【若菜上 24】新年、明石の女御の出産迫る 加持祈祷さかんに行われる

年返りぬ。桐壺の御方近づきたまひぬるにより、正月|朔日《ついたち》より御|修法《ずほふ》不断《ふだん》にせさせたまふ。寺々、社々の御|祈疇《いのり》、はた、数も知らず。大殿《おとど》の君、ゆゆしきことを見たまひてしかば、かかるほどのことはいと恐ろしきものに思ししみたるを、対《たい》の上《うへ》などのさることしたまはぬは、口惜《くちを》しくさうざうしきものからうれしく思さるるに、まだいとあえかなる御ほどにいかにおはせむとかねて思し騒ぐに、二月ばかりより、あやしく御気色かはりて悩みたまふに御心ども騒ぐべし。陰陽師《おむやうじ》どもも、所をかへてつつしみたまふべく申しければ、外《ほか》のさし離れたらむはおぼつかなしとて、かの明石の御|町《まち》の中の対に渡したてまつりたまふ。こなたはただ大きなる対二つ、廊どもなむ廻りてありけるに、御修法の壇《だん》ひまなく塗《ぬ》りて、いみじき験者《げんざ》ども集《つど》ひてののしる。母君、この時にわが御|宿世《すくせ》も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くしたまふ。

現代語訳

年が改まった。桐壷の御方(明石の女御)のご出産が近づいていらっしゃったので、正月朔日から、御修法を絶えることなくおさせになる。寺々、社々の御祈祷は、また、数もしらず行なわれる。大殿の君(源氏)は、出産について不吉なことをかつて御覧になったので、こういう折の事は、ひどく恐ろしいものと思い知っていらっしゃるので、対の上(紫の上)などがご懐妊されないのは、残念に、物足りないものの、一方ではうれしくお思いになられるが、女御はまだたいそう幼いお年頃で、どのようにおなりであろうかと、前々からそわそわしていらしたが、二月ごろから、妙にご容態がかわってお苦しみになっておられるので、まわりの方々も御心が騷いでいらっしゃるようである。陰陽師たちも、方違えをしてご謹慎なさるのがよろしいと申し上げたので、御邸の外の離れたところは気がかりだいうことで、かの明石の君の御町の中の対の屋に女御をお移し申しあげなさる。こちらにはただ大きな対の屋が二棟、数々の廊がまわりを取り巻いているところに、御修法の壇に隙間もなく土を塗って、霊験あらたかな修験者たちが集まって大騒ぎする。母君(明石の君)は、この時こそご自分のご運勢もはっきりするに違いないことであろうから、たいそう心をお尽くしになる。

語句

■年返りぬ 源氏四十歳。 ■桐壷の御方 明石の女御。東宮后。桐壷(淑景舎)を居所としていたため。 ■修法 密教の加持祈祷。無事安産を祈る。 ■ゆゆしき事 夕霧誕生のとき、母葵の上が急逝したこと(【葵 17】)。 ■かかるほどのこと 出産。 ■さること 出産。 ■まだいとあえかなる 明石の女御、十三歳。 ■かねて思し騒ぐ 参考『平家物語』巻ニ「御産巻」。 ■陰陽師 陰陽寮の職員。天文・暦などに基づき占いや祓を行う。 ■所をかへて 方違え。陰陽道の祭神「中神」がいる方角を「塞がり」と称して避け、別の場所に移ること。 ■かの明石の御町 六条院西北の町。ここだけは源氏の四十の賀の会場として使われていなかった。明石の女御の出産をする場とあらかじめ想定していたのだろう。 ■御修の壇 加持祈祷を行うための壇。護摩の火を焚いたりする。 ■いみじき心を尽くし 明石の君はこの出産が無事に行なわれるか、また男子か女子かによって自分の前世の因縁が証明されることになるので、気をもむ。

朗読・解説:左大臣光永