【真木柱 12】真木柱、名残の歌を書く

原文

日も暮れ、雪降りぬべき空のけしきも心細う見ゆる夕《ゆふべ》なり。「いたう荒れはべりなん。早う」と御迎への君達《きむだち》そそのかしきこえて、御目おし拭《のご》ひつつながめおはす。姫君は、殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに、「見たてまつらではいかでかあらむ、いまなども聞こえで、また逢ひ見ぬやうもこそあれ」と思ほすに、うつぶし臥して、え渡るまじと思ほしたるを、「かく思したるなん、いと心憂き」などこしらへきこえたまふ。ただ今も渡りたまはなん、と待ちきこえたまへど、かく暮れなむに、まさに動きたまひなんや。常に寄りゐたまふ東面《ひむがしおもて》の柱を人にゆづる心地したまふもあはれにて、姫君、檜皮色《ひはだいろ》の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の乾割《ひわ》れたるはさまに、笄《かうがい》の先して押し入れたまふ。

今はとて宿|離《か》れぬとも馴れきつる真木《まき》の柱はわれを忘るな

えも書きやらで泣きたまふ。母君、「いでや」とて、

馴れきとは思ひいづとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ

御前なる人々もさまざまに悲しく、さしも思はぬ木草のもとさへ、恋しからんことと目とどめて、鼻すすりあへり。

木工《もく》の君は、殿の御方の人にてとどまるに、中将のおもと、

「浅けれど石間《いしま》の水はすみはてて宿もる君やかけはなるべき

思ひかけざりしことなり。かくて別れたてまつらんことよ」と言へば、木工、

「ともかくも岩間《いはま》の水の結ぼほれかけとむべくも思ほえぬ世を

いでや」とてうち泣く。御車引き出でてかへり見るも、またはいかでかは見むと、はかなき心地す。梢をも目とどめて、隠るるまでぞかへり見たまひける。君が住むゆゑにはあらで、ここら年経たまへる御住み処の、いかでか偲びどころなくはあらむ。

現代語訳

日も暮れて、雪が降りだしそうな空のけしきも心細く見える夕べである。「ひどく天気が荒れましょう。早く」と後迎えの君達がお促し申し上げて、御目の涙をぬぐいつつ、空の景色をぼんやりながめていらっしゃる。

姫君は、大将がたいそう可愛がりつづけていらしたのだから、「父君を拝見しなくてはどうして暮らしていかれましょう。「今はおいといたします」とも申し上げないまま、もう二度とお目にかかれないことになっては」とお思いになるにつけ、うつぶして横になり、出ていくことはできないとお思いになっているのを、(北の方)「そのようにお思いになっていらっしゃるのは、ひどく残念な」などとご説得なさる。今すぐにも父君にお帰りなっていただきたいと、姫君はお待ち申し上げていらっしゃるけど、こうして日が暮れてしまっては、戻られようはずもない。いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を人にゆずる気持ちがするのも悲しくて、姫君は、檜皮色の紙の重ねに、ほんの少し書いて、柱のひび割れのすきまに、笄の先でお差し入れになった。

(真木柱)今はとて……

(「今は最後」といって私が家を離れても、長年なれ親しんだ真木の柱は私を忘れないで)

と書きおおせもせずにお泣きになる。母君は「さあ」とおっしゃって、

(北の方)馴れきとは……

(真木の柱が長年なれ親しんできた者として私たちを思い出してくれるとしても、私たちは何を理由にこの家に立ち止まることがありましょうか)

御前に控える女房たちもさまざまに悲しく、ふだんは何とも思わない木や草のもとの風情までも、ここを立ち去ったら恋しく思い出されるだろうと目をそそいで、鼻をすすりあっている。

木工の君は、大将にお付きの女房としてとどまるので、中将のおもとが呼びかけて、

「浅けれど……

(石の間の水が浅いながらも澄んでいるように、貴女が殿と関係が浅いながらも最後まで御邸に住みつづける一方、御邸を守る北の方がお立ち出でになるということがあってよいものでしょうか)

思いもかけなかったことです。こうして貴女ともお別れ申し上げることですね」と言えば、木工、

「ともかくも……

(とにかく、「岩間の水」が凍っているように、私は言いようもなくふさぎこんで、大将との関係からいっても、ここに住み続けられるとは思えません)

さてさて」といって泣く。御車を引き出して振り返ってみても、ふたたび見る機会はなかろうと、はかない心地である。御邸の木々の梢にも目をとめて、見えなくなるまでかえりみられるのだった。「君が住む」宿だからではないが、ここ数年おすごしになった御すまいが、どうしてなつかしくないことがあろうか。

語句

■日も暮れ 『源氏物語』では天候や風物は登場人物の心理に連動している。北の方や御子たちの悲痛な気持ちが、日が暮れ雪が降り出しそうな天候によっていよいよ強調されるのである。 ■姫君 前に「かなしうしたまひし君たち」(【真木柱 05】)とあった。 ■いまなども聞こえで 「今はおいとまします」という言葉なども申し上げないで。 ■檜皮色 黒ずんだ蘇芳色。こげ茶色。 ■笄 髪をすく用具。 ■今はとて… 「真木」は檜など。菅原道真の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(大鏡・左大臣時平)によるか。この歌により姫君を真木柱と称す。 ■いでや 姫君に出発をうながす。 ■馴れきとは… 家に執着する姫君の気持ちを否定し、未練を断ち切ろうとする歌。 ■中将のおもと 木工も中将のおもとも、髭黒の情を被っていた女房。木工は髭黒のもとに残り、中将のおもとは北の方について家を出る。 ■浅けれど… 「石間の水」は木工の君。「宿もる君」は北の方。「す《澄》み」に「住み」を、「かけはなる」に「影」をかける。なぜ北の方が家を離れなければならないのか。そして殿とそう関係の深くない貴女がどうして家にとどまるのかといううらやみの気持ちをこめる。 ■ともかくも… 「岩間」に「言はず」を、「かけとむ」に「影」をかける。「結ぼほれ」は水を手ですくう意に、「気持ちが沈む」意をかける。 ■梢をも目とどめて 菅原道真の「君が住む宿の梢を行く行くも隠るるまでにかへみしはや」(大鏡・左大臣時平)による。 ■君がすむゆゑにはあらで 前述の菅原道真の歌

朗読・解説:左大臣光永