【梅枝 01】明石の姫君の裳着 六条院の薫物合わせ

御|裳着《もぎ》のこと思しいそぐ御心おきて、世の常ならず。春宮《とうぐう》も同じ二月に、御かうぶりのことあるべければ、やがて御参りもうちつづくべきにや。

正月のつごもりなれば、公私《おほやけわたくし》のどやかなるころほひに、薫物《たきもの》合はせたまふ。大弐《だいに》の奉れる香《かう》ども御覧ずるに、なほいにしへのには劣りてやあらむと思して、二条院の御倉《みくら》開けさせたまひて、唐《から》の物ども取り渡させたまひて、御覧じくらぶるに、「錦《にしき》、綾《あや》なども、なほ古き物こそなつかしうこまやかにはありけれ」とて、近き御しつらひのものの覆《おほひ》、敷物、褥などの端《はし》どもに、故院の御世のはじめつ方、高麗人《こまうど》の奉れりける綾《あや》、緋金錦《ひごんき》どもなど、今の世の物に似ず、なほさまざま御覧じ当てつつせさせたまひて、このたびの綾羅《あやうすもの》などは人々に賜《たま》はす。香どもは、昔今の取り並べさせたまひて、御方々に配りたてまつらせたまふ。「二種《ふたくさ》づつ合はせさせたまへ」と聞こえさせたまへり。贈物《おくりもの》、上達部《かむだちめ》の緑《ろく》など、世になきさまに、内にも外にも事しげく営みたまふに添へて、方々に選《え》りととのへて、鉄臼《かなうす》の音《おと》耳かしがましきころなり。

大臣《おとど》は、寝殿に離れおはしまして、承和《そうわ》の御いましめの二つの方を、いかでか御耳には伝へたまひけん、心にしめて合はせたまふ。上は、東《ひむがし》の中の放出《はなちいで》に、御しつらひことに深うしなさせたまひて、八条の式部卿の御|方《はう》を伝へて、かたみにいどみ合はせたまふほど、いみじう秘《ひ》したまへば、「匂《にほ》ひの深さ浅さも、勝負《かちまけ》の定めあるべし」と大臣のたまふ。人の御親げなき御争ひ心なり。いづ方にも、御前にさぶらふ人あまたならず。御|調度《てうど》どもも、そこらのきよらを尽くしたまへる中にも、香壺《かうご》の御箱どものやう、壺《つぼ》の姿、火取《ひとり》の心ばへも目馴れぬさまに、今めかしう、やう変へさせたまへるに、所どころの心を尽くしたまへらむ匂ひどもの、すぐれたらむどもを、嗅《か》ぎ合せて入れんと思すなりけり。

現代語訳

姫君(明石の姫君)の御裳着の儀式をご準備なさる源氏の大臣のお心づもりは、世に類ないものである。東宮も同じ二月に、御元服の儀式があることになっているので、御元服のあとそのまま姫君のご入内とつづくことになるのだろう。

正月の末なので、公私にわたってのんびりした頃で、薫物をご調合なさる。大臣(源氏)は、大宰大弐が献上した多くの香木を御覧になると、やはり昔のには劣っているのではないかとお思いになり、二条院の御蔵を開けさせなさって、唐来の品物をいろいろと取り出させて持ってこさせて、大弐のとくらべて御覧になると、「錦や綾なども、やはり古い物のほうが好ましく、きめ細かであるようだね」といって、入内のときの姫君(明石の姫君)の身辺の御調度品の掛け物、敷物、褥などの縁のところに、故院(桐壺院)の御代のはじめのほうに、高麗人が献上した多くの綾や緋金錦など、今の時代のものとは違っているので、さらにいろいろとご検分・お割り当てになって、今回大宰大弐が献上してきた綾や薄物などは、女房たちにお与えになる。

数々の香木は、昔と今のを取り並べさせなさって、御方々にお配り申し上げなさる。「二種類ずつ調合なさってください」と、お願い申し上げなさる。当日の贈り物、上達部への禄などは、世にまたとないさまに、御邸の内にも外にも、忙しくご準備なさるのに加えて、御方々のもとでは材料を選びととのえて、香木を挽く鉄臼の音が耳にやかましい今日このごろである。

大臣(源氏)は、寝殿にお一人だけでいらっしゃって、承和の帝の御秘伝の二つ香木の調合法を、どうやって御耳にお入れになられたのか、熱心にご調合なさっている。上(紫の上)は、東の対の中の放出《はなちいで》に、ご準備をことに深くおさせになって、八条の式部卿の御調合法を伝授して、大臣(源氏)とお互いに競い合っていらっしゃる。その間、上(紫の上)は、たいそう秘密にしていらっしゃるので、「匂いの深さ浅さによっても、勝ち負けが決まってくるでしょう」と、大臣(源氏)はおっしゃる。

人の親とも思えない御競争心でいらっしゃる。大臣(源氏)、上(紫の上)のどちらの方にも、御前にお仕えする女房はそれほどいない。数々の御調度品も、そこらじゅうの綺羅をお尽くしなさるが、その中にも、香壺を入れる御箱のさま、壺の形、火取の意匠も目慣れぬさまに、今風にはなやかに、ふつうとは趣向を変えていらっしゃる、これに御方々が心をお尽くしになって調合なさるであろうさまざまな匂いを、嗅いで比較した上で、すぐれたのを、あわせて入れようと、大臣はお思いになっていらっしゃるのであった。

語句

■御裳着 明石の姫君(十一歳)の成人式。 ■御心おきて 裳着の儀についての源氏の心積り。心に思い描いている計画。 ■春宮 朱雀院の皇子。母は承香殿女御(髭黒の姉)。 ■御かうぶり 東宮(十三歳)の元服の式。 ■正月のつごもり 一月下旬。年末年始の行事が終わって暇な時期。 ■薫物合はせ 幾種類かの香木をすりつぶして混ぜ合わせ、丸薬状にすること。 ■大弐 大宰大弐。ここにのみ見える人物。 ■取り渡させたまひて 二条院の蔵から取り出させて、六条院に持ってこさせる。 ■近き御しつらひのもの 入内する姫君の身辺の調度品。 ■高麗人の 「いみじき贈り物どもを捧げ奉る」(【桐壺 11】)。 ■緋金錦 緋色の錦。 ■昔今の取り並べさせたまひて 二条院の蔵から出した昔の香木と、今回、大弐から贈られた新しい香木。 ■御方々 六条院の愛妾たち。 ■贈物、上達部への禄 姫君の裳着のときの贈り物や、奉仕にあたる上達部への禄。 ■承和の 仁明天皇の御代の元号。転じて仁明天皇。 ■御いましめ 仁明天皇によって禁制とされた二種の薫物の調合法。 ■心にしめて 心に染めて。熱心に。 ■放出 未詳。母屋のことか。母屋は廂の間で囲まれた居住空間。 ■八条の式部卿の御法 「八条の式部卿」は仁明天皇第七皇子、本康親王。薫物調合の名人。 ■人の御親げなき 大人げないまでの没頭ぶりをいう。 ■御前にさぶらふ人あまたならず 調合の秘密を漏らさないため。 ■御調度ども 姫君入内のための数々の調度品。 ■火取 薫物をたく香炉。 ■所どころの 六条院の御方々。紫の上、明石の君、花散里ら。 ■嗅ぎ合はせて 嗅いで比較した上で。

朗読・解説:左大臣光永

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