【藤裏葉 05】夕霧、柏木に導かれて雲居雁と契る

中将、「花の蔭《かげ》の旅寝よ。いかにぞや、苦しき導《しるべ》にぞはべるや」と言へば、「松に契れるは、あだなる花かは。ゆゆしや」と責めたまふ。中将は心の中《うち》に、ねたのわざやと思ふところあれど、人ざまの思ふさまにめでたきに、かうもありはてなむと心寄せわたることなれば、うしろやすく導きつ。

男君は、夢かとおぼえたまふにも、わが身いとどいつかしうぞおぼえたまひけんかし。女は、いと恥づかしと思ひしみてものしたまふも、ねびまされる御ありさま、いとど飽かぬところなくめやすし。「世の例《ためし》にもなりぬべかりつる身を、心もてこそかうまでも思しゆるさるめれ。あはれを知りたまはぬも、さまことなるわざかな」と恨みきこえたまふ。「少将の進み出だしつる葦垣《あしがき》のおもむきは、耳とどめたまひつや。いたき主《ぬし》かなな。『河口の』とこそ、さし答《いら》へまほしかりつれ」とのたまへば、女いと聞きぐるしと思して、

「あさき名をいひ流しける河口はいかがもらしし関のあらがき

あさまし」とのたまふさま、いと児《こ》めきたり。すこしうち笑ひて、

「もりにけるくきだの関を河口のあさきにのみはおほせざらなん

年月のつもりも、いとわりなくて悩ましきに、ものおぼえず」と、酔《ゑひ》にかこちて苦しげにもてなして、明くるも知らず顔なり。人々聞こえわづらふを、大臣、「したり顔なる朝寝《あさい》かな」ととがめたまふ。されど明かしはてでぞ出でたまふ。ねくたれの御朝顔見るかひありかし。

御文は、なほ忍びたりつるさまの心づかひにてあるを、なかなか今日はえ聞こえたまはぬを、ものいひさがなき御達《ごたち》つきしろふに、大臣渡りて見たまふぞ、いとわりなきや。「尽きせざりつる御気色に、いとど思ひ知らるる身のほどを、たへぬ心にまた消えぬべきも、

とがむなよ忍びにしぼる手もたゆみ今日あらはるる袖のしづくを」

などいと馴れ顔なり。うち笑みて、「手をいみじうも書きなられにけるかな」などのたまふも、昔のなごりなし。御返りいと出で来《き》がたげなれば、「見苦しや」とて、さも思し憚《はばか》りぬべきことなれば、渡りたまひぬ。御使の禄《ろく》、なべてならぬさまにて賜へり。中将、をかしきさまにもてなしたまふ。常にひき隠しつつ隠ろへ歩きし御使、今日は面《おも》もちなど人々しくふるまふめり。右近将監《うこんのざう》なる人の、睦《むつ》ましう思し使ひたまふなりけり。

現代語訳

頭中将(柏木)は、「花の蔭の旅寝ですな。どうしたものでしょうか。つらい案内役ではございますよ」と言えば、(夕霧)「松と契るのが、浮気な花であるわけがないだろう。縁起でもないことを」とお責めになる。頭中将は心の内に、憎らしい所作よと思うところもあるが、宰相(夕霧)の人柄が思う通り立派である上、最終的にはこうなってほしいとずっと願っていたことなので、安心して導き入れた。

男君(夕霧)は、夢かとお思いになるにつけても、我ながらここまで漕ぎつけたことを、ますます立派だとお思いになったことだろう。女(雲居雁)は、ひどく恥ずかしいとつくづく思っていらっしゃるが、年とともに美しくなられるご様子は、いよいよ申し分なく見事である。

(夕霧)「恋死にでもして世の先例にもなりそうであったわが身ですが、一途に想い続けたからこそ、こうまで内大臣はお許しくだされたのでしょう。貴女が私のこの気持ちをわかってくださらないのも、風変わりなことではありますよ」と、恨み申し上げなさる。

(夕霧)「弁少将が歌い出した『葦垣』の意味は、お耳に残っていらっしゃいますか。ひどい人ではありますよ。『河口の』とでも、答えてやりたかった」とおっしゃると、女はひどく聞き苦しいとお思いになって、

(雲居雁)「あさき名を……

(あさはかな女よという私の評判を言いふらした貴方の口は、どんなふうに私たちが関の荒垣を越えた一件を、言い漏らしたのでしょうか)

とおっしゃるさまは、まことに可憐である。男君はすこし笑って、

(夕霧)「もりにける……

(関守が厳重に守っていても漏れてしまった、くきだの関ですのに、河口が浅いことにばかり…私の口が軽いことにばかり責任を負わせないでください)

長年すごしてきたことも、まことに理不尽に悩ましいので、分別がつかない」と、酔にかこつけて苦しげにふるまわれて、夜が明けるのも知らず顔である。

女房たちがお帰りの時刻ですとも言い出しかねているので、内大臣は、「したり顔で朝寝をするものだな」とぶつぶつおっしゃる。そうはいっても夜がすっかり明けないうちにお帰りになる。寝起きで乱れていらっしゃる御顔は、見るかいがありそうである。

後朝の御文は、やはりまだ忍んでいた頃のような心遣いで届けてきたが、女君は、やはり昨日の今日ではご返事をしかねていらっしゃるので、口さがない年配の女房たちがつつきあっていると、内大臣がおいでになって御文を御覧になるのは、まことに不都合である。(夕霧)「どこまでもよそよそしかった貴女のご様子に、いよいよ思い知られますわが身のほどを、堪えらない気持ちで、消え入りそうですが、

とがむなよ……

(お咎めになりますな。これまで人目をしのんで袖をしぼってきましたが、今日、その手もゆるんで、表にあらわれます袖のしずくを)

などと、まことに馴れた書きぶりである。内大臣は笑って、「お上手に字を書くようになられたものだな」とおっしゃるが、もうそこには昔の恨みは微塵もない。女君(雲居雁)がなかなかご返事を書けないでいるので、「返事をすぐにしないのは見苦しいですよ」といって、そうはいってもご自分が側にいては女君がそうして気がねするのももっともなので、お立ち去りになられた。御使への禄は、なみなみならぬさまにお与えになる。頭中将(柏木)は、御使をしみじみと風情を尽くしておもてなしになる。

これまでいつも手紙をひき隠しては、行き来していた御使も、今日は顔立ちなども人らしくふるまっているようである。右近将監を勤めている人で、宰相が親しく思いお使いになっていらっしゃる人であった。

語句

■花の蔭の旅寝よ 「花」は雲居雁。一時的な、かりそめの契りであることを冗談めかして当てこすっている。 ■松に契れるは、あだなる花かは 「松」は夕霧。「花」は雲居雁。「松」に「待つ」をかける。ずっと待っていた私と今日ようやく結ばれる雲居雁が、いい加減な女であるものか。しっかりした身持ちのよい女なのだの意。 ■ゆゆしや 夕霧と雲居雁の契りが一夜だけのかりそめの浮気心からであるかのように言った柏木の言葉に対して反論する。 ■いつかしうぞ 内大臣に認められるほどにまで自分は立派になったのだ、という感慨。 ■女 雲居雁。男女の契りの場面では「男」「女」といった呼称になる。 ■ねびまされる 夕霧と逢うのは六年ぶり。以前の雲居雁はまだ「片なり」であった(【少女 20】)。 ■世の例にもなりぬべかりつる身 「恋ひわびて死ぬてふことはまだなきを世のためしにもならぬべきかな」(後撰・恋六 忠岑。古今六帖では上句「恋しきに死ぬるものとはきかねども」)。 ■心もてこそ 他の女に心移りせず一途に雲居雁を想い続けたからこそ。 ■あはれを知りたまはぬ ここまで一途な想いを貴女はわかってくれないと責めている。 ■河口の 「河口の、関の荒垣や、関の荒垣や、守れども、はれ、守れども、出でて我寝ぬや、出でて我寝ぬや、関の荒垣」(催馬楽・河口)。河口の関守が守っていたが私は関を出て男と寝てしまったの意。弁少将の歌が夜這いの失敗を歌うのに対し、『河口』はその成功を歌う。河口の関は三重県津市白山町川口にあった。聖武天皇が行宮を置いた。 ■あさき名を… 催馬楽『河口』から「河口」の語をひっぱり、これに「口」の意をかける。「あさし」「流し」「河口」「もる」「関(堰)」などが縁語。 ■もりにける… 「もり」は「守り」に「漏り」をかける。「岫田《くきだ》の関」は河口の関の別称。「漏き(もれるの意)」をかける。「河口のあさき」は、河口付近に土砂がたまって水が浅くなっていること。これに「口が軽い」の意をかける。「もり」「くき」「河口」「あさき」などが縁語。 ■年月のつもり 長年、雲居雁に逢えずに過ごしてきたこと。 ■明くるも知らず 一夜限りの行きずりの関係なら夜が深いうちに帰る。すっかり朝になってから帰るのは、長年の夫婦のようなふるまいである。 ■したり顔なる 内大臣は夕霧に「負けた」形となったわけで、少し癪にさわる。 ■ねくたれの 寝起きで表情・服装などが乱れているさま。 ■なかなか今日はえ聞こえたまはぬ 昨日の今日なので雲居雁は照れて返事を書けない。 ■御達 「御」とあるので一般の女房たちでなく格の高い年配の女房たち。 ■とがむなよ 結婚の許可が出たので気持ちがゆるみ手もゆるみ、今まで抑えていた袖から手が離れるので、涙があふれ出してしまう。そのことを咎めるなよという歌。 ■昔のなごり 「昔」は、内大臣が夕霧を雲居雁の婿としてふさわしくないと見て怨んでいた昔。 ■御使の禄 夕霧に使に与えるねぎらいの品。 ■ひき隠しつつ 夕霧の文を。 ■人々しく 公然と。人並みに。堂々と。 ■右近将監 夕霧は参議兼右近衛中将。その下に仕える。

朗読・解説:左大臣光永