【藤袴 05】柏木、玉鬘を訪れ恨み言を述べる

原文

みづから聞こえたまはんことはしも、なほつつましければ、宰相《さいしやう》の君して答《いら》へ聞こえたまふ。「なにがしらを選びて奉りたまへるは、人づてならぬ御消息にこそはべらめ。かくもの遠くては、いかが聞こえさすべからむ。みづからこそ数にもはベらねど、絶えぬたとひもはべなるは。いかにぞや、古代《こだい》のことなれど、頼もしくぞ思ひたまへける」とて、ものしと思ひたまへり。「げに、年ごろのつもりも取り添へて、聞こえまほしけれど、日ごろあやしく悩ましくはべれば、起き上りなどもえしはべらでなむ。かくまで咎《とが》めたまふも、なかなかうとうとしき心地なむしはべりける」と、いとまめだちて聞こえ出だしたまへり。「悩ましく思さるらむ御|几帳《きちやう》のもとをば、ゆるさせたまふまじくや。よしよし。げに、聞こえさするも心地なかりけり」とて、大臣の御消息ども忍びやかに聞こえたまふ。用意など人には劣りたまはず、いとめやすし。「参りたまはむほどの案内《あない》、くはしきさまもえ聞かぬを、内《うち》々にのたまはむなんよからむ。何ごとも人目に憚《はばか》りてえ参り来ず、聞こえぬことをなむ、なかなかいぶせく思したる」など、語りきこえたまふついでに、「いでや、をこがましきことも、えぞ聞こえさせぬや。いづ方につけても、あはれをば御覧じ過ぐすべくやはありけると、いよいよ恨めしさも添ひはべるかな。まづは今宵などの御もてなしよ。北面《きたおもて》だつ方に召し入れて、君達《きむだち》こそめざましくも思しめさめ、下仕《しもづかへ》などやうの人々とだにうち語らはばや。またかかるやうはあらじかし。さまざまにめづらしき世なりかし」と、うち傾《かたぶ》きつつ、恨みつづけたるもをかしければ、かくなむと聞こゆ。「げに、人聞きをうちつけなるやうにや、と憚りはべるほどに、年ごろの埋《うも》れいたさをも、明《あき》らめはべらぬは、いとなかなかなること多くなむ」と、ただすくよかに聞こえなしたまふに、まばゆくて、よろづ押しこめたり。

「妹背山《いもせやま》ふかき道をばたづねずてをだえの橋にふみまどひける。

よ」と恨むるむ人やりならず。

まどひける道をば知らで妹背山たどたどしくぞたれもふみみし

「いづ方のゆゑとなむ、え思し分かざめりし。何ごとも、わりなきまで、おほかたの世を憚らせたまふめれば、え聞こえさせたまはぬになむ。おのづからかくのみもはべらじ」と聞こゆるも、さることなれば、「よし、長居《ながゐ》しはべらむもすさまじきほどなり。やうやう臈《らふ》つもりてこそは、かごとをも」とて立ちたまふ。

月|隈《くま》なくさし上りて、空のけしきも艶《えん》なるに、いとあてやかにきよげなる容貌《かたち》して、御|直衣《なほし》の姿、好ましく華やかにていとをかし。宰相《さいしやうの》中将のけはひありさまには、え並びたまはねど、これもをかしかめるは、いかでかかる御仲らひなりけむと、若き人々は、例の、さるまじきことをもとりたててめであへり。

現代語訳

姫君(玉鬘)は、みずから申し上げることは、やはり気が引けるので、宰相の君をなかだちにして、頭中将(柏木)にご応対申し上げなさる。

(柏木)「私などを内大臣が使者として選んでお送りになったことは、人づてではなく直接ご消息を申し上げようとしてのことでしょう。それなのにこんなにも遠く隔たっていては、どうやって申し上げればよろしいのでしょう。私ごときは人の数にも入りませんが、切っても切れない縁というたとえもございますそうで。どうしたものでしょう。古風なことばですが、直接ご対面いただけることを頼もしく存じておりましたのに」と、快からぬようすでいらっしゃる。

(玉鬘)「おっしゃるとおり、長年のつもる話などにもふれて、お話いたしたいのですが、ここ数日妙に気分が悪くてございますので、起き上がることもできませんで。ここまでお咎めになられるにつけても、かえって他人行儀なかんじがいたしました」と、たいそう改まってお答え申される。

(柏木)「ご気分が悪くいらっしゃるという御几帳のそばまで近寄ることを、お許しいただけないのですね。まあよろしい。仰せのとおり、こんなことを申し上げるのは気のきかぬことでした」といって、内大臣のご伝言の数々をひっそりとお伝え申し上げる。そのお心遣いなどは他人にお劣りにならず、まことに好ましいものである。「参内なさる日取りの案内や、くわしいこともお聞きしておりませんが、内々に内大臣におっしゃってくださればよろしいでしょう。何ごとも人目にはばかって参り来ることができず、お話申せないことを、内大臣はかえって気がかりにお思いになっておられます」など、お話申し上げるついでに、(柏木)「それにしてもまあ、私も貴女に対して、もう愚かなことは、申し上げることはできなくなりましたよ。しかしどちらにしても、私の貴女に対する想いをご無視なさってお過ごしになるという方があろうかと、いよいよ恨めしさもつのってまいりますよ。まず今宵などのおもてなしは何としたことですか。北面に近い方に召し入れて、貴女は気に入らないとお思いになるでしょうが、せめても下人などのような人々と、話をしたいものです。ほかにこのような例はないでしょう。何から何まで珍しい、私たちの関係でございますな」と、首をしきりに傾けては、恨みつづけているのもおもしろいので、このようにおっしゃっていますと、宰相の君は、姫君(玉鬘)にお伝え申し上げる。

(玉鬘)「仰せのとおり、他人の手前、急に親しくなったように思われてはと、気がねしておりますうちに、長年気持ちを押し殺してきた辛さも、晴らせておりませんのは、まことにかえって辛いことが多くございます」と、ひたすらきまじめにお答えなさるので、中将(柏木)は、きまりが悪くて、すべて言いたいことも胸のうちにしまいこんでしまった。

(柏木)「妹背山……

(私たちが姉弟であるという深い事情をつきとめないままに、貴女に文を送り、恋の道に踏み迷ったことですよ)

と恨むにつけても、誰にいわれたでもなく自分からはじめたことなので、どうしようもない。

(玉鬘)まどひける……

(貴方が恋の道に迷っていることも知らず、また私たちが実の姉弟であることも知らずに、私はよくわからないままに貴方の文を拝見いたしました)

(宰相の君)「どういう意味だろうかと、おわかりにならなかったようでございました。姫君は何事につけても、理不尽なまでに、世間一般にお気がねなさるようでございますので、お返事申し上げることがおできにならないのでしょう。しかしいつまでもこのままではございますまい」と、宰相の君が申し上げるのももっともなので、(柏木)「まあ、長居をいたすのも、まだよろしくない時期です。しだいにお役に立つことが増えてきてから、恨み言をも申し上げましょう」といってお立ちになる。

月が隈なくさしのぼって、空のようすも優美である中にねまことに気品ただようさっぱりしたお顔立ちで、御直衣の姿は、好ましく、華やかで、とても美しい。宰相中将(夕霧)の雰囲気ようすには、お並びなさりようもないが、こちらの中将(柏木)もご立派なのは、どうしてこのような両中将のご関係なのだろうと、若い女房たちは、例によって、ささいなことをも取り立てて褒めあっている。

語句

■なほつつましければ 柏木はかつて玉鬘に懸想していた。だから実の姉弟とわかった現在でも、玉鬘は直接柏木と顔をあわせることに気が引けるのである。 ■宰相の君 玉鬘つきの女房(【螢 02】) ■絶えぬたとひ 姉弟ゆえの切れない縁のこと。 ■げに… 柏木の言葉にいちおうは同意して、それから言い訳にはいる。not…but…の構文。源氏物語にはとても多い。 ■よしよし まあ、それもよいでしょうと、本当は納得していないが一応は納得のポーズをしめしている。 ■なかなかいぶせく 実の娘とわかって以後は、かえって。 ■をこがましきこと 玉鬘への懸想。 ■いづ方につけても 懸想人としても、弟としても。 ■北面だつ方に 南面に迎えるのは正客を迎える作法であり、親しい身内を迎えるやり方ではない。 ■君達 宰相の君への呼びかけ。 ■世なりかし 「世」は柏木と玉鬘の関係。 ■かくなむと聞こゆ 柏木の言葉を宰相の君が玉鬘に伝える。 ■妹背山… 「妹背山」は歌枕。大和の吉野川、紀伊の紀の川の両岸に向き合う山。ここでは姉弟の象徴。「をだ(緒絶)えの橋」は陸奥の歌枕。「仲が絶える」の意をかける。「ふみ」は「文」と「踏み」をかける。 ■よ 歌からつづく「よ」までが柏木の台詞。 ■まどひける… 「妹背山」と「ふみ」は直前の柏木の歌と同じく掛詞。「たれもふみみし」は本来「我もふみみし」と言うべきところを、ぼかしてた。 ■やうやう臈つもりてこそは 宰相の君の「おのづからかくのみもはべらじ」に対応。今は打ち解けなくても将来はきっと心を開いてくださるという期待をこめる。「臈」はこの場合、柏木が今後玉鬘入内にさいして手伝うだろうさまざの用事。 ■月隈なくさし上りて 前に「月の明き夜」とあった。時間経過をしめす。 ■御仲らひ 夕霧と柏木の関係。 ■

朗読・解説:左大臣光永