【藤裏葉 06】源氏、夕霧に訓戒 灌仏会 内大臣、婿君を丁重にもてなす

六条の大臣も、かくと聞こしめしてけり。宰相、常よりも光添ひて参りたまへれば、うちまもりたまひて、「今朝はいかに。文などものしつや。さかしき人も、女の筋には乱るる例《ためし》あるを、人わろくかかづらひ、心いられせで過ぐされたるなん、すこし人に抜けたりける御心とおぼえける。大臣の御《み》おきてのあまりすくみて、なごりなくくづほれたまひぬるを、世人《よひと》も言ひ出づることあらんや。さりとても、わが方《かた》たけう思ひ顔に、心おごりして、すきずきしき心ばへなど漏らしたまふな。さこそおいらかに大きなる心おきてと見ゆれど、下の心ばへ男《を》々しからず癖ありて、人見えにくきところつきたまへる人なり」など、例の教へきこえたまふ。事うちあひ、めやすき御あはひと思さる。御子とも見えず、すこしが兄《このかみ》ばかりと見えたまふ。別《こと》々にては、同じ顔を移しとりたると見ゆるを、御|前《まへ》にては、さまざま、あなめでたと見えたまへり。大臣は、薄き御|直衣《なほし》、白き御|衣《ぞ》の唐《から》めきたるが、紋《もん》けざやかに艶《つや》々と透《す》きたるを奉りて、なほ尽きせずあてになまめかしうおはします。宰相殿は、すこし色深き御直衣に、丁子染《ちやうじぞめ》の焦《こ》がるるまで染《し》める、白き綾《あや》のなつかしきを着たまへる、ことさらめきて艶《えん》に見ゆ。

灌仏《くわんぶつ》率《ゐ》てたてまつりて、御|導師《だうし》おそく参りければ、日暮れて御方々より童べ出だし、布施《ふせ》など、朝廷《おほやけ》ざまに変らず、心々にしたまへり。御|前《まへ》の作法をうつして、君たちなども参り集《つど》ひて、なかなかうるはしき御前《ごぜん》よりも、あやしう心づかひせられて臆《おく》しがちなり。

宰相は、静心《しづごころ》なく、いよいよ化粧《けさう》じ、ひきつくろひて出でたまふを、わざとならねど情《なさけ》だちたまふ若人《わかうど》は、恨めしと思ふもありけり。年ごろの積もりとり添へて、思ふやうなる御仲らひなめれば、水も漏《も》らむやは。主《あるじ》の大臣、いとどしき近まさりを、うつくしきものに思して、いみじうもてかしづききこえたまふ。負けぬる方《かた》の口惜《くちを》しさはなほ思せど、罪も残るまじうぞ、まめやかなる御心ざまなどの、年ごろ異《こと》心なくて過ぐしたまへるなどを、あり難《がた》く、思しゆるす。女御の御ありさまなどよりも、華やかにめでたくあらまほしければ、北の方、さぶらふ人々などは、心よからず思ひ言ふもあれど、何の苦しきことかはあらむ。按察《あぜち》の北の方なども、かかる方にてうれしと思ひきこえたまひけり。

現代語訳

六条の大臣(源氏)も、こうした次第をお耳になられるのだった。宰相(夕霧)が、ふだんよりも光が増したようすで参上なさったので、じっと御覧になって、(源氏)「今朝はどうしました。文などはさしあげましたか。賢い人も、女の事では乱れる例もあるのに、人目に見苦しいこだわりもせず、焦ることもせずにお過ごしになったのは、すこし人に抜きん出てたお心だと思ったよ。内大臣のなさりようが、あまりに型どおりで、それが今すっかり崩れてしまわれたのを、世間の人もあれこれ取り沙汰するにちがいないよ。だからといって、自分が勝ったのだとしたり顔に、驕りたかぶって、浮ついた気持ちなど起こしなさるなよ。内大臣はああして鷹揚で大きな心具合と見えるけれど、実のところご気性は男らしくなく、癖があって、付き合いにくいところがおありの人なのだ」など、例によってお教えになられる。この夫婦のことを、釣り合いが取れて、よいご夫婦だとお思いになっていらっしゃる。

大臣は宰相が御子であるとも見えず、すこし年上の兄ぐらいにお見えになる。それぞれ別の場所にいたら、同じ顔を写し取ったかと見えるが、御前においては、お二人それぞれ、なんと美しいとお見えになる。大臣は、薄い御直衣、白い御衣の唐風なので、模様がはっきしてつややかに透き通っているのをお召しになって、やはりどこまでも気品があり優雅でいらっしゃる。宰相殿は、父大臣のよりすこし色の濃い御直衣に、丁子染めで焦げ茶色になるほどまでに染めたのと、白い綾の魅力的なのを着ていらっしゃる。それが格別という感じで優美に見える。

灌仏会の誕生仏をお運び申し上げて、御導師がおそく参ったので、日が暮れてから御方々から女童を出して、布施など、宮中でのやり方と変わらず、思い思いになさった。帝の御前での作法そのままに、君たちなども集まり参って、かえって格式ばった帝の御前よりも、不思議と心遣いをさせられて気後れしがちである。

宰相(夕霧)は、落ち着かず、ふだん以上に化粧して、身なりをととのえてお出かけになるのを、表立ってではないが宰相が情をおかけになった若い女房たちの中には、恨めしいと思う者もあるのだった。長年積もった思いも加わって、理想通りの御夫婦であろうから、水も漏れるすきはないだろうが。

主人の内大臣は、間近で見るとますます素晴らしい宰相のご様子なので、かわいい婿君とお思いになって、熱心にお世話申し上げなさる。負けを取ったことは今もやはり残念とお思いになっておられるが、宰相のご気性などがまじめで、長年の間ほかの女に気持ちを移さずお過ごしになったことなどが、滅多にないことであるから、不愉快さもすっかり忘れて、お二人の仲をお許しになる。

お二人の御仲が、女御(弘徽殿女御)の御ようすなどよりも、華やかで、結構な、申し分のないものなので、北の方や、お仕えする女房たちなどは、面白くなく思ったり言ったりする者もあるが、宰相(夕霧)からしてみれば、何の困ることがあろうか。按察使の北の方(雲居雁の実母)なども、このようなことになって嬉しく思い申し上げなさる。

語句

■かくと 夕霧が内大臣に招かれ結婚の許しを得て、雲居雁と結ばれたこと。 ■光添ひて 雲居雁への長年の恋が成就し、晴れやかな気持ち。 ■さかしき人も 以前も同じ趣旨の訓戒があった(【梅枝 11】)。 ■人わろくかかづらひ 外聞が悪いようなこだわりを持つこと。 ■すくみて 「すくむ」は縮んで、こわばること。 ■なごりなく 内大臣の夕霧に対する否定的な見方がすっかりひっくり返ったこと。 ■事うちあひ 夕霧と雲居雁が、双方の条件が釣り合っているの意。 ■御子とも見えず 源氏の若々しさをいう。 ■さまざま 源氏、夕霧、それぞれ違いはあるが、どちらもたいそう美しいの意。 ■薄き御直衣 源氏の年齢からいって薄い縹色であろう。 ■紋 模様。 ■すこし色深き 縹色で父大臣のそれよりも少し色が濃い。若者は薄い縹色を着る。 ■丁子染め 丁子の蕾の煮汁で染めた染め物。黄色がかった褐色。丁子は、フトモモ科の常緑高木。その蕾を乾燥させて使う。 ■焦がるるまで 焦げ茶色になるまで染める。 ■白き綾 白い綾織。直衣の下に着る。 ■灌仏 四月八日の灌仏会《かんぶつえ》に使う仏像。灌仏会は釈迦の誕生日。誕生仏の頭に香水をそそぐ。現在は「花祭り」といわれることが多い。 ■率て 灌仏を、寺から六条院へ運ぶ。 ■御導師 灌仏会の儀式を取り仕切る僧。 ■童べ 僧へのお布施を届ける使者。 ■朝廷ざまに変わらず 宮中で行う正式な儀式のやりかたと変わらず、の意。 ■心心に 六条院の御方々がそれぞれ考えて。 ■うるはしき御前よりも… 宮中で灌仏会に参列するよりも六条院で参列するほうが気をつかうの意。源氏があまりに立派なため。 ■静心なく 夕方から灌仏会で時間をとられ雲居雁のもとに行くのが遅くなるためそわそわする。 ■いよいよ化粧し 初夜であった昨夜よりもいっそう念入りに化粧して。 ■わざとならねど情だちたまふ若人 女房の中の夕霧の情婦。 ■水も漏らむやは 夫婦の絆が強いことをいう。「やは」は反語。 ■近まさり 想像より実際がよいこと。 ■負けぬる方 内大臣は負けん気が強いが、夕霧の人柄のよさによってそれも中和されていく。 ■罪も残るまじうぞ 「思しゆるす」にかかる。「罪」は夕霧が内大臣に与えた不愉快さ。 ■女御 弘徽殿女御 雲居雁の姉。母は内大臣の北の方。 ■北の方 内大臣の北の方。もと右大臣家の四の君。快からず思うのは実娘の弘徽殿女御が中宮に立てなかったこともあろう。 ■按察使の北の方 雲居雁の実母。内大臣との間に雲居雁をもうけたが、後に按察使大納言に嫁いだ(【少女 09】)。 ■かかる方にて 雲居雁が入内する夢はやぶれたが、夕霧の北の方になったことは、それはそれで満足だの意。

朗読・解説:左大臣光永

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