【若菜上 23】勅命により夕霧、源氏のため饗宴をおもよす

内裏《うち》には、思しそめてしことどもをむげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。そのころの右大将|病《やまひ》して辞《じ》したまひけるを、この中納言に御賀のほどよろこび加へむと思しめして、にはかになさせたまひつ。院もよろこび聞こえさせたまふものから、「いと、かく、にはかにあまるよろこびをなむ、いちはやき心地しはべる」と卑下《ひげ》し申したまふ。

丑寅《うしとら》の町に、御しつらひ設《まう》けたまひて、隠ろへたるやうにしなしたまへれど、今日は、なほかたことに儀式まさりて、所どころの饗《きやう》なども、内蔵寮《くらづかさ》、穀倉院《こくさうゐん》より、仕うまつらせたまへり。屯食《とんじき》など、おほやけざまにて、頭中将|宣旨《せんじ》承りて。親王《みこ》たち五人、左右の大臣《おとど》、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上入は、例の内裏《うち》、春宮、院残る少なし。御座《おまし》、御調度どもなどは、太政大臣《おほきおとど》くはしく承りて、仕うまつらせたまへり。今日は、仰《おほ》せ言《ごと》ありて、渡り参りたまへり。院《ゐん》も、いとかしこく驚き申したまひて、御|座《ざ》に着きたまひぬ。母屋《もや》の御座に対《むか》へて大臣《おとど》の御座あり。いときよらにものものしくふとりて、この大臣《おとど》ぞ、今さかりの宿徳《しうとく》とは見えたまへる。主《あるじ》の院は、なほいと若き源氏の君に見えたまふ。御|屏風《びやうぶ》四帖に、内裏《うち》の御手書かせたまへる、唐《から》の綾《あや》の薄緂《うすだん》に、下絵《したゑ》のさまなどおろかならむやは。おもしろき春秋の作り絵《ゑ》などよりも、この御屏風の墨つきの輝《かかや》くさまは目も及ばず、思ひなしさへめでたくなむありける。置物《おきもの》の御厨子《みづし》、弾物、吹物など、蔵人所《くらうどどころ》より賜りたまへり。大将の御|勢《いきほ》ひもいといかめしくなりたまひにたれば、うち添へて、今日《けふ》の作法《さはふ》いとことなり。御|馬《むま》四十疋、左右の馬寮《むまづかさ》、六衛府《ろくゑふ》の官人《くわんにん》、上《かみ》より次々に牽《ひ》きととのふるほど、日暮れはてぬ。

例の万歳楽《まんざいらく》、賀皇恩《がわうおん》などいふ舞、けしきばかり舞ひて、大臣《おとど》の渡りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊びに皆人心を入れたまへり。琵琶は、例の兵部卿宮、何ごとにも世に難《かた》き物の上手《じやうず》におはして、いと二《に》なし。御前《おまへ》に琴《きん》の御|琴《こと》、大臣《おとど》和琴《わごん》弾《ひ》きたまふ。年ごろ添ひたまひにける御耳の聞きなしにや、いと優《いう》にあはれに思さるれば、琴《きん》も御手をさをさ隠したまはず、いみじき音《ね》ども出づ。昔の御物語どもなど出で来て、今、はた、かかる御仲らひに、いづ方につけても聞こえ通ひたまふべき御|睦《むつ》びなど心よく聞こえたまひて、御|酒《みき》あまた度《たび》まゐりて、物のおもしろさもとどこほりなく、御|酔泣《ゑひな》きどもえとどめたまはず。

御|贈物《おくりもの》に、すぐれたる和琴《わごん》一つ、好みたまふ高麗笛《こまぶえ》そへて、紫檀《したん》の箱|一具《ひとよろひ》に、唐《から》の本《ほん》ども、ここの草《さう》の本《ほん》など入れて御|車《くるま》に追ひて奉れたまふ。御馬ども迎へとりて、右馬寮《みぎのつかさ》ども高麗《こま》の楽《がく》してののしる。六衛府《ろくゑふ》の官人《くわんにん》の禄《ろく》ども、大将賜ふ。御心とそぎたまひて、いかめしき事どもは、このたびとどめたまへれど、内裏《うち》、春宮《とうぐう》、一院《いちりゐん》、后《きさい》の宮《みや》、次々の御ゆかりいつくしきほど、いひ知らず見えにたることなれば、なほかかるをりにはめでたくなむおぼえける。

大将のただ一《ひと》ところおはするを、さうざうしくはえなき心地せしかど、あまたの人にすぐれおぼえことに、人柄もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北の方の、伊勢の御息所《みやすどころ》との恨み深く、いどみかはしたまひけんほどの御|宿世《すくせ》どもの行く末見えたるなむさまざまなりける。

その日の御|装束《さうぞく》どもなど、こなたの上なむしたまひける。禄《ろく》どもおほかたのことをぞ、三条の北の方はいそぎたまふめりし。をりふしにつけたる御営み、内《うち》々の物のきよらをも、こなたにはただよその事にのみ聞きわたりたまふを、何ごとにつけてかは、かかるものものしき数にもまじらひたまはましとおぼえたるを、大将の君の御ゆかりに、いとよく数《かず》まへられたまへり。

現代語訳

帝(冷泉帝)におかせられては、ご計画していらした多くのことを無下してよいものか、とおぼしめされて、中納言(夕霧)に御賀の手配をお命じになられた。そのころの右大将が病にかかって辞任なさったので、この中納言(夕霧)に御賀のときよろこび事を加えようとおぼしめされて、急遽、中納言を右大将にご就任させなさった。院(源氏)もお礼を申しあげなさりはするのだが、(源氏)「あまりに突然に、こう身にあまるお取り立てをいただきまして、何とお礼申しあげてよいやら、異例にすぎるように存ぜられます」とご謙遜申しあげなさる。

東北の町に、ご宴席をご設営なさって、世間に知れないようにひっそりとなさったのであったが、それでも今日は、やはり特別な筋合いなので、盛大な儀式となって、あちこちで行われる饗宴なども、内蔵寮《くらづかさ》や穀倉院《こくそういん》から、ご奉仕をおさせになられた。

屯食などは、公的な行事と同じく、頭中将が宣旨を承ってととのえた。親王たち五人、左右の大臣、大納言ニ人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例によって、内裏、東宮、院から参上したので、残っている人は少なかい。院(源氏)のお席や、数々のお道具類などは、太政大臣がこまごまと帝から仰せを受けて、お世話なさる。今日は、太政大臣は、帝からの仰せ言があって、おいでになった。院(源氏)も、たいそう畏れ多いこととして驚き申されて、お席にお着きになられた。母屋の院(源氏)のお席の対面に、大臣のお席がある。大臣はまことにさっぱりと、威厳のある感じに太って、この大臣こそ、今をさかりの立派な人物とお見えになる。主人の院(源氏)は、やはりたいそうお若い源氏の君とお見受けされる。御屏風四帖に、帝が御手づからお書きになられたのがあり、唐の綾の薄萌黄色の地に下絵が描いてあるさまなどは、並たいていのものであるはずがない。はなやかに四季の景色を描いた彩色画などよりも、この御屏風の墨の色の輝くさまは目もくらむほどで、しかも帝の御宸筆と思うといっそう見事に見えるのだった。

置物の御厨子、弦楽器、管楽器などは、蔵人所からいただかれたものである。大将(夕霧)のご権勢も、まことにお堂々たるものになっていらっしゃるので、それも加わって、今日の儀式の作法はまことに並たいていのものではない。御馬四十疋を、左右の馬寮や六衛府の役人が、上位の者から下位の者に次々と牽き並べているうちに、日がすっかり暮れてしまった。

例によって、万歳楽《まんざいらく》、賀皇恩《がおうおん》などという舞を、申しわけ程度に舞っただけで切り上げて、太政大臣がおいでになってるので、珍しく、いちだんと引き立てられた管弦の御遊びに、誰もが気持ちを集中させていらっしゃる。琵琶は、例によって兵部卿宮がお弾きになるが、この人は何ごとにつけても世に滅多にない名人でいらっしゃって、他に太刀打ちできる人がまったくいない。院(源氏)の御前に琴の御琴が置かれ、太政大臣は和琴をお弾きになる。院は、その和琴の音を、長年太政大臣が稽古の労を積まれたことをお聞きになられるせいであろうか、まことに優雅にしみじみ情深いものとお思いになるので、ご自身の琴も、御手を少しもお隠しにならず、すばらしい多くの音をご披露なさる。昔のお話などもたくさん出てきて、今はまた、院(源氏)と太政大臣は、こうしたご関係となったのだから、どの御縁から考えても、お互いに親しくお付き合いになられるべきであることなど、気持ちよくお話し申しあげられて、御酒を何度も召し上がりになり、その場の好ましい空気は尽きることがなく、お二人とも酔い泣きを止めることがおできにならない。

御贈り物として、すぐれた和琴一張に、お気に召された高麗笛をそえて、紫檀の箱一対に、数々の渡来の手本と、わが国の草仮名の手本などを入れて、御車を追いかけて差し上げなさる。いただいた多くの御馬を迎えとって、右馬寮の役人たちが高麗《こま》の楽を騒がしく演奏する。六衛府の役人に対する禄の数々は、大将(夕霧)がお与えになる。院のご意向により、大げさな事などは、今回はお控えになられたが、帝、東宮、一院(朱雀院)、后の宮(秋好中宮)と、次々のゆかり深い御方々が、言いようもなくすぐれていらっしゃるので、やはりこうした折は、めでたく思えるのだった。

院(源氏)は、大将(夕霧)がただ一人子でいらっしゃることを、物足りなく、張り合いがなくお思いになっていらっしゃるが、大将(夕霧)は、多くの人よりもすぐれ、世間からの信望は格別で、人柄も並ぶ者がないようでいらっしゃるのにつけても、故母北の方(葵の上)が、伊勢の御息所(六条御息所)との恨みが深く、お互いにはりあっていらした頃の、それぞれのご運勢の行く末が、今、さまざまな形で現れているのであった。

その日の御装束の数々についてなどは、こちらの上(花散里)が取り計らいになる。参加者にお与えになる数々の禄の、おおよそのことは、三条の北の方(雲居雁)がご準備なさったようである。折々につけてのお催し物や、内々の華やなことも、こちら(花散里)ではただよそ事としてばかりずっと聞いていらしたが、いったいどうやって、こうした立派な人の数にも入れていただけるかと思っていたのだが、大将の君(夕霧)のご縁で、まことによく一人前のお取り扱いをお受けになられたのである。

語句

■思しそめてしことども 冷泉帝は源氏の四十の賀を開催したかったが源氏が辞退したので断念した(【若菜上 21】)。 ■右大将 人物未詳。 ■なさせたまひつ 帝が、夕霧に、源氏の四十の賀を主催するよう仰せになった。 ■丑寅の町 花散里の居所。花散里は夕霧の世話役で夕霧は結婚前ここに住んでいた。 ■かたことに 特別に。帝の勅命を受けての饗宴であるため。 ■所どころの饗 この日、花散里の居所以外でもあちこちで饗宴が行われたのだろう。 ■内蔵寮 中務省に属し、宝物・献上品などを管理した役所。 ■穀倉院 民部省に属し、畿内一円から収められた金や稲を保管しておく倉庫。 ■屯食 強飯《こわいい》を握り固めて卵型に盛り上げたもの。身分の低い者に供される。 ■頭中将 ここにのみ登場。人物未詳。 ■殿上人 殿上人は内裏だけでなく、東宮にも院にもいる。 ■残る少し 多くは今日の宴席に参加しているので。 ■仰せ言ありて 帝からの勅命が太政大臣に下ったので、おいでになったのである。 ■宿徳 修行を積んで、徳の高いこと。また、その人。重々しく威厳のあること。 ■なほいと若き 源氏は四十歳になっても若々しい。中年になって恰幅がました太政大臣との対比。 ■御手 和歌を書いてある。 ■薄緂 「#x7DC2;」は萌黄色。 ■下絵 歌の下に描いてある絵。 ■作り絵 墨の線の下書きに色を塗った絵。 ■墨つき 墨の色。 ■蔵人所 書籍・装束・調度・楽器などを管理する。 ■今日の作法 下賜された馬四十頭を整列させる儀式。 ■御馬 冷泉帝から源氏に下賜された馬。 ■馬寮 馬の管理をする役所。衛府に属す。 ■六衛府 左右近衛、左右兵衛、左右衛門の六つ。 ■御贈物 源氏から太政大臣への贈り物。 ■高麗笛 高麗楽に使う笛。太政大臣は高麗笛の上手であることは【末摘花 05】にある。 ■紫檀 熱帯産の木材。高級家具類に使われる。 ■唐の本ども 唐来の手跡の手本。 ■草 漢字の草書、草仮名の略。 ■御車に追ひて この日、太政大臣の来訪があることは源氏には想定外であった。 ■御馬ども この日下賜された「四十疋」の馬。 ■そぎたまひて 「そぐ」は簡素にする。 ■一院 朱雀院のこと。源氏も准太上天皇として院号を賜っている(新院)ので、区別してこう言う。 ■伊勢の御息所 六条御息所。【明石 13】にこの呼称が見える。 ■いどみかはしたまひけん 車争ひの件(【葵 05】)など。 ■その日 夕霧が賀を主催した日。 ■こちらの上 花散里は裁縫がとくい(【野分 08】)。 ■かかるものものしき数 冷泉帝、東宮、朱雀院、秋好中宮、紫の上など。

朗読・解説:左大臣光永