【行幸 07】内大臣、大宮の催促に応じて三条宮へ

内《うち》の大殿《おほいどの》にも、かく三条宮に太政大臣《おほきおとど》渡りおはしまいたるよし聞きたまひて、「いかにさびしげにていつかしき御さまを待ちうけきこえたまふらむ。御前《ごぜん》どももてはやし御座《おまし》ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は御供にこそものせられつらめ」など驚きたまうて、御子どもの君達、睦《むつ》ましうさるべき廷臣《まうちぎみ》たち奉れたまふ。「御くだもの、御酒《おほむみき》などさりぬべく参らせよ。みづからも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」などのたまふほどに、大宮の御文あり。

「六条の大臣《おとど》のとぶらひに渡りたまへるを、ものさびしげにはべれば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことごとしう、かう聞こえたるやうにはあらで、渡りたまひなんや。対面《たいめん》に聞こえまほしげなることもあなり」と聞こえたまへり。「何ごとにかはあらむ。この姫君の御こと、中将の愁《うれ》へにや」と思しまはすに、「宮もかう御世の残りなげにて、この事と切《せち》にのたまひ、大臣も憎からぬさまに一言《ひとこと》うち出で恨みたまはむに、とかく申し返さふことえあらじかし。つれなくて思ひ入れぬを見るにはやすからず、さるべきついであらば、人の御|言《こと》になびき顔にてゆるしてむ」と思す。御心をさしあはせてのたまはむこと、と思ひ寄りたまふに、いとど辞《いな》びどころなからむが、またなどかさしもあらむ、とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。「されど宮かくのたまひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや。かたがたにかたじけなし。参りてこそは御気色に従はめ」など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前などもことごとしきさまにはあらで渡りたまふ。

君たちいとあまたひきつれて入りたまふさま、ものものしう頼もしげなり。丈《たけ》だちそぞろかにものしたまふに、太さもあひて、いと宿徳《しうとく》に、面《おも》もち、歩《あゆ》まひ、大臣といはむに足らひたまへり。葡萄染《えびぞめ》の御|指貫《さしぬき》、桜の下襲《したがさね》、いと長う裾《しり》ひきて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらしと見えたまへるに、六条殿《ろくでうどの》は、桜の唐《から》の綺《き》の御|直衣《なほし》、今様色の御|衣《ぞ》ひき重ねて、しどけなきおほぎみ姿、いよいよたとへんものなし。光こそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへる御ありさまに、なずらへても見えたまはざりけり。

君たち次々に、いとものきよげなる御仲らひにて、集《つど》ひたまへり。藤《とう》大納言、春宮大夫《とうぐうのだいぶ》など今は聞こゆる御子どもも、みな成り出でつつものしたまふ。おのづから、わざともなきに、おぼえ高くやむごとなき殿上人《てんじやうびと》、蔵人頭《くらひとのとう》、五位の蔵人《くらうど》、近衛の中少将、弁官など、人柄華やかにあるべかしき十余《じふよ》人集ひたまへれば、いかめしう、次々のただ人《うど》も多くて、土器《かはらけ》あまたたび流れ、みな酔《ゑ》ひになりて、おのおの、かう幸ひ人にすぐれたまへる御ありさまを物語にしけり。

大臣も、めづらしき御対面に昔の事思し出でられて、よそよそにてこそ、はかなき事につけて、いどましき御心も添ふべかめれ、さし向ひきこえたまひては、かたみにいとあはれなる事の数数思し出でつつ、例の隔てなく、昔今の事ども、年ごろの御物語に日暮れゆく。御土器などすすめまゐりたまふ。「さぶらはではあしかりぬべかりけるを、召しなきに憚りて。承り過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」と申したまふに、「勘当はこなたざまになむ。勘事と思ふこと多くはベる」など、気色ばみたまふに、このことにや、と思せば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。「昔より、公私の事につけて、心の隔てなく、大小の事聞こえ承り、羽翼を並ぶるやうにて、朝廷の御後見をも仕うまつる、となむ思うたまへしを、末の世となりて、その上思ひたまへし本意なきやうなる事うちまじりはべれど、内々の私事にこそは。おほかたの心ざしは、さらに移ろふことなくなむ。何ともなくてつもりはべる年齢にそへて、いにしへの事なん恋しかりけるを、対面賜はることもいとまれにのみはべれば、事限りありて、よだけき御ふるまひとは思ひたまへながら、親しきほどには、その御勢をもひきしじめたまひてこそは、とぶらひものしたまはめとなむ、恨めしきをりをりはべる」と聞こえたまへば、「いにしへはげに面馴れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、朝廷に仕うまつり羽翼を並べたる数にも思ひはべらで、うれしき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にてかかる位に及びはべりて、朝廷に仕うまつりはべることにそへても、思うたまへ知らぬにははベらぬを、齢のつもりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなむ、多くはべりける」など、かしこまり申したまふ。

そのついでにほのめかし出でたまひてけり。大臣、「いと

現代語訳

内大臣も、こうして三条宮に太政大臣(源氏)がおいでになられていることをお聞きになって、(内大臣)「どんなにみすぼらしい様子で、ご立派な大臣をお迎え申し上げていらっしゃることだろう。前駆の人々をおもてなししたり御座をととのえる人も、しっかりとした人はいないだろう。中将(夕霧)は大臣の御供をしていらっしゃるだろうし」などとご動揺なさって、ご子息の君達や、親しく出入りしているしかるべき公卿たちを三条宮にお遣わしになる。

(内大臣)「お菓子やお酒などを、失礼にならぬよう献上せよ。私自身も参るべきだが、かえって大げさになるだろうから」などおっしゃっているところに、大宮からのお手紙がある。

(大宮)「六条の大臣(源氏)がお見舞いにおいでになっておられますが、ここ(三条宮)はいかにも寂しげでございますので、人目にも体裁が悪く、畏れ多くも存じますので、大げさに、私がこう申し上げたから、というようにではなく、それとなく三条宮においでくださいませんか。大臣が、お会いしてお話なさりたいことがあるそうです」と申し上げなさる。

(内大臣)「何事だろう。ここの姫君(雲居雁)の御事、中将が嘆いていらっしゃる件だろうか」とお勘ぐりなさり、「大宮もこうしてお命も残りなげであるし、大臣がこの事をぜひにとおっしゃり、おだやかに一言はっきり懇願してくださるなら、私がどうのこうのとお断り申すことはできまい。中将(夕霧)が姫君(雲居雁)に対して冷淡に思い入れがないようすを見るのはおもしろくないし、しかるべき機会があれば、大臣の御言葉になびいた体で、二人の結婚を許してしまおう」とお思いになる。

大臣と大宮とで御心をあわせておっしゃることだとご想像なさるにつけ、そう反対する理由もなさそうだが、また一方で、どうしてこちらから折れることができようと、ご躊躇なさるのは、ひどくやっかいな向こう気の強さというものである。

(内大臣)「しかし大宮がこうおっしゃっているし、大臣もお会いすべくお待ちしていらっしゃるのだろう。おまたせしてはお二方それぞれに申し訳ない。参上して、お二人のお気持に従おう」などとお考えなおしになって、御装束をことに心を尽くしておととのえになり、御前駆なども仰々しくないありさまで、おいでになる。

語句

■いかにさびしげにて 三条宮は故太政大臣が亡くなってから寂れている。 ■いつかしき御さま 「行幸に劣らずよそほしく」(【行幸 05】)。 ■中将には御供にこそ… 来客が源氏以外なら中将が場をうまく場を調えてくれるだろうが、中将は源氏の御供をしているだろうからこのばあい頼りにできないの意。 ■廷臣 「前つ君」の転。帝にお仕えする人々。公卿。 ■かへりてもの騒がしきやうならむ 大臣同士の対面の仰々しさをいっているが、源氏と会わないための口実。実際は内大臣には源氏へのわだかまりがあり、顔を合わせたくないのである。 ■人目のいとほしうも 天下の太政大臣を三条宮のような人の少ないわびしい邸で迎えることは世間の目からいっても失礼である、の意。 ■ことごとしう… 大臣同士のおおげさな対面ではなく、あくまで私人として、幼馴染として源氏に会ってほしいの意。 ■うち出で恨みたまはむに 「うち出づ」ははっきり言葉に出す。「恨む」は哀願する。懇願する。 ■なびき顔に 内大臣は、源氏に懇願されたので仕方なく二人の結婚をゆるした、…という形にしたいのである。こうすることで内大臣の自尊心が保たれるため。 ■あやにく心 意地が悪いこと。語り部の内大臣に対する批評。 ■かたがたに 大宮と源氏の両方に。 ■御装束ことにひきつくろひて 源氏とはりあっている。 ■御前などもことごとしきさまにはあらで 大宮の指示どおりに。

朗読・解説:左大臣光永