【若菜上 22】秋好中宮、源氏のため諸寺に布施し、饗宴をもよおす

十二月《しはす》の二十日《はつか》あまりのほどに、中宮まかでさせたまひて、今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御|誦経《ずきやう》、布《ぬの》四千反《たん》、この近き京《みやこ》の四十寺に、絹四百|疋《ぴき》を分かちてせさせたまふ。ありがたき御はぐくみを思し知りながら、何ごとにつけてかは深き御心ざしをもあらはし御覧ぜさせたまはむとて、父宮、母|御息所《みやすどころ》のおはせまし御ための心ざしをもとり添へ思すに、かくあながちにおほやけにも聞こえ返させたまへば、事ども多くとどめさせたまひつ。「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべるにも、残りの齢《よはひ》久しき例《ためし》なむ少なかりけるを、このたびは、なほ世の響きとどめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」とありけれど、公《おほやけ》ざまにて、なほいといかめしくなむありける。

宮のおはします町《まち》の寝殿《しんでん》に御しつらひなどして、さきざきにことに変らず、上達部《かむだちめ》の禄《ろく》など、大饗《だいきやう》になずらへて、親王《みこ》たちにはことに女の装束《さうぞく》、非参議の四位、廷臣《まうちきむ》たちなどただの殿上人には、白き細長一襲《ほそながひとかさね》、腰差《こしざし》などまで次々に賜ふ。装束《さうぞく》限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御|佩刀《はかし》など、故前坊の御方ざまにて伝はりまゐりたるも、またあはれになむ。古き世の一《いち》の物《もの》と名あるかぎりは、みな集《つど》ひまゐる御賀になむあめる。昔物語にも、物得《ものえ》させたるをかしこきことには数へつづけためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひのことどもはえぞ数へあへはべらぬや。

現代語訳

師走の二十日過ぎたころ、中宮(秋好中宮)が宮中をご退出あそばして、今年の残りの御祈願として、奈良の京の七大寺に、御布施として、御誦経、布四千反、近くの京の四十の寺に、絹四百疋分けてご奉納なさる。中宮は、世にもまれな院(源氏)の御養育のお志をご承知ではありながら、何ごとにつけて深い感謝のお気持ちをあわはして院に御覧になっていただけようかと、父宮(前東宮)と母御息所(六条御息所)がもしご顕在であったらこうもして差し上げただろうというの感謝のお気持ちをも加えて、盛大にとお思いになっていらしたが、院はこうして帝に対しても、しいてご辞退なさったのだから、計画していた多くの事をお取りやめになった。(源氏)「四十の賀ということは、さまざまな前例を聞きましても、残りの年齢が長い例は少ないのでございますから、今回は、やはり世間の騒ぎとなるようなことはおよしになって、ただ本当にこの後、余生をまっとうできるように祈ってくださいまし」と仰せになっておられたが、やはり公の儀式として、たいそう盛大な儀式となったのだった。

中宮がおすまいの西南の町の寝殿に会場のご設営などをなさって、これまでの例に変わらず、上達部に下賜する禄などは大饗に準じて、親王たちにはとくべつに女の装束を、非参議の四位や、公卿などふつうの殿上人には、白い細長を一襲、絹の巻物などまで位の順にお与えになる。装束はどこまでも華麗さをつくして、名高い帯、御佩刀《みはかし》など、故前東宮の御方からご相伝になられたものであることも、またしみじみと感慨深いものがある。古い時代の第一級の物として評価を得ている品々はすべて、すべてここに集まって参るという御賀であったのだろう。昔物語にも、物をお与えになった詳細を、畏れ多いこととして細かく数え上げているようだけれど、ひどく煩雑で、このことごとしいご交際のことは、とてもすべて数え上げることはできないのである。

語句

■師走の二十日あまり 玉鬘・紫の上主催の賀はともに二十三日とあった。重複を避けて「二十日あまり」としたか。 ■中宮まかでさせたまひて 秋好中宮が宮中を退出し、六条院の西南の町に入る。 ■今年の残りの御祈り 今年は賀がつづいたので残りの一月をさらに祝賀する。 ■奈良の京の七大寺 東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺の七寺。 ■反 衣服一着分に必要な布の広さ。「疋」も同じ。 ■この近き京の四十寺 平安京にある四十の寺。四十寺の内容は不明。四十の賀にあわせる。 ■あり難き御はぐくみ 源氏は六条御息所の没後、その娘・秋好中宮を養育し、冷泉帝のもとに入内させた。 ■父宮 前東宮。桐壺院の弟宮か。六条御息所の父。若く亡くなったたため、かわって朱雀帝が皇太子に立った。 ■後に足らんこと 五十の賀を想定してこう言う。 ■公ざまにして 秋好中宮は帝に代わって源氏の四十の賀を主催しようとしたのだろう。 ■宮のおはします 秋好中宮の居所は六条院西南の町(【少女 33】)。 ■さきざきのこと 正月の玉葛主催の賀と、十月の紫の上主催の賀。 ■大饗 ニ宮大饗。群臣が後宮(皇后・中宮・皇太后)と東宮に拝賀し、宴を賜る正月二日の宮中儀式。饗宴の後、舞があり禄を賜る。 ■女の装束 更衣の衣装一揃い(裳、唐衣、袴)をまとめて包に入れたもの。 ■非参議 三位以上で一度も参議に任じられたことがない者、四位で一度参議に任じられた者、四位でも参議の資格を持つもの。参議は太政官の職員。大・中納言につぐ。四位以上の有能な者が任じられる。 ■廷臣 「前つ君」からの転。高官の総称。ここでは五位の殿上人。 ■細長 女性の平常服。小袿の上に着る。 ■腰差 禄として賜る絹の巻物。腰に差して退出するためこう呼ぶ。 ■帯 束帯の時に腰にしめる革帯。 ■故前坊 秋好中宮の父宮。桐壷帝在位時の東宮。桐壷帝の弟宮か。若くして亡くなったため、朱雀帝が皇太子に立った。 ■昔物語にも 「昔物語」は『宇津保物語』が念頭にあるか。 ■こちたき 「こちたし」は仰々しい。ものものしい。

朗読・解説:左大臣光永