吹き散らしてむには、何ごとかせられむ。すさまじかるべき秋なめり」などのたまひて、何にかあらむ、さまざまなるものの色どもの、いときよらなれば、かやうなる方は、南の上にも劣らずかしと思す。御|直衣《なほし》の花文綾《けもんりやう》を、このごろ摘《つ》み出だしたる花して、はかなく染め出でたまへる、いとあらまほしき色したり。「中将にこそ、かやうにては着せたまはめ。若き人のにてめやすかめり」などやうのことを聞こえたまひて渡りたまひぬ。
現代語訳
大臣(源氏)は中将(夕霧)を従えて、東の御方(花散里)のもとへ、ここからおいでになる。そちらでは今朝は寒いので客もないだろうと油断していたのだろうか、裁縫などする年老いた女房たちが、御前に多くいて、細櫃めいたものに、綿をひきかけていじっている若女房たちもいる。まことにさっぱりした朽葉の薄物、今様色の比類なく砧で打って艶を出しているものなどを、ひき散らかしていらっしゃる。
(源氏)「中将の下襲ですか。せっかく仕立てても、清涼殿のお庭の壺前栽の宴も中止になるでしょうに。こんなに野分が吹き散らしてしまっては、何ができましょうか。殺風景な秋になりそうです」などとおっしゃって、何だろうか、さまざま色とりどりの織物が、たいそう美しげであるので、大臣は、この女君(花散里)は、こうした方面においては、南の上(紫の上)にも劣らないことだとお思いになる。大臣のお召になっている御直衣の花模様の綾を、最近摘んだ花で、それとなく染め出していらっしゃるのは、まことに好ましい色をしている。(源氏)「中将にこそ、このように着せてください。若い人が着たほうがよいでしょう」などといったようなことをお申し付けになられて、お帰りになる。
語句
■うちとけわざ 「うちつけわざ」とする本も。その場合、朝が寒いことによるにわか仕事。 ■綿ひきかけて 綿をのばして、綿入れを作っている。 ■朽葉 赤みをおびた黄色。 ■薄物 羅・紗・絽などの薄い織物。 ■今様色 濃い紅梅色。 ■擣ちたる 砧で打って光沢を出してある。 ■下襲 束帯姿の時、袍《ほう》・半臂《はんぴ》などの下に着るもの。背後の裾(きょ)を長くして後ろに出し、引いて歩いたり人に持たせたりする。 ■壺前栽 清涼殿の西庭。 ■かやうなる方 染色に関すること。紫の上も染色に通じている(【玉鬘 17】)。 ■花文綾 花の文様を織りだした綾。 ■渡りたまひぬ 紫の上の方に。