【真木柱 24】源氏、玉鬘に文を贈る 髭黒が返事を代筆

三月になりて、六条殿の御前の藤山吹のおもしろき夕映えを見たまふにつけても、まづ見るかひありてゐたまへりし御さまのみ思し出でらるれば、春の御前をうち棄《す》てて、こなたに渡りて御覧ず。呉竹《くれたけ》の籬《ませ》に、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもろし。「色に衣を」などのたまひて、

「思はずに井手のなか道へだつともいはでぞ恋ふる山吹の花

顔に見えつつ」などのたまふも、聞く人なし。かくさすがにもて離れたることは、このたびぞ思しける。げにあやしき御心のすさびなりや。鴨《かり》の卵《こ》のいと多かるを御覧じて、柑子《かんじ》、橘《たちばな》などやうに紛らはして、わざとならず奉れたまふ。御文は、あまり人もぞ目立つるなど思して、すくよかに、

おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨みきこゆるも、御心ひとつにのみはあるまじう聞きはべれば、ことなるついでならでは、対面《たいめん》の難《かた》からんを、口惜しう思ひたまふる。

など、親めき書きたまひて、

「おなじ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらん

などかさしもなど、心やましうなん」などあるを、大将も見たまひて、うち笑ひて、「女は、実《まこと》の親の御あたりにも、たやすくうち渡り見えたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。まして、なぞこの大臣の、をりをり思ひ放たず恨み言はしたまふ」とつぶやくも、憎しと聞きたまふ。「御返り、ここにはえ聞こえじ」と、書きにくく思《おぼ》いたれば、「まろ聞こえん」とかはるもかたはらいたしや。

「巣がくれて数にもあらぬかりのこをいづ方にかはとりかへすべき

よろしからぬ御気色におどろきて。すきずきしや」と聞こえたまへり。「この大将のかかるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。めづらしう」とて笑ひたまふ。心の中《うち》には、かく領《らう》じたるを、いとからしと思す。

現代語訳

三月になって、六条殿のお庭先の藤、山吹の風情ある夕映えの美しさを御覧になるにつけても、殿(源氏)は、まず見がいがあっていらっしゃった女君(玉鬘)のお姿ばかりお思い出されるので、春の御前をあとにして、こちら(玉鬘の部屋)においでになって御覧になる。呉竹の生け垣に、自然に咲きかかっている色合いの美しさは、たいそう風情がある。(源氏)「色に衣を」などとおっしゃって、

(源氏)「思はずに……

(思いもかけず、井手の中道を隔てて貴女と離れ離れになってしまったが、私は口に出して言わなくても山吹の花(貴女)を恋しく思い続けている)

顔に見えつつ」などおっしゃるが、聞く人はいない。こうしてさすがに女君が遠く離れてしまったことを、今となってはご実感なさるのだった。

まことに不思議な御心のすさびというものである。鴨《かり》の卵がとても多くあるのを御覧になって、柑子《こうじ》や橘などのようなさまにつくろって、ごく自然な体で差し上げなさる。御文は、あまり人の目に立ってはなどとお思いになって、あっさりと、

(源氏)「貴女にお会いできずに気がかりな月日が重なりましたにつけ、思いもしないなさりようだとお恨み申し上げますが、それも貴女の御心ひとつから出たことではないだろうと聞いておりますので、これといった機会がなくては、対面することの難しいのを、残念に思っております。

などと、親らしくお書きになって、

「おなじ巣に……

(同じ巣からかえったかいもなく、卵が一つ見えませんが、どういう人が手ににぎったのでしょうか)

どうしてこんなことになど、気がやまれるのです」などとあるのを、大将(髭黒)も御覧になって、笑って、(髭黒)「女は、実の親の御あたりでさえも、気安くおいでになって拝見なさることは、これといった機会がなくてはあってはならないことです。まして、どうしてこの大臣が、実の親でもないのに、折々に未練を断ち切れずに恨み言をなさるのでしょう」とつぶやくのも、女君(玉鬘)は憎らしいとお聞きになる。(玉鬘)「ご返事は、私には申し上げかねます」と、書きにくくお思いになっていると、(髭黒)「私がご返事申し上げましょう」と代筆するのも、女君ははらはらすることであるよ。

(髭黒)「巣がくれて…

(巣の片隅に隠れて物の数にも入らない鴨の子(仮の子)を、誰が取り隠すでしょうか)

ご機嫌がよろしくないことにおどろいております。色めいたご返事ではございますが」と申し上げなさった。(源氏)「この大将が、こうした風流ごとを言っているのも、いまだ聞いたことがない。めずらしいこと」といってお笑いになる。心の中では、このように大将が女君を独占しているのを、まことに辛いとお思いになる。

語句

■三月 晩春。藤・山吹は晩春から夏にかけての風物。 ■夕映え 夕方、ものがくっきりして美しく見えること。 ■春の御殿をうち棄てて 源氏の住む六条院東南の春の町を出て、かつて玉鬘がすんでいた北東の御殿に行く。 ■呉竹の籬 「前近き前栽、呉竹、下風涼しかるべく、…」(【少女 33】)。 ■色に花を 「思ふとも恋ふとも同じくちなしの色に衣を染めてこそ着め」(古今六帖)による。くちなし色に染めた衣を着ようというのは、もはや恋心を表に出さず、なにげないふりを貫こうの意。くちなし色はくちなしの実で染めた、少し赤みのある黄色。山吹の色からの連想。 ■思はずに… 「井出」は山吹の名所、井出の里(京都府綴喜郡)。「なか道」はそこを通る道。源氏と玉鬘をへだてる距離感を象徴。 ■顔に見るつつ 「夕されば野辺に鳴くてふかほどりの顔に見えつつ忘られなくに」(古今六帖六)。 ■柑子橘などやうに紛らはして 卵を柑子や橘のように飾って。 ■思はずなる 前の歌の「思はずに」と対応。 ■御心ひとつにはあるまじう 玉鬘が主体的に動いたのではなく、髭黒がやったことであるの意。 ■おなじ巣に… 「かひ」は「卵」の歌語。これに「かい(効)」をかける。卵から雛にかえったかいもなく=私が養育したかいもなく。 ■巣がくれて… 源氏の「いかなる人か手ににぎるらん」に対応する。玉鬘は仮の子(実の子ではない)なので、どこのだれが隠したりするでしょうか。暗に源氏がずっと玉鬘を隠してきたことを非難している。

朗読・解説:左大臣光永