【藤裏葉 02】大宮の忌日の法事の後、内大臣、夕霧に詫びる 和解のきざし

上《うへ》はつれなくて、恨み解けぬ御仲なれば、ゆくりなく言ひ寄らむもいかがと思し憚《はばか》りて、「ことごとしくもてなさむも人の思はむところをこなり、いかなるついでしてかはほのめかすべき」など思すに、三月《やよひ》二十日|大殿《おほとの》の大宮の御|忌日《きにち》にて、極楽寺《ごくらくじ》に詣《まう》でたまへり。君たちみな引き連れ、勢《いきほひ》あらまほしく、上達部《かむだちめ》などもあまた参り集《つど》ひたまへるに、宰相中将、をさをさけはひ劣らず、よそほしくて、容貌《かたち》など、ただ今のいみじき盛りにねびゆきて、とり集めめでたき人の御ありさまなり。この大臣をばつらしと思ひきこえたまひしより、見えたてまつるも心づかひせられて、いといたう用意し、もてしづめてものしたまふを、大臣も常よりは目とどめたまふ。御誦経《みずきやう》など、六条院よりもせさせたまへり。宰相の君は、まして、よろづをとりもちて、あはれに営《いとな》み仕うまつりたまふ。

夕かけて、みな帰りたまふほど、花はみな取り乱れ、霞《かすみ》たどたどしきに、大臣、昔思し出でて、なまめかしううそぶきながめたまふ。宰相もあはれなる夕《ゆふべ》のけしきに、いとどうちしめりて、「雨気《あまけ》あり」と人々の騒ぐに、なほながめ入りてゐたまへり。心ときめきに見たまふことやありけん、袖を引き寄せて、「などか、いとこよなくは勘《かむ》じたまへる。今日の御法《みのり》の縁《えに》をも尋ね思さば、罪ゆるしたまひてよや。残り少なくなりゆく末の世に、思ひ棄《す》てたまへるも、恨みきこゆべくなん」とのたまへば、うちかしこまりて、「過ぎにし御おもむけも、頼みきこえさすべきさまに承《うけたまは》りおくことはべりしかど、ゆるしなき御気色に憚りつつなん」と聞こえたまふ。

心あわたたしき雨風《あまかぜ》に、みな散り散りに競《きほ》ひ帰りたまひぬ。

君、いかに思ひて例ならず気色ばみたまひつらんなど、世とともに心をかけたる御あたりなれば、はかなき事なれど耳とまりて、とやかうやと思ひ明かしたまふ。

現代語訳

内大臣と宰相中将(夕霧)とは、表面上は何でもないようで、実は恨みが解けないご関係なので、内大臣は、いきなり言い寄るのもどんなものだろうと、気後れなさって、「だからといって、あらたまった態度を取るのも、人から愚かだと思われる。どんな機会にそれとなく切り出せばよいだろうか」などとお思いになっていらしたところ、三月二十日は内大臣家の大宮のご命日で、極楽寺にお詣りになられた。ご子息たちをみなひきつれて、権勢さかんに、上達部なども大勢集まり参っているところに、宰相中将(夕霧)は、誰にもひけをとらないほどご立派で、ご器量などはまさに今が盛りとご成長なさって、どこから見てもご立派なご様子である。宰相中将は、この内大臣のことをお恨み申し上げて以来、お顔を拝見するのも気が引けて、十分に身構えて、冷静な態度でいらっしゃるのを、内大臣もふだんより注意をそそいでいらっしゃる。御誦経など、六条院(源氏)からもおさせになられた。宰相の君(夕霧)は、なおさら、法事のこと全般を取り仕切って、心を尽くしてお営み申し上げなさる。

夕方になって、みなお帰りになる頃、花はみな散り乱れて、霞がおぼろに立ちこめている中、内大臣は、昔をお思い出しになって、優美に詩歌など口ずさんで物思いにふけっていらっしゃる。宰相もしみじみと情深い夕べのけしきに、まことに感無量で、「雨が降りそうだ」と人々が騒ぐのに、それでもなお、物思いに沈んでいらっしゃった。内大臣は、宰相のお姿を御覧になって、何か心動くことがおありだったのだろう、その袖を引き寄せて、(内大臣)「どうして、こんなにひどく私をお責めになられるのですか。今日の法事の縁をたどってお思いになるなら、私の罪をお許しくださいませ。余命も残り少なくなっていく晩年に、お見捨てなさるのも、お恨み申し上げたくなります」とおっしゃると、宰相は恐縮して、(夕霧)「亡くなられた方(大宮)のご意向としても、内大臣をお頼み申し上げよと承りおいたこともございましたが、私のことをお許しになられないご様子に遠慮しながら過ごしておりまして」と申し上げなさる。

あわただしい雨風に、みな散り散りに競うようにお帰りになられた。宰相の君は、内大臣はどういうお考えでめずらしく親しげに接してこられたのだろうと、いつも心をかけている御あたりであるので、些細な事ではあるが、耳に残って、ああだろうか、こうだろうかと思って、夜をお明かしになる。

語句

■上は 表面上は。 ■ゆくりなく 唐突に。突然に。脈絡もなく。 ■大宮 内大臣や葵の上の生母。桐壺院の妹宮。夕霧と雲居雁を養育した(【少女 09】)。 ■極楽寺 京都市伏見句深草極楽寺町にあった。藤原基経発願により息子の時平が創建。現日蓮宗宝塔寺の前身。 ■をさをさ 少しも。めったに。ほとんど。 ■用意し 心構えをして。 ■もてしづめて 心を落ち着かせること。 ■よろづをとりもちて 法事についての庶務全般を行う。 ■あはれに営み 亡き祖母宮への哀悼の念をこめて営む。 ■昔思し出でて 母大宮のこと、その頃の夕霧と雲居雁のことだろう。 ■うそぶき 「うそぶく」は詩歌などを口ずさむ。 ■うちしめりて 感無量になって。 ■心ときめきに見たまふこと 「見たまふ」結果、「心ときめき」になる。 ■御法の縁 大宮のために法事の縁。内大臣は大宮の子。夕霧は大宮の孫。 ■罪ゆるしたまひてよや 内大臣がこうまではっきり謝罪する場面は物語初。ちなみに源氏は物語中でこれまで誰にも謝ったことがない。 ■うちかしこまりて 目上の人である内大臣にこうまではっきりと謝罪されたので恐縮する。 ■過ぎにし御おもむけ 亡き大宮の意向。 ■気色ばみ ここでは親しげに接してくること。

朗読・解説:左大臣光永